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Work Shop table 1
 柳下先生と山崎君の熱いトークが見ものだった1グループ。特に、柳下先生がたくさんお話をしてくださったので、紹介しましょう。
 
 「小学校の先生は、教科も全部担当するので、大学で学んだこと以外にも、教えることはたくさん。他の教科で自信がつくようになったのは、ここ5〜6年。」
 柳下先生は体育の先生ですが、音楽を教えるのが苦手だったそうです。でも、あるとき音楽と体育はすごく似ているという結論に達しました。どちらも体で感じて体で表現する教科。先生は、これらの教科の評価を改善しました。評価の際に、子どもに合意を求めるようにしたとのこと。子どもがみな評価に納得するようにするそうです。
 うまくいかないときに子どものせいにすることを「オバタリアン心理」と呼んでいます。これは、自分を守ろうとする心理で、そうならないように日々努力、だそうです。
 また、「第3者機関の評価が大切だ」とおっしゃっていました。ボランティアの反省が学校としての反省となることが理想だということです。
 柳下先生は、小さなコミュニティをどんどん作っていきたいそうです。学生も、子どもたちにとって、学校・家庭・地域という3軸にプラスして、お兄さんお姉さんという第4の領域を作ってほしいということでした!以上。
 
コメント
 柳下先生は、学校の先生を代表した言葉というよりは、一教師としての生き方の中から生まれた言葉を丁寧に私たちに伝えてくれました。私たちがボランティアとして参加する学校は、一つの職場です。その中で働いている先生方は、教師という進路を選択して人生を送っている社会人であり、その生き方にも、プラスの影響を受ける可能性があるのだろうと思います。
 学生は学生で、今の自分にできることを一生懸命探している人ばかりでした。社会の中の自分の立場、というものを冷静に分析し、今の自分のやりたいこと、やれることで社会に貢献しようとする姿勢はとても大切だと思います。スタッフ内でも、実際スクールボランティアをする際には、どこまでできてどこからはできないのか状況に応じて判断し、自分の学生としてのスタンスを決定してから臨むという意識が生まれました。そして、スタンスこそ違っても、子どもに接するという点では先生方といっしょに反省ができるような「対等」な関係でいたいという意見が出ました。柳下先生の、「ボランティアとしての反省が学校としての反省に」という理想に勇気づけられた次第です。
 最後に、柳下先生は学生が第4の領域になるということをおっしゃっていましたが、私たちは、「地域」という概念の中に学生も入っていけたらいいなあと思うのです。私たちは、スクールボランティアという活動を一つの旗印として、学生の若い力が、地域のため、社会のために活かされるコミュニティをたくさん作っていこうと改めて感じました。
文責:松井由佳
 
Work Shop table 2
2番テーブル〜学生のスクボラの意義とは?〜
☆ファシリテーター:矢口典弘
☆メンバー:大高皇(フラスコ)、北田暁彦(Party)、石井邦知、森山花鈴(ぐっぴぃ)、井尾展悠(社会福祉研究会)、小保方美鈴(生物資源学類1年次)
 
「若い」
・年の離れた先生ではなく、年の近い学生が入ることで、生徒の間により近く入ることができる。
・小、中、高生の前にお兄さん、お姉さんの立場。 Cf: 先生とは違う
・世代が近く子どもたちにとって親しみやすい存在になれる
・若い
・(受験相談のような)話相手としての立場になれる
 
学生の立場的な強み
<発展途上>
・学んだことをすぐ活かす
・学生にとって社会にでるまでの勉強に→社会に出たときその体験をフィードバック
・教育実習に近い意義
・人間開発
・人間関係の向上
 
<中立性>
・立場的に中立
・利害関係がからまない
・いい意味で組織に縛られない自由
 
 
授業面での貢献
<授業を面白くする>
・柔軟なアイデア
・堅苦しい“教育”ではなくて“遊び”の要素を多く取り入れられる
<人手不足を補う>
・子どもたちの興味や関心のあることを少しだけ深く紹介する。→大人になってから考えるきっかづくり
・生徒1人1人へのサポート1つの授業における指導者の人数が多くなっていい。
 
