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第7章 競争激化により構造変化が進展する海事産業
第1節 便宜置籍船タジマ号事件
 2002年4月7日, 公海上にあったパナマ籍船「タジマ号」(保有・日本郵船の海外子会社, 船舶管理・共栄タンカー)で日本人二等航海士が殺害され, 犯人のフィリピン人船員2名が船内にとめおかれた。4月9日船長の援助要請により, 海上保安官が乗船し, 船内の治安維持, 航行安全も維持されて姫路港に入港した。直ちにパナマ共和国の国際捜査共助法に基づく要請により, 海上保安部による捜査, 現場検証が開始され, 4月14日には捜査が終了し保安官全員が下船した。その後, 同港に停泊中にもかかわらず, 日本政府に捜査管轄権がないことを事由に, 1ケ月以上船長が犯人の拘束と監視をする状態が続いた。捜査報告書は4月19日にパナマ大使館に渡されたが, パナマ共和国からの容疑者仮拘禁請求に基づき, 海上保安庁がフィリピン人2名を拘束, 東京高等検察庁に引き渡したのは5月15日であった。
 
図1-7-1 タジマ号
 
 6月14日, 逃亡犯罪人引渡法に基づき仮拘禁した2名につき, パナマ共和国から引渡請求があり, 8月15日, 法務大臣は東京高等検察庁検事長に対し, 引渡が可能な場合に該当するか否かについての東京高等裁判所による審査の請求を命令し, 同検察庁の検察官は, 同裁判所に対し審査の請求を行った。8月16日同裁判所において引き渡すことができる場合に該当する旨の決定がなされ, 法務大臣はフィリピン人船員2名についてパナマ共和国への引渡が相当であると認め, 身柄を引き渡すこととなった。
 たまたま日本人船員が乗船していたタジマ号事件により, 便宜置籍船(外国人船員のみの場合も珍しくはない)の存在が社会的に大きく報道されることとなり, わが国海運産業の空洞化現象が改めて認識されることとなった。
 
