レポート(2)
「東京都立ろう学校の統廃合問題とろう学校の在り方」
前田芳弘(東京の聴覚障害教育を考える会)
足立ろう学校と綾瀬ろう学校が統廃合され、2002年4月から葛飾ろう学校が開校しました。都立ろう学校の再編整備(統廃合)の先駆けとなりました。都は「東京都心身障害教育改善検討委員会」を2002年7月に立ち上げ、国の「特別支援教育構想」にリンクする形で、ろう学校にとどまらず東京都の障害児学校全体の再編整備を含む「都の特別支援教育」作りに取り組み始め、2003年6月にはパブリック・コメントを求めるための「中間まとめ」を公表しました。
都立ろう学校の再編整備は全く新しい局面にかわったといえるでしょう。大幅な児童生徒の減少・集団の確保対策としてろう学校だけを視野に入れて発表された1999年7月の「東京都聴覚障害教育推進構想」(以下、「推進構想」)は、養護学校での児童生徒の増加・教室確保対策と「特殊教育から特別支援教育への変更」との関連で、新たに付された包括的な「中間まとめ」(9月には最終報告)に取って代わられることになります。幼少中学部を擁する既存のろう学校の存続が決まっていたのですが、その通り今後再編整備が進む保障がなくなってしまっています。江東ろう学校、品川ろう学校、「推進構想」とは異なる「中学部の廃部」が既成事実化されつつあります。
「推進構想」は
(1)聴覚障害児の教育の場としてろう学校を中心に据える。
(2)以前から現場の要望の強かった[0、1、2歳の最早期教育の制度化]について、ろう学校幼稚部の下方延長としての制度化の方向性を打ち出す。
(3)従来の「聴覚口話法一辺倒」の理念・方法に対して、聴覚障音者のコミュニケーション手段・言語としての手話の認知を含む「コミュニケーション手段の多様化」を打ち出す。
といった積極面を持つ反面
(1)高等部の統廃合を軸とする都立ろう学校9校体制から6校体制へのリストラ。特に高等部を中央(杉並)の中高一貫「普通科普通コース」校「本科のみの進学校」と周辺(綾瀬、立川)の「普通科専門コース」校「専攻科を併設する職業教育校」へと再編して学校間・地域間の格差を導入している
(2)ろう重複児のろう学校からの締め出しを図っている
(3)制度的裏付けを欠き教員の個人的努力に依存しているという欠陥を持っていました。
「中間報告」は
(1)「複数の障害種部門を併置する学校」構想によって、聴覚障害児の教育の場としてろう学校の存在が危うくなっています。手話言語を学ぶ場としてろう児集団確保が崩れてはろう児の教育そのものが成立しなくなります。
(2)乳幼児教育相談の制度化については「拠点校の設置」に言及するだけで明らかに後退しています。
(3)9校体制から6校体制への統廃合構想をさらに強化しようとしています。
(江東ろう学校、品川ろう学校の縮小や統廃合)
このように、「特殊教育から特別支援教育へ」という美名の元、ろう教育に危機をもたらす新たな再編整備が進められようとしています。
構成8団体の東京の聴覚障害教育を考える会は次のような都への要望をまとめました。
2003年7月 日
東京都教育委員会殿
東京の聴覚障害教育を考える会
構成団体
・社団法人 東京都聴覚障害者連盟
・東京都ろう重複児者をもつ親の会
・関東聴覚障害学生懇談会
・全国ろう学生懇談会関東支部
・東京都障害児学校教職員組合
・東京都障害児学校労働組合
・トータルコミュニケーション研究会
・障害者と家族の生活と権利を守る都民連絡会
「中間まとめ」・聴覚障害教育に関しての要望
1999年7月の「東京都聴覚障害教育推進構想」(以下、「推進構想」)は、大幅な児童生徒の減少・集団の確保対策としてろう学校だけを視野に入れて発表されました。2003年6月の東京都心身障害教育改善検討委員会の「中間まとめ」は、「特殊教育から特別支援教育へ」の国の考え方の変化を受け、養護学校での児童生徒の増加・教室確保対策という都独自の背景があってまとめられた側面があります。「中間まとめ」は、都の心身障害学校および心身障害学級全体の再編整備を視野に入れており、「中間まとめ」をもとに再編整備の具体計画が出てくることになっています。考える会はこれまでも「推進構想」の問題点を指摘してきましたが、「中間まとめ」は問題点を改善するどころか、更に問題点の拡大をもたらすものです。改善を求めます。