その他抽象的・間接的なもの
・社会貢献
・「学校」以外の世界が見える。先生じゃない人と交流できる
 
コメント
 このテーブルはファシリの自分を含め、控えめな人が多かったと思う。そのため我がテーブルが一番初めに、フリートークに移ろうと席を立とうとしていた。それでも十分によい意見が集まったのではないかと思っている。また、このテーブルには中村小学校の佐藤先生もいらしていたのですが、発表後の休憩時にはお帰りになった点は残念。佐藤先生からも学生のスクボラについてのご意見を伺いたかったです。
 みなからでた学生のスクボラの意義についての意見をまとめたもののなかで目立ったのは、やはり学生の「若さ」という強みである。これにより子どもたちの身近な立場で、子どもたちのための活動ができるはずというものである。私が思うに、これは学生のスクボラの最大の意義であり、学校に売り込む際の武器だと考えている。学校と言うのは、同じことを繰り返すマンネリに陥りやすい性質、閉鎖性を伴いがちだと思う。そういうところに、立場的に中立で若い学生が入ることは、子どものための活動がつかめ、学校や子どもの「学び」、「遊び」の活性化へとつながるはずである。
 
 
文責:矢口典弘
 
Work Shop table 3
3番テーブル
☆ ファシリテーター:大部令絵
☆ メンバー:辻本善信(Party)、小野村哲(ライズ)、安部宏(茨城教育実践研究会)、前原三智子(ぐっぴい)、津田修司(プライマリケア研究会)
 
 3番は、メンバー的になぜか数あるテーブルの中で特に情熱濃度の高いテーブルになっていた・・・
 
スクールボランティア全般に当てはまるもの
 学生に限らず一般に言える事だが、スクールボランティアという第3者的立場の人々が学校に入ることによって、「先生と生徒の関係に変化を与える」「子供を多方面から見ることによって、新しい面を発見し、教師にフィードバックできる」などの、子供の教育環境改善へとつながる効果が得られる。
 
学生のスクールボランティアについて
<学生にとっての意義>
 スタッフを学生に限った場合にまず考えられる意義は、まず学生自身の中に見出せるものである。「学生がじかに子供たちと触れ合うことにより、子供を知る」「現場を知ることで、新しい発見・発想が得られる」といった『現場を知ること』に関する点や、「大学での学びが立体化する」「教える力を身につける」などの、『学生自身の技術・知識向上』に関する点が考えられる。
<子供にとっての意義>
 子供たちにとっての意義としては、「子供各個人それぞれに長い時間ふれあうことが出来る」といった、学級経営に関する点もいくつか上がった。
<教師にとっての意義>
 そして、教師・学校にとっての意義は、先ほど述べたフィードバック以外については、「先生に新しい発想をもたらす」「先生への刺激となる」「先生がやりたいことを形にする手助けが得られる」など、先生自身にとってプラスになる要素、年齢、年齢・心情の溝を埋める人、言わば「橋渡し役」としての存在意義は大きいと思われる。
 以上のように、学生が行なうスクールボランティアからは、「学生」、「子供」、「教師・学校」の、いずれの立場からも活動の意義を見出すことが出来る。
 
コメント
 『先生と生徒の関係に変化を与える』などからわかるように、児童生徒と、教師やボランティアなどの児童生徒以外の人々との「関係」の多様性が求められているものと思われる。しかし、大人に対して子供は一律の接し方を求める、という意見も後に出された。いずれにしても学校を“「付き合い方」を子供一人ひとりの中に創っていく場である”という捉え方が参加者の多くにあることが伺える。
 しかし、もともと学校は集団生活の中で人間関係を学ぶ場としての認識はあったはずである。参加者の多くがこれまでの学校生活の中で友人関係、「先生」というよりかは目上の人との接し方、「先輩」と「後輩」の関係、その他簡単な説明では終わらない、個々に対応する人間関係など、様々な人間関係を学んできたはずである。それらは感覚的に学んだものなので、「学んだ!」と声に出して言えるほど明確に意識にあるわけではないが、それぞれの経験の中で確かに言える事なのである。
 それが声に出して言われるようになったということは(と言うか「言わなければならなくなったのは」)、学校の“人間関係について学ぶ場”としての役割が薄れてきているからなのではないだろうか?昨今の義務教育期の児童生徒による凶悪事件の背景の一つとして「人間関係の希薄化」があげられている。学校という“場の役割”は、そこで教育に携わる人々が意識していないと機能しない。このまま何もしなければ、義務教育期に「人との付き合い方」を十分に学べず、うまく人間関係をつくれないことによる精神的なマイナス面を抱えたまま子供たちが成長していき、いずれは社会を担っていくことになる。
 ・・・そんな未来を思うと、ちょっと、怖いかもしれない。
 
 
文責:大部令絵







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