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第3分科会/討論
【レポート(1)】
「手話を大切に楽しく学ばせたい」
古家さとみ(福島県立ろう学校平分校PTA会長)
 
前田(静岡) 午前の大杉先生の話にもあったが、小さい頃から手話を取り入れることは、これから求められるところであると思う。私自身、乳幼児を指導した時、ろう者の親の子どもへの接し方、手話を使った指導で非常に子どもが伸びていった、またその周りの子どもも共に伸びていったという経験もあり、古家さんの話は非常に共感をもって聞かせていただいた。
 
【レポート(2)】
「学習したことを生活の場面に生かせる力を育む」
佐藤正明・澤亨(福島県立聾学校)
前田(静岡聾)
 
(1)手話の指導は、どうしているのか。(2)対応手話か。(3)教科指導の様子を教えて欲しい。(4)平分校では、依然キュードサインを使っていたが、指文字に替えた経緯を教えて欲しい。
 
澤(レポーター(2)) (1)職員の手話の力に合わせてグループを編成し研修している。(2)対応手話。(3)通常学級では、小学校と同じ教科書を使用し指導している。(4)コミュニケーション手段は確実性を重視している。
 
阿部(司会) (1)朝の職員打ち合わせで簡単な文でのやりとりの研修をしている。(2)対応手話。声も伴って使っている。(3)小学校に準じている。(4)口話サインを発音誘導的に使っていた。
 
佐野(千種聾) 授業以外でも指文字を使っているのか。普段のコミュニケーション方法を教えて欲しい。
 
佐藤(レポーター(2)) 手話も正しく通じ合えるように使っている。
 
佐野(千種聾) 生活の中のコミュニケーションが成り立っことから学習につながる。
 
林(群馬) 重複学級である判断は、どのようにされるのか。
 
 
只野(筑波附属) 重複障害児と判断する基準と協議方法を教えて欲しい。
 
澤(レポーター(2)) 医療機関や訓練施設等の意見も聞きながら多岐に渡って協議を進め、子どもが持てる力を十分に発揮するために何が必要か、どうしたら伸ばすことができるかを考えている。
 
東本(兵庫) (1)成人の聾者ときちんと話したことはあるか。(2)1年生以外の教育方法を教えて欲しい。(3)教科書の内容をそのまま指文字で教えているのか。
 
澤(レポーター(2)) (1)学校の情報は、同窓会を通して流れるため、行事はもちろん学校には、卒業生がよく来る。年2回PTA・同窓生・職員で懇親会を実施している。(2)学部の枠を超えて、各教科・領域ごとに教科会を組織し、系統だった指導内容を明らかにして指導に当たっている。(3)その子どもにとって一番有効で、必要としている手段を用いている。手話を使うことを学校の統一見解として打ち出した。重複学級の高学年では、指文字を多用しているが基本的な手話や文字に表して指導している。
 
【レポート(3)】
「ろう児の日本語獲得に必要なもの」
中村成子(全国ろう児をもつ親の会)
 
佐藤(山形)コメント 正高信男氏の耳の聞こえない赤ちゃんの発達過程についての記事の中に、耳が聞こえないと手を使ってコミュニケーションをとることがわかってきたという内容があったが、本能として手話が母語になることがわかる。赤ちゃん学として赤ちゃんがどのように言語を獲得していくかの研究が進んでいるが、教育も変わっていくのではないかと思っている。
 
二宮(東京) 聾学校の先生の意見を聞きたい。
 
栗原(広島) 教師は、母語がいかに大切であるかということをわかっていない。手話についてもわかっていない。その弊害は、子供にでている。自分自身も学校の現場も変わっていかなければならない。バイリンガルの専門職の人から、聞こえない人から、手話について話を聞く。そして、保護者に正しく情報を提供する。日本語の指導についてもきちんとやっていかなければならないと思っている。
 