(1)「推進構想」は、聴覚障害児の教育の場としてろう学校を中心にすえていました。しかし、「中間まとめ」は、「複数の障害種部門を併置する学校」や「障害の種別にとらわれない特別支援学校」への移行を打ち出していて、聴覚障害児の教育の場としてろう学校の存続が危うくなっています。ろう学校は手話を共通のコミュニケーション手段とする聴覚障害児の集団が学ぶ不可欠な場ですが、その存続が崩れてはろう教育そのものが成立しなくなります。聴覚障害児の教育の場としてろう学校の存在意義を明示してください。
(2)「中間まとめ」にふれている通り幼稚部小学部の子どもの通学保障については当然配慮すべきです。しかし、ろう重複児の通学保障については、まったくふれていません。ろう重複児は養護学校に行けばよい、という趣旨のようです。
しかし、手話言語環境が整ったろう学校こそろう重複児の教育の場としてふさわしいものです。ろう重複児にとっても主たる教育の場はろう学校であることを確認してください。
以上を踏まえ、ろう重複児のろう学校卒業後についても手許コミュニケーションの重要性に配慮した進路保障を求めます。
(3)「推進構想樺想」では[0、1、2歳の最早期教育(乳幼児教育相談)の制度化]の方向性を打ち出していましたが、「中間まとめ」では「拠点校の設置」に言及するだけで明らかに後退しています。差別化することなく幼稚部のある6校全ての乳幼児教育相談の制度化・充実を求めます。新生児聴覚スクリーニング事業が、関係者の危惧・反対にもかかわらず、見切り発車しようとしています。ろう学校の乳幼児相談は、ますます重要になってきます。聴覚障害者のコミュニケーションや生き方について熟知した職員の配置が必要で、そのためにも乳幼児教育相談の制度化・充実を求めます。
(4)「中間まとめ」では5年以内の障害児学校教員免許の取得や専門性の向上が課題に挙げられています。強引な強制異動の結果生じた専門性の危機、その改善が急務にもかかわらず、今、都教委から出されている新異動要綱は3〜6年で異動を強制する驚くべきものです。異動に当たって2校種以上の経験を強制する点も大きな問題があります。このような新異動要綱が実施されることになれば、免許の保有率の上昇も困難で、専門性の向上や人材育成の時間すら奪うことになります。専門性の維持すらできなくなり危機が拡大し「中間まとめ」とも整合性を欠くことになります。新異動要綱は異動サイクルの更なる短縮化を強制し校長権限の強化を狙うものです。現場で汗を流す教員の意欲をなくし専門性の危機を拡大する新異動要綱の即時撤回を求めます。
(5)聴覚障害教育の改替、専門性の向上のために上記以外の要求をあげます。
ア 高等部の地域間・学校間格差反対、3校すべてに進学・就職のいずれも可能とするカリキュラムと進路指導の態勢を。
イ 聴覚障害教育への当事者(聴覚障害者)の関与の拡大。
ウ 聴覚障害教員の採用拡大。聴覚障害者採用特別枠の導入。
エ ろう学校・難聴学級への手話の導入促進。教員の手話研修の制度化。手話の分かる教員の採用。
オ 現職聴覚障害教員の研修や会議での手話通訳者の公費派遣の充実。
レポート(3)
「ろう教育の未来への第一歩 〜人権救済申立〜」
岡本みどり(全国ろう児をもつ親の会)
1 はじめに
ろう児の『人権救済申立』の経緯と概要
2 ろう児の母語と言語権
母語の重要性
教育を受ける権利と学習権の保障
教育言語の選択権
3 日本手話の定義と位置づけ
第1言語と第2言語
発音・聞き取りは、+αで習得
ろう児のバイリンガル教育
トータルコミュニケーションの失敗から学ぶ
4 申立の趣旨
下記参照
5 申立の反響
・一般社会 書籍『ぼくたちの言葉を奪わないで!』〜ろう児の人権宣旨〜から
・報道関係者 テレビ報道・新聞報道・取材から
・学識者 教育学・言語学・通訳養成の現場から
・弁護士 研修会の依頼から
・世界のろう社会 世界からの激励メールから
・子どもと親たちの変化
6 まとめ
「人権救済申立」とろう教育の未来への展望
ろう者から学び、ろう者とともに歩む教育を実践するために
今回の人権救済申立の概要
(弁護士 小嶋勇 作成)
申立日(受付):平成15年5月27日
申立先:日本弁護士連合会(人権一課)
申立人:子供43名、親64名
申立人代理人:東京弁護士会子供の人権救済センター
弁護士小嶋勇、弁護士千葉一美、弁護士星正秀、弁護士田中秀浩
申立の趣旨(全文)
1 文部科学省は、ろう学校において日本手話による教育を受けることができないことによって、教育を受ける権利及び学習権(憲法26条)並びに平等権(憲法14条)を侵害されている申立人らを救済するため、日本手話をろう学校における教育使用言語として認知・承認し、ろう学校において日本手話による授業を行う。
