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2.3 一次検査のまとめ
 以上に述べた大村湾と橘湾における一次検査の結果を総合的にとりまとめ、「一次健康診断書(健康診断カルテ)」をそれぞれ作成し、図2.3.1と図2.3.2に示した。ここでは、それぞれの海湾に関する総合的な所見を述べるとともに、一次検査の基準などの妥当性について検討し、診断のためのガイドラインの改訂案を提示する。
 
2.3.1 総合的な所見
(1)大村湾
 ガイドラインに記載された診断基準にしたがえば、大村湾については、I-4(人工海岸の比率)、I-6(底層水の貧酸素比率)、II-3(透明度の変化)、II-4(赤潮発生件数)、II-5(底質)、II-6(底層水の無酸素比率)の7項目について、健康状態に問題がある可能性が指摘されたことになる。また、基準はパスしたものの、II-7(底棲魚介類の漁獲量の減少)も要注意との注釈付きとなっている。上記の項目の多くが海底付近の環境の悪化を示していることから、それに関する精密診断が二次検査の最も重要なポイントとなることは間違いない。逆に、上記の項目のうちI-4やII-3については、基準の考え方や基準値が現実的に妥当性を欠いている可能性があることが指摘された。さらに、上記には含まれていないが、I-1(分類群ごとの漁獲割合)やII-7など漁獲量の推移を基礎として診断を下す場合に、対象とする期間(年数)をどのようにするかによって結果が大きく左右される可能性がある。たとえば大村湾の場合、漁獲量が全体的に減少し始めたのは1986年以降であり、その前後の環境変化が重要な意味を持っているのかもしれない。全体的な漁獲量の推移・動向を考慮に含めながら、もう少し総合的に診断する方法を検討することが必要であろう。
 以上をふまえれば、大村湾についての総合的な所見は下記のように整理できる。
・夏季には底層水の貧酸素比率が恒常的に50%を越え、最近は無酸素域が出現している。
・1980年、1990年に比べて、底棲魚介類の漁獲量が急に減少傾向を示している。
・海岸の人工化が進行し、赤潮の発生頻度には減少傾向はみられない。
・水質はほぼ横ばいで顕著な悪化傾向は認められないが、上記のさまざまな兆候については、二次検査が必要である。
・とくに、底層水の貧酸素化の進行にかかわる要因の究明と、貧酸素化の改善方策の検討が急務である。
 
(2)橘湾
 ガイドラインにしたがえば、I-6(底層水の貧酸素化)、II-4(赤潮発生件数)、II-5(底質)の3項目について健康状態に問題がある可能性が指摘された。厳密には、I-4(人工海岸の比率)についても基準ぎりぎりで判断が難しいところがあり「要注意」などの注釈が付いているが、これらについては基準そのものにもまだ検討の余地があるといえよう。また、I-1やII-7など漁獲量の推移が診断の基礎となっている項目については、大村湾と同様の問題が残されている。さらに、橘湾の場合には、大村湾よりもさらに既存のデータや情報が乏しいため、II-3(透明度の変化)が診断不能となったのをはじめ、厳密には判定が難しい項目が多い。程度の違いはあるが、基本的には橘湾でも大村湾と同じく海底付近の環境の悪化が健康を阻害する大きな要素になっているといえる。総合的な所見をまとめると、以下の通りである。
・湾奥部の海底には有機物を多く含む底泥が沈積しており、夏に鉛直成層が発達し底層に高密度の水塊が分布するようになると、そこで溶存酸素が消費され恒常的に貧酸素化が進行するものと考えられる。
・1980年代半ばから、浮魚類と底棲魚介類の漁獲量がともに急激な減少傾向を示しており、上記の湾奥部の貧酸素化との関連が注目される。
・海岸の人工化の進行や、赤潮の発生頻度の増加にも注意が必要である。
・流入河川や湾沿岸の水質はまだ概ね良好で基準を越えるほどではないが、次第に悪化し始めており、今後の推移に注意が必要である。
・とくに、流れが停滞しやすい湾奥部には、陸から流入したさまざまな物質や赤潮プランクトンの遺骸などが集積される可能性がある。今後さらに監視を強化するとともに・底層水の貧酸素化の進行にかかわる要因の究明を進めることが必要である。
 