後藤(埼玉) 息子を育てた時は口話法だけだった。日本手話で教えるのが良いということが出てきている。聞こえない人たちが、今、手話で教育を受けたかったという声がたくさん聞こえる。家の息子はどう思っているかわからないが、私がおこなった子育てが間違ったとは思っていないし、思いたくもないと思っているのかもしれない。お母さんの教育方法が間違っていたといわれるのが怖いのかもしれない。AABRで生まれたばかりで耳が聞こえないとわかって、今、教育について日本手話が良いと言っても教える場所がない。教える人もいない。まして、家庭で日本手話でコミュニケーションした方が良いと言われてもお母さんは日本手話を学ぶ場所がない。意見としては色々あると思うが、今、聞こえない子を育てている母親の立場としては、理想だけでは育てられません。親の立場も考えていただきたい。若い母親が安定して子供を育てられる環境作りが早く必要なのだと思っている。
 
中村(レポーター(3)) 現場の先生が大変だということは分かる。今までの聾教育はまちがっていた。それを今変えていくには、現実的なできることからはじめるしかない。本当に子供たちのためになる教育に変えていこうという姿勢をもっていただきたい。子どもたちのためになっているかどうかを自分に問い続けていただくことで答えは見つかると思う。
 息子が20歳まで、そういうことに考えが及ばなかった。息子の日本語は母語と言えるのかなあ、自分の気持ちが表現できているのか、という思いがあった。表現手段をもたないために、自分の母語を持たないために自分の中から外に出て行けないものがあるのではないかという感じがした。日本手話を教える人がいないといったが、日本手話を話している聾者の大人でそういう教育なり言語に関心をもっている人が望ましいが、母語が日本手話を話す人に家にきてもらう。集会所、地域センターにきてもらうとか、とにかく聞こえない大人の人、手話で話をしている人と聞こえない子どもを会わせてください。ちょっと話をしただけですぐ通じ合う。コミュニケーションが成立する。日本手話を教えるというよりは、日本手話でコミュニケーションできる人にきてもらい、子どもとコミュニケーションしてもらう。親もそれを見て覚える。ある家族は日本手話を話す人にきてもらい家族全員で日本手話で話すと決めた。そうしたら聞こえない子が3歳になった時、言語レベルは、3歳の聞こえる子どもたちの言語力と同じ、それ以上の表現力をもっていた。口話にしろ手話にしろ2歳なら2歳、3歳なら3歳の言語力、年齢相応の言語力でコミュニケーションをすることが言葉の力をつけるうえで大事なことだと思う。
 聾学校に関しては、聾学校に日本手話を母語とする教員を採用すること、大学の聾学校教員養成課程に日本手話のコースを取り入れて必須科目とすることを文部科学省に要請する必要がある。
 若い母親に安定した環境で子育てができる環境をあたえてあげることが大切、聞こえない子どもをもつお母さん方が集まって手話についてサークルを作るという事も大切である。
 
 
【レポート(4)】
「ろう児に日本語を習得させるためには?」
竹内かおり・岡本真未・小野広祐・長谷部倫子
(NPOバイリンガルろう教育センター龍の子学園)
 
東本(兵庫) 日本語対応手話だとそのまま日本語として書くことができるが、日本手話では文章に変えた時にろう者は難しいのではないか。
 
 
佐藤(宮城) 耳の聞こえる親にとっては日本語対応手話や聞こえの能力を高める訓練がよいと考える人が多いと思うがどうか。
 
竹内(レポーター(4)) 聞こえる親御さんが子どもに対して発語を求めているのはわかる。子どもにとって日本手話と日本語対応手話のどちらが大切かよく考える必要がある。ろう教育に関わる全ての人に共通しているが、非常に情報が限られている。様々な情報を平等に親たちに与えることによって、親が教育を選ぶという権利がありそのもとに日本のろう教育も変わっていく必要があると思っている。
 
只野(筑波附属) (1)日本語対応手話と日本手話の違いは何か。例えば、「いっぱい」という言葉はいろいろあるが、どのように表現しているのか。(2)日本語対応手話と日本手話をお互いに置き換えできるような方法があるのか。そこから読み書きの力をどのように組み立てるか。
 