2 文部科学省は、ろう学校において日本手話による授業を実施するため、
(1)ろう学校に、日本手話を理解し、使用できる教職員を適切に配置し、そうでない教職員については、日本手話を理解し、使用できるようにするための定期的・継続的な日本手話研修を行うものとする。
(2)各大学のろう学校教員養成課程に、日本手話の実技科目及び理論科目を設置し、ろう学校教員希望者は日本手話の実技科目及び理論科目を履修しなければならないこととする。 |
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申立の実情(ポイント)
1、日本手話はろう児(ろう者)の第一言語であり、母語である。
2、日本手話を教育言語として活用することでろう児の能力は十分に引き出される。
3、日本手話によって教育を受ける権利は憲法で保障されている。
4、ところがろう学校では音声日本語を活用する「聴覚口話法」によっている。
5、ろう学校における人権侵害は日々生じており、無視することはできない。
6、人権侵害の原因はろう教育において「聴覚の活用」を第一目標に掲げる文部科学省の基本的な立場にある。
7、さらに、ろう教育制度の構造的問題(教員の手話能力と配置、教員免許制度)も原因である。
8、しかし、現実に日本手話による教育(授業)を希望するろう児及び親が存在している。
9、したがって、ろう学校における教育言語として日本手話を認知すること、ろう学校で日本手話による授業を実現する制度的な整備をすることが急務である。
今回の申立に際して強調したいこと
1、現在のろう学校では生徒に日本手話を教えていないという事実。
2、ろう学校の生徒は能力が劣っているという誤解があること。
3、ろう学校の教師の多くが手話を操ることができないという事実。
4、ろう学校の教員となるために手話能力が必要とされていないこと。
5、現在までろう児及びその親が人権侵害の事実を世の中に訴える機会がなかったこと。
6、日本手話は独自の文法を持つ言語であること。
7、日本語対応手話や口話を全く否定するものではなく、日本手話による教育を求めているろう児や親が存在することから、その選択権を保障すべきことを求めていること。
レポート(4)
「水俣学に学ぶろう教育の専門性」
板垣岳人(東京都立品川聾学校)
1. はじめに
昭和31年水俣病患者の発生によって世間に知られることになった「水俣病事件」は産業活動によって環境が汚染され、食物連鎖を通して有機水銀中毒が発生したという点で公害の原点であると言われている。また、胎盤を通して有機水銀が胎児に渡り胎児性水俣病が発生することが初めて立証された重大な事件でもある。しかし、「公害」という視点だけではなく、この事件を取り巻く社会全体の振る舞いを学ぶことにより、行政・企業のあり方、社会のあり方、専門家の責務といったことを学ぶことができる。熊本学園大学・原田正純教授によれば、水俣病事件は今から100年も200年も学ぶことができる「水俣学」と呼ぶことのできる一つの学問であり、あらゆる問題をこの水俣病問題という鏡に写し出すことにより、多くを学び取ることができると言う。
「ろう教育」という一見全く関係のない「社会問題」をこの水俣病事件という鏡に写し出すことにより、問題の本質を探るとともに、解決の糸口を見つけていきたいと考えている。
2. 問題発生の予兆
社会に発生する問題を早い段階で知ることはとても重要である。早い段階であれば、被害を最小限に抑え、新たな被害を食い止めることができるからである。
2-1. 水俣病における公害の予兆
『水俣病の場合「猫が狂ったり、魚が浮き上がったり、鳥が落ちる」といった自然界の異変が公害の前触れであると長い間考えられてきた。しかし、そうではなかった。そのような異変が起きたときには既に手遅れだったのである。では、前兆とはどういったものなのか。
1979年カナダの先住民の居留地で発生した有機水銀汚染で、公害が起こる前にどのような前触れがあったのだろうか。それは、彼らのもつ伝統的な文化、生活様式が急激に破壊されているということから始まっていたのである。もちろん人間は時代とともに変わっていく。しかし、内発的な自分たちの中の力によって変化するのではなく、外からの圧力によって変化させられる。そのときに公害が発生する。それは裏返してみれば差別の存在があるのである。