第2節 空洞化が進展した海事産業
1 グローバル化と旗国主義
 プラザ合意による円高傾向のもと, わが国産業の空洞化は海運産業からはじまった。いわゆるフラッギングアウト(便宜置籍船の増加)である。外航海運産業は収入の大半がドル建てであることから, 為替リスクを減少させるためコストのドル化に努め, 外国人船員を増加させ, ドル建てによる船舶建造等を増加させてきた。さらには本社機能の一部までも海外に移転させる真空化が始まり, 運航は船舶管理会社が行うことが主流となった。
 タジマ号事件は, 国連海洋法条約等の定めによる捜査権限や国家間の捜査共助法, 逃亡犯人引渡法などに基づく国際的な司法手続きについて, 日本政府は規定どおりの処置をとり, 関係国であるパナマ政府への必要な対応を行ったということになるのであるが, 犯人とされるフィリピン人船員にとってはもとより, 長期間の停泊等の経済的負担を強いられた海運企業及び長期間緊張を強いられた船長等にとっても, 円滑に処理されたとは言い難い状況であった。
 タジマ号事件後, (社)日本船主協会が超党派の議員等で構成する海事振興連盟に対し, 外国籍船上での犯罪等への適切な対応についての法整備等を要望した。刑法改正については, 政府提案による場合は法制審議会での審議には通常は時間を要すること等もあり, 同連盟では刑法の特別措置法を議員立法として進める方向で動き出した。
 これに対して, 2002年12月11日, 法務大臣は法制審議会に対して日本国外(注1)において日本国民が被害者となった犯罪に対処するための刑法の一部改正に関する諮問を行い, 2003年2月5日には答申がなされ, 閣法として2003年通常国会に提出され, 同国会において成立した。法務省のすばやい対応ぶりには近年の議員立法の動きが影響しており, 金融危機時における不動産の流動化施策が, 審議に時間を要する法制審議会での検討による商法改正によらず, 政策新人類と言われる超党派の議員の運動により, 財務省所管の「特定目的会社による特定資産の流動化に関する法律」の制定として行われたこと等も影響しているといわれている。
 タジマ号事件は, 日系資本のパナマ工場において発生した, 日本人従業員とフィリピン人従業員が関連した犯罪と同類ととらえることができ, 迅速な処理が行われなかったことによる海運企業の経済的損失は, いわゆるカントリーリスクとも認識できる。カントリーリスクを回避するために自国に法の保護を求めるにあたっては, 自国での工場立地が可能となるような競争力回復施策(海運においては国際船舶制度等やいわゆる第二船籍制度も含まれる)も同時に世間にアピールすることが望ましく, 刑法等といった個別日本法令の国外適用の拡大措置のみでは, 雇用者としてフィリピン人船員等外国人労働者対策等への対応が不十分であることを世間に訴えてゆくことが望ましい。
 経済の拡大に対応するコンテナ船の大型化によって, 単独の船社の集荷能力ではコンテナ船をフルに活用することが困難となり, 複数国の海運企業が提携する多国籍化・アライアンスが主流となった。国際海運活動は集荷活動と船舶管理活動が大きく分化してきている。米国港湾には複数の先進諸国が共同運航するフィリピン人船員を配乗したパナマ籍船が多数入港している。日系海運企業が集荷し船荷証券を発行したとしても, 発荷主は中国企業で着荷主は米国企業である三国間輸送も多くなっている。米国の政府, 港湾労働者が政治的意図から, 日本海運貨物への制裁を目的に荷揚げ拒否等といってみたところで, 積付方次第では共同運航する米国系海運企業が集荷した貨物の取卸にも影響する時代である。コンテナ船を筆頭に, 国際法が想定する移動する共同体としての船舶という認識は大幅に変化している。インターネット取引に伴う各国法令の適用が従来の発想では処理が難しくなっているのと同様に, 船舶・船員法令適用問題も旗国主義に拘泥せずに再検討が必要となりつつある。実際, 多国籍の乗組員が乗船しているため日本人船長にとって人事管理の負担が多くなりつつある。高速化・高度情報化により海上輸送の特殊性が喪失してきているにもかかわらず, 船長を頂点とするシステムを維持することに困難があるとすれば, タジマ号事件の見方も, 単なる日本国刑法の適用範囲問題といった見方から, 大きく変化する。
 
図1-7-2 大型化するコンテナ船
 
2 日本人船員
 日本外航海運会社24社の在籍日本人船員数は2,750人であるの対して, 全日本海員組合の外国人船員(非居住特別組合員)数は約34,000人である。
 日本人船長・機関長2人配乗を可能とする国際船舶(日本籍船)に船舶職員として配乗する外国人の承認試験制度が2000年にスタートし, 2002年2月22日現在で日本人少数配乗の国際船舶は9隻, 外国人承認船員数の累計は515人(航海士252人・機関士263人)となったと報告されている。
 新聞報道ではタジマ号事件につき日本人船長, 日本人船員という表現を使用するが, 日本人船員の定義も単純ではない。一般的には日本国籍を持つ船員という意味が素直なのであろうが, その場合には外国籍船で働く日本国籍を持つ船員も含まれる。日本法に基づく船員法において船員とは, 日本籍船に乗り組む船員ということであり, フィリピン国籍をもつ日本籍船に乗り組む船員も船員である。日本籍船を保有する海運企業が, 便宜置籍船に派遣する日本国籍船員には, 年金や健康保険がパッケージとなった日本の社会保障制度である船員保険が適用される。しかし, 日本籍船を所有もしくは裸用船できなくなった船社が雇用する日本国籍をもつ船員に対する船員保険の被保険者資格は認められておらず, 社会保障制度上は船員としては扱われていない。船員法は日本籍船の所有者でなければ船員を雇用できないとは規定していないものの, 船舶管理会社等自ら船を所有しない企業の雇用船員に船員保険が適用されないのは, 同形態が船員職業安定法で禁止している労務供給に該当する可能性があるとされるからであった。
 