竹内(レポーター(4)) (1)について、映像的、視覚的にとらえたものを手や動きによって表現することを日本手話のCLという。日本語と日本手話の翻訳をすることによって、どちらの概念もつかむことができる。日本手話の概念、日本手話を土台として日本語の概念を結び付けていく。(2)について、日本手話を提示してから日本語に結び付けていく、日本手話から日本語に翻訳して日本語を獲得する指導を行っている。
 
西垣(座長) 花がいっぱい、車がいっぱいの「いっぱい」は手話の文法の中にある日本手話でいうCLであるということであった。このような場合は日本語対応手話と日本手話どちらなのか判断に困ると言った質問の意味だったと思うがどうか。
 
竹内(レポーター(4)) 日本語の口形がついているからといって、それが日本手話か日本語対応手話かというのは、私自身判断しかねる。
 
東本(兵庫) 日本手話から日本語文に置き換えて書いていく指導はどうするのか。
 
竹内(レポーター(4)) 日本手話から日本語を習得する(日本手話から日本語への翻訳)学習は、幼児教室で絵日記を書いて、それに関係することを学習や遊びを通して毎日行っている。
 
【まとめ】
〜共同研究者より/第一日目〜
 
大杉 それぞれの立場で熱心なレポートがありよかった。午前中の自分の講演と共通しているものがあった。それぞれ信念を持って聾教育にあたっている。いつか心が通じ合えば、この積み重ねがあれば明るい未来が待っている。
 
鳥越 レポート(1)は、VTRで手話の実践を見せていただきおもしろかった。レポート(2)については、なかなかコミュニケーションがとれないところでの子どもの評価は難しい。手話でしっかりコミュニケーションをとれるようになれば学習障害等も分かってくる。レポート(3)については、専門家の言っていることが、必ずしも正しいとは言えない。あまり信じすぎず自分の実践や体験を大切にして欲しい。現場でどうするのかという問題も残る。レポート(4)については、フリースクールとして聾学校ではないフリースクールだからできることを考えてもらいたい。
 
【提案1】
大杉豊(全日本ろうあ連盟)
 
 昨日の2つのレポートの感想。先生と生徒、指文字で通じるといいが、生活の方も指文字になってしまい、他の聞こえない友だちと手話で通じなくなってしまうこともある。幼年少の子には指文字を控えて欲しい。手話の言語は手に習慣づけて身に付けていくものなので、手話を子どもに見せていくのが大切。モノリンガルとして手話が言語レベルでできているか?成長するに従って、学力試験などで手話から日本語への翻訳の力が大切になってくるが、それを学力と結びつけるのは難しい。例えば、算数の問題を手話でやると100%分かるとして、日本語で出題されて解けないとそれは翻訳の問題である。日本語を教えるための手話が必要。それには日本手話はどうかな?という考えもあるが、今答えがだせるものではない。
 
中村(全日ろう児をもつ親の会) 理論と実践の両方があってうまくいくと思う。「手話言語力をべースとする日本語の獲得」が(分科会の)4つの柱の(1)にあったが、なくなっている。ここでいう「手話」とは対応手話なのか日本手話なのか。
 大杉さんの言う手話とは、どっちの手話なのか?ろう学校へ導入しようとしたいのは対応手話なのか?世界ろうあ連盟はそういう日本の現状を知っているのか?日本手話を導入していることにどう評価しているのか?
 
大杉(全日本ろうあ連盟) (1)手話とは手話。対応手話はいつから始まったのか?アメリカからのMCEが対応手話に変わったのかどうか?私は対応手話があるとは思わない。基本的には手話か日本語の2つに分かれると思っている。(3)全日ろう連として、きちんとした報告はしていない。世界ろう連にいる専門家には個人的に話はしているが、具体的には報告していない。
 
中村(全日ろう児をもつ親の会) 日本手話には文法があり、50音で示すものではない。対応手話は、日本手話の文法を無視している。日本語をそのまま表している。大杉さんが「対応手話はない。」というのならそれで終わりにするしかない。
 
林(群馬) 一人一人が考える「手話」が違うため、このような場では話が混乱してしまう。日本語を話しながら手話をすると、同じ語が何回も出てきたりして混乱してしまう。手話に重点をおくと日本語が変になり、日本語に重点をおくと手話が変になる。「手話」とは何なのか議論する際にはその辺を整理しないと、議論にはならないのでは?
 