水俣病問題は漁村に住む人たちに対する差別がもともとあるところに、環境破壊のしわ寄せが来て発生したのである。』(原田教授)
2-2. ろう教育における問題の予兆
ろう教育において、子どもたちの学力が著しく低い状態に陥ってしまったり、心の傷を負った子どもが多いといった問題が発生している。社会に出たろう者の中にも心の問題をもっていたり、書記日本語を習得できず、社会生活のなかで著しい不利益を被っているといった問題が今なお残っているのが現状である。水俣病に関する調査が十分な形で行われなかったために問題を大きくしてしまったように、ろう教育においても、上記のような継続的なそして適切な学力評価、全人格的成長の評価といた調査は行われていない。それはあたかも、発生している問題の本質を隠すためであるかのようである。
こうした問題が顕在化するもっとずっと前にこの問題の予兆はなかったのだろうか。日本のろう教育は川本宇之介氏らにより「口話法」という音声語に依存した日本語習得手法が推し進められ、大正・昭和初期の専門家の多くに受け入れられていった。その後昭和8年文部省により正式に採用されることによって、ろう者の教員の排除を伴って、全国のろう学校に広がっていったのである。それから現在にいたるまでろう学校において、教師は手話で教えることをせず、音声で教え、教師と生徒の意思の疎通すら十分にできない状況が続いている。当時ろう者たちは紛れもなくろう者の手話(日本手話)を使って生活をしていた。それを理解する者たちはろう者の心豊かないとなみを知っていた。大阪市立聾学校の高橋潔校長もそのひとりで、昭和8年文部省の発表の際も、ろう者にとっての手話(当時は手まねと呼んでいた)の重要性を強く主張し反対したのであった。
口話法の台頭により、ろう者の生活は著しく破壊されることになった。ろう学校では手話の使用が禁止され、手を縛られ、発声を強要された。街中で手を動かすことが罪悪であるような思いにさせられ、ろう者同士がひっそりと手話で会話するようになったのである。
昭和8年の文部省の発表を境に、日本のろう教育は口話法にまい進していくことになる。補聴器や人工内耳といった新たな技術・医療も、そうした背景から積極的に導入されていったのである。この文部省の発表は、日本手話で生活していた伝統的なろう者の文化、生活様式を著しく破壊するものであったという点で、水俣学でいう問題の予兆の要素を十分に持っていたのである。そして、そこに至る前に、既にろう者やろう者の使う手話に対する偏見が存在していたのである。そうした差別があったために「聴者こそが正常」という価値観のもとに、聴者に近づくことが理想とされ、発語・聴覚活用が重要視されていき、ろう者の言語である手話を排斥するという悲劇に至ったのである。そして注目すべき点は、水俣病患者に対する外からの差別に加えて、同じように魚を食べて水俣病を発症していた人たちの間にさえ差別が存在したということである。ろう者も聴者からの偏見に加えて、同じろう者でありながら聴者の学校に行ったり、自分は聴覚口話法で成功したと自負する、手話を知らずに育ったろう者が、日本手話を使うろう者を蔑視するという悲劇が存在しているのである。
3. 市民のあり方
「問題」は当事者が原因で当事者の中だけで発生するものでは決してない。むしろ、当事者以外の要因によって顕在化する場合が多いのである。水俣病が発見される前、多くの人たちが化学工場チッソで働き、地域全体の生活が豊かになっていた。そのため、従来からの生活をしていた漁民たちはさげすまれ、差別されていたのである。水俣病が漁民の間で際立って発症していた際も、『「あれは貧しい漁民たちの病気」と一般の市民たちは切り離し、そうした差別をすることにより、自分たちを関係ない存在と位置付けてしまった。』のである。
ろう教育において、一般市民の行ってきた行為の問題性、果たすべき役割は極めて大きい。ろう者とろう者の手話を蔑視してきたのは他でもない我々聞こえる市民なのである。手話で会話するろう者たちをじろじろと観察していた。学校においても企業においても、音声日本語の能力に重点を置いていた。聞こえないというだけで、たくさんの資格受験対象から外してきた。聞こえないろう者が車を運転する除は、補聴器の装着が、今なお義務づけられている。などなど、問題の本質がろう者の側ではなく、聴者の側にあることを多くの事例が物語っている。