表1-8 わが国外航海運会社の配乗船舶数と在籍船員数
配乗船隻数 在籍船員数
合計 職員 部員
1982 731 32674 12521 20153
1985 621 25250 10439 14811
1987 401 14984 6833 8151
1990 203 7566 4097 3469
1991 195 7186 4063 3123
1992 181 6650 3944 2706
1994 172 6099 3877 2222
1995 269 8384 5962 2422
1996 251 7622 5528 2094
1997 230 6845 5100 1745
1998 215 6234 4740 1494
1999 192 5554 4212 1342
2000 159 5030 3659 1371
2001 139 4233 3129 1104
2002 141 3880 2837 1043
注 1 1994年までは旧外航労務協会および旧外航中小船主労務協会調べによる。
2 1995年以降は国土交通省「船員統計」による。
3 配乗船とは保有船舶(裸傭船を含む)及びその他配乗対象船舶である。
(出典:「日本海運の現状2003」, (社)日本船主協会資料)
 
 2002年7月15日, 国土交通省海事局は政府の規制改革推進3ケ年計画の提言を踏まえ, 船員派遣事業の規制緩和等の骨子案をまとめた。船員教育機関による無料船員職業紹介事業に関する制度化が適当であることと, 民間による有料船員職業紹介事業の制度化は現時点では適当でないことがまとめられた。在籍出向や船舶管理会社制度は, 現行制度において違法の労務供給事業にあたらないことが整理案のなかで明確化されたが, 船員派遣事業者となり得る者の範囲等については, 労働者側委員及び使用者側委員からそれぞれ意見が表明されたので, 報告に付記し, 今後法制面も含め, 関係者間での詳細かつ十分な議論, 検討のうえ制度設計が行われることとなった。
 船舶を所有しなくても船員を雇用することができるとすることは, 日本籍船と船員の結びつきを切り離すことを意味することにもなり, 旗国主義のあり方にも影響を及ぼすものである。
 
図1-7-3 船員向の情報誌「海上の友」
(拡大画面:287KB)
混乗が増えたために2002年から英語ページを作成している
 

捜査共助
 外国の刑事事件の捜査に必要な証拠類を, 要請を受けた国が提供すること。1980年に国際捜査共助法(昭和55年法律第69号)が施行され, 日本での捜査共助の手続きと法的根拠が整備された。政治犯罪や, 日本の法律で犯罪に当たらないものは対象とならない。外国の裁判所の確定判決に基づく, 犯罪資金の没収や保全などに関する共助手続きは組織的犯罪処罰法で定められている。
 
便宜置籍船
 海運企業が, 優遇税制等により船舶の置籍を誘致しているパナマ, リベリア, キプロス等の国(いわゆる便宜置籍国)に設立した子会社等に船舶を保有・登録させ, 用船する船舶をいう。FOC(Flag of Convenience)船とも呼ばれる。世界単一市場で競争する外航海運で賃金の安い外国人船員の雇用や登録税, 固定資産税の軽減などのため一般的に行われている。しかし, 便宜置籍国の中には, 海上安全, 海洋環境保護, 適切な労働条件の確保などに旗国としての責任を十分に果たしていない国もあり, 問題となっている。
 
注1 「国外」には, 外国航空機や, 外国船舶, 公海や外国領土, 外国領海等が含まれ, 通常は相手国の捜査に任せるものの, 必要に応じて捜査共助や身柄引渡などを求めることとなっている。国外で自国民が犯罪被害に遭った場合, フランスやドイツなどは自国刑法の対象にしているが, 日本は戦後の法改正で対象とする規定を削除していた。
 
国際船舶制度
 1996年にわが国で導入されたもので, 所定の要件に該当する日本籍の外航船を国際船舶として位置づけ, 登録免許税や固定資産税の軽減による支援措置を講ずるとともに, 外国船員資格の受有者を船舶職員として受け入れる制度。
 
第二船籍
 国内の特定地域を, 船舶の登録のための指定地域として, 税制などの優遇措置を行う。イギリスのマン島など。







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