2.3.2 検査基準などの妥当性
 ガイドラインで設定された基準等の妥当性に関する今後の検討課題を要約すると、(1)漁獲量の推移を基準として利用する場合の基本的な考え方と、基準とする年数の設定の仕方、(2)生物の出現状況に関する指標生物種の選定やその種類数などの基準の与え方、調査時期や調査場所の選定および結果の総合的な判定の方法、(3)人工海岸の比率、潮位振幅や透明度の変化幅などに関する基準の与え方、(4)診断に必要なデータや情報が不備な場合の対応の仕方、などが挙げられる。
 (1)については、一律に最近10年間と最近3年間とを比較するだけではなく、漁獲量(とくに底棲系の漁獲量)の長期的な推移(少なくとも20年間ほど)を見ながら基準とする年代を決定するなど、ケースバイケースでの対応を可能にしておくことが必要である。ここでは長期的なトレンドにもとづいて判定する検査項目については、可能な限り過去にさかのぼってデータを収集することとし、基準とする数値については原則として20年間の平均値に対する最近3年間の動向を見ることを提案する(付録−2参照)。
 また、(2)については、ガイドラインの基準や調査手法を一定の枠内で簡素化することが必要である。海岸の生物生息状況を調査するためのガイドブックやチェックシートを準備するなどの対応を考えることとする。なお付録−1には、上記のガイドブックやチェックシートの具体的な内容に関する検討結果を添付する。
 (3)については、おそらく基準の周辺にグレーゾーンを設定するなど、「不健康」に準じた基準を導入することが有効である(この点は他のすべての項目についても検討の余地がある)。そこで、後述するように、ここでは一次検査の判定結果を「健康(または良好)」、「要注意」、「不健康(または悪化)」の3つの段階で表示することを提案する。さきに示した大村湾と橘湾の一次検査カルテについても、すでにこの3段階の判定を試みている(図2.3.1と図2.3.2)。付録−2には、改訂した判定基準とともに、東京湾、伊勢湾、大阪湾、周防灘、有明海の5海湾の一次健康診断カルテ(付表2〜6)を参考事例として提示した。
 最後の課題(4)はきわめて重要であり、この実証事業でも橘湾では重要な診断項目の一つである底層水の溶存酸素濃度や海水交換の大きさ(あるいは負荷滞留濃度)については、十分なデータ・情報が得られなかった。ガイドラインでもこの点は問題として言及されているが、全国的に展開されている公共用水域水質測定においては、特定の海域を除けば表層水の測定が主体で、底層水の測定データはきわめて少ないのが現状である。一方、水産試験研究機関(各県の水産試験場など)でも、日本沿岸の多くの海湾で定線調査を継続しているが、一般にデータの公表・開示はまだ十分とはいえず、データの共有化を進めることが当面の課題となっている。とくに、底質や底層水の溶存酸素濃度など、環境悪化の兆候がまずあらわれる海底付近の環境を恒常的に広く監視するためのネットワークの確立が急務である。
 参考までに、本事業で調査した全国の閉鎖性海湾における底層水の溶存酸素濃度データ取得の現状を、付録−3(付表7)に一括して示す。
 
図2.3.1大村湾の健康診断カルテ
 
生態系の安定性
項目 健康基準 健康レベル 項目毎の総合評価
生物組成 分類群別漁獲量の変化 B B+
生物の出現状況 A
生息空間 藻類・干潟の面積 A C+
人工海岸の割合 C
生息環境 貧酸素状態の発生 C C+
有害物質の発生 A
 
物質循環の円滑さ
項目 健康基準 健康レベル 項目毎の評価
負荷と海水交換 負荷量/滞留時間 A A
潮位振幅 A
基礎生産 透明度 C C
赤潮の発生 C
分解/堆積 底質 C C
無酸素状態の発生 C
除去能力 底生系魚介類の漁獲量 B B
健康基準 A: 健康、B: 要注意、C: 不健康
 
 
図2.3.2 橘湾の健康診断カルテ
 
生態系の安定性
項目 健康基準 健康レベル 項目毎の総合評価
生物組成 分類群別漁獲量の変化 B B+
生物の出現状況 A
生息空間 藻類・干潟の面積 A B+
人工海岸の割合 B
生息環境 貧酸素状態の発生 C C+
有害物質の発生 A
 
物質循環の円滑さ
項目 健康基準 健康レベル 項目毎の評価
負荷と海水交換 負荷量/滞留時間 A A
潮位振幅 A
基礎生産 透明度 - C
赤潮の発生 C
分解/堆積 底質 C C+
無酸素状態の発生 A
除去能力 底生系魚介類の漁獲量 B B
健康基準 A: 健康、B: 要注意、C: 不健康







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