では、直接的にこうしたろう者と接点がない人々はどうなのだろう。自分自身そうした立場にかつていたものとして、強く感じることがある。それは私が生きてきた同じ時代にまぎれもなくろう者が生き生活していたということだ。しかしその存在をよく知らなかったし、知ろうともしなかった。その人たちがどんな教育を受け、どういった職業につき、どんな思いをもっているのかといったことを考えたこともなかったのである。こうした「無関心」こそが、社会そのものを壊していく大きな原因なのではないだろうか。同じ時代に生きる人間として、できることはたくさんあるはずである。それはまず、隣りの人に関心をもつことから始まるのではないだろうか。
4. 専門家のあり方
専門家といわれる人たちの前に、私たちは弱い立場にある。法廷で争われるような事態になった場合も専門家の見解が重要な判断基準になり、たとえ大きな権力やお金の恩恵をその専門家が受けていたとしても、そうした人たちの言葉は重みを持ってしまうのである。
4-1.水俣病に関わった専門家の反省
「水俣病事件での大きな悲劇はこの事件を医学という専門分野、特に症状学(いくつ症状があったら水俣病と判断するか)に閉じ込めてしまったことである。」そのため多くの未認定患者が発生し、訴訟にまで至ったのである。
原田教授もそうした渦中にいた医師ではあったが、当事者意識を重視する教授はさまざまな機会を通して専門家としての見解の修正をせざるを得なくなったと述べている。
当時胎盤を毒物が通るといったことはないとされていたが、あるお母さんが直感的に「この子は私の食べた水銀が胎盤を通って中に入ったのだろう」と言った。生まれながらに水俣病に似た症状をもちながら、脳性小児麻痺と診断されていたそのお母さんの子どもと同年代の子どもの脳性小児麻痺児の多さに教授は愕然とする。調べてみると、全国の平均の実に40倍の発生率という異常な数値であることがわかったという。
ある老人はこう原田教授に聞いたという。「脳梗塞がある人は水銀の入った魚を食べても影響はでらんのかのう」それまで、環境汚染と食物連鎖による有機水銀中毒と言っておきながら、その地域全体に影響があったということに気づかず、脳梗塞などの症状の患者を水俣病の症状と異なることを理由に水俣病として認定されてこなかったのである。
行政が出した水俣病の認定結果に対し行政不服審査請求を行ってひとり立ち上がった川本輝夫氏は原田教授にこう問い掛けたという。「なぜ水俣病は昭和35年に終わっているのか」昭和38年熊大の徳臣助教授らが出した論文では「昭和36年以来新患者の発生を見ず、ようやく収束したようである」と書かれている。昭和43年までチッソにより水銀が排出されつづけていたにも関わらず、これらの専門家の見解により、水俣病事件は終わったものとみなされ、多くの人たちが新たに水銀を摂取しそして、多くの患者が水俣病と認定されなかったのである。
4-2. ろう教育に関わる専門家の価値観
ろう教育という分野もまた同じように限られた範囲の専門家が権力を持っている分野である。「オージオロジー」「聴覚活用」という価値観を強くもった耳鼻科医、教師などにより、「耳をどう使うか」という議論に終始しているのである。
耳鼻科医としてろう児の診断と言語治療を経験し、現在はろう児とその親に対して指導する立場にある田中美郷氏は1997年トライアングル専門部会の基調講演のなかで次のように述べている。「90dBの子どもは全くといっていいほど聞こえていません。言葉を聞いたことのない子どもは、脳が空っぽです。聴能訓練をしてやがて認知能力が発達してきます。この指導を始める段階が遅ければ遅いほど、前の段階で止まってしまう。」
また、元筑波大学附属聾学校教頭の馬場顕氏は2003年5月に発行された聾教育の専門冊子「聴覚障害」のなかで、次のように述べている。「たとえばここに将来臨床心理士になりたいと思っている聴覚障害者がいるとする。・・・この聾者は手話で教育を受けたため、日本語の習得が不十分で(大学)入学試験に合格する可能性は低い。このようにして、本人は、自分が描いた夢が果たせずに終わってしまうことになる。」
多くの国で、ろう者の手話を第一言語として修得し、その手話言語で教育を受けることにより書記言語を第二言語として学ぶバイリンガル教育の成果が出ているなか、どうして「手話で教育を受けたため、日本語の習得が不十分」と言えるのだろうか。その根拠はいったい何なのか、そんな例がどこにあるのか示す必要があるのではないだろうか。
こうした専門家の文を読んで分かることは、どの専門家も「聴覚活用」に固執しており、また、ろう者や手話に対する「偏見」や「差別」意識をもっているということである。
日本のろう教育は、水俣病が病状学に固執してしまったように、「聴覚活用」に固執するべきではない。もっと広い範囲の専門家と当事者であるろう者、ろう児をもつ親を交えて話し合い、根本から見直し、改善していかなければならない。
原田教授はエドワード・サイード(1935〜2003)の言葉を引用し次のように述べている。「知識人(専門家)にはどんな場合にでも2つの選択肢しかない。ひとつは弱者の側、満足に代弁できない側、黙殺された側に立つか、大きな権力の側に立つか。知識人(専門家)はその責任において、前者の側に立つべきである。学問は弱者の側に立つ学問でなければならない」
5. 行政・司法のあり方
5-1. 水俣病裁判で見えてきた司法制度
「平成8年2000人の水俣病未認定患者が関西訴訟を除き訴訟を取り下げた。一時金260万円と医療費の支給などを内容とする政府の妥協案を受け入れ、四半世紀にわたる戦いは終わった。しかし、患者たちは結局水俣病とは認められなかった。」
「この和解は患者たちにとって苦渋の選択だった。一審では患者が勝つが、国はそれを控訴していく。再び患者が勝ったら今度は最高裁にもっていく。これはおかしい。同じ力関係ならそれもいい。しかし、片方は権力もお金ももっていて、情報を集めたり、資料を集めたりするためのものすごい力をもっている。その相手と全く力のない被害者が裁判をしているのである。こんな不公平な争いなら、一回でも患者が勝てば勝ちとするべきである。そうなっていないために、引き伸ばして引き伸ばして、最後は不本意ながら和解せざるを得ないところに追い込んでいくのである。」(原田教授)
5-2. ろう教育の改善に対する法的アプローチ
2003年5月27日全国のろう児とその保護者107人が日本弁護士連合会に対して人権救済申立を行った。(レポート(4)岡本 参照)学力不足や心の問題を抱えてきた多くの日本におけるろう教育の被害者たちは水俣病患者と同じでいつまでも待っていられるわけではない。問題の重要性を行政が認識し改善されたとき既に子どもたちの多くが卒業してしまっていたらどうなるだろう。行政の側からすると、そのように訴えた側を無力化するところまで「追い込む」ことが良いと考えるのかもしれない。
ろう教育で受けた被害者たちはまだ訴訟に至っているわけではない。人権救済申立は文部科学省に対して改善勧告を出すところまでである。それを受けて、あるいはそれに至る前にどれだけ抜本的な改善ができるかが大きな問題となる。水俣病事件がそうであったように、四半世紀に渡る訴訟による争いが当事者をどれだけ苦しめたかを熟慮し、ろう教育の改善を早急に行って欲しいと切に願っている。
6.さいごに
水俣病問題を大きく解決へと進展させたのは、行政の下した判断に対して行政不服審査請求という形で戦いを挑んだ川本輝夫氏の働きではなかっただろうか。日本のろう教育において、川本宇之介氏が口話法を推し進め、ろう者に対する偏見を助長させ、70年に及ぶろう者にとっての暗黒時代をつくってしまったのとあまりに対照的ではないだろうか。
原田教授は21世紀についてこのように述べている。「水俣はあの絶望的な中から少数の人たちが立ち上がることによって状況を変えてきた。いろいろな環境汚染の現場に行ってみると今は少数だが、一生懸命頑張っている人たちがいる。だから私は希望をもっている。状況は確かに絶望的であまり良い材料はないが、やはり少数の人たちが勇気をもって立ち上がることによって状況は変わってきた。それを若い人たちに期待したい。」
私たちろう児をもつ親やろう児は社会のなかで決して多くはない。そして、ろう教育のために立ち上がった者もほんの一握りかもしれない。しかし、決してあきらめてはいけないと考えている。川本輝夫氏が立ち上がったとき、共感し、力を貸した人がいたように、ろう教育の改善を求めるろう児と親たちに対し、共に戦うために立ち上がる当事者や、何らかの行動をしてくれる人がいるはずである。今までもそうした多くの方たちによって支えられてきたように、これからもそのような方たちからの力を借りながら共に前進していきたい。
ろう児がありのままで受け入れられ、ろう児がろう児のための教育を受けられるようこれからも発信しつづけていきたい。
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