長谷川(龍の子) 日本手話で話をしている子が、日本語での学力テストで本当の学力を知るのは困難であると私も思う。日本手話の言語レベルでの発達が大切であり、すぐに日本語の習得となるのが問題であると思う。
 
【提案2】
「小学部以降の日本語指導の課題と方法」
鳥越隆士(兵庫教育大学)
 
岡崎(栃木聾) 栃木の同時法について
 日本語対応手話として始まるが、言語力が伸びたかというと疑問。視覚的に日本語を入れても日本語に結びつけることができない。0、1、2歳から手話言語を入れてある時期から日本語を教える。指文字で表された物を音として、形として認知出来るのは3、4歳まで。日本手話は音韻がない。それを日本語に結びつけるには、スピーチ、指文字が必要であると思うがどの年齢が適切なのか。
 
 
鳥越(兵庫) 指文字は早い。3歳ごろから覚える事ができる。手話とは別の表現の定義があるが、3〜4歳指文字とひらがなを結びつけるようになる。幼稚部は遊びの中から、小学部は読み書きという組織的な指導が必要。ただ、子どものコミュニケーションの力による。手話や日本語の評価のシステムがないので作る必要がある。
 
戸島(秋田) 大杉先生は手話を使ってテストができるとのことでしたが、中学部になって難しい問題を手話だけで出来るかどうか。日本語理解力の問題もあるし、自分で読み書きできる力も必要ではないか。
 
大杉(全日本ろうあ連盟) きちんと内容ができているか手話で確認している。だが、学年が進行した場合はわからない。今後の研究課題である。テストは同時進行でやっていい。
 
鳥越(兵庫) デンマークあたりでは口頭諮問に通訳が入っている。何の能力を測っているかを分ける必要がある。例えば算数の場合なら日本語の能力か算数の能力かなど。
 
西垣(司会) 小3を担当。そこでの国語では、まず文を読ませることから始める。子どもたちは本に親しんでいるので読み取る力はある。その後感想を聞く。次に、漢字や意味のおさえを行なう。登場人物の行動や心情についてを発問しながら話の詳細をつかむ、こうしたことを手話で行なうが、この発問したことをプリントで再度確認し、文章として書かせる。このように繰り返し行うことが力を高めていくことになる。
 
長谷部(龍の子) (1)日本ではバイリンガル教育をやっているところはあるか。(2)バイリンガル教育を公教育の場でやっていくか。(3)教育言語としての言語の問題をどうとらえるか。
 
鳥越(兵庫) (1)については聾学校の校長に聞くのが一番と思うが。(2)学校外でバイリンガルを行っているところがあるので、学校は利用の手だてとして教材や指導法を作って提供することでアプローチできるのでは。内部努力では変わらないが外部からの圧力で変わることもある。(3)実践の中から学び取りくみ取って成長していくことが私のスタイルである。
 
「共同研究者からのコメント」
大杉豊(全日本ろうあ連盟)
 みなさんと一緒に討議ができ、意見交換ができて、考えが合うこともあればもっと討議が必要なところもあり勉強になりました。
 基本的な考えは、ろう教育というものを切り取って考えるのではなく、社会の中でいろいろな人との結びつきを考えて行っていってほしい、学校では先生にがんばってほしいということでした。家庭で求められるものを学校でしてほしい。先生の意欲がみえれば、専門家やろうの大人も支援していく。一番大切なことは、ろう教育の現場でろうの子の言語を縛りつける権利はないということです。いろいろなかたちがあっていい。言語の核となるものがあれば、子どもたちが表してきても、うまくそれを混成して支援していけばよい。その教える力が、今ろうの現場に一番求められているものです。これから制度をどう変えていけばよいのか、東京本部事務所長として考えていきたい。
 
 
発表者 鳥越隆士(兵庫教育大学)
 信念をもって、実践の中から学びつつ成長していくというスタイルを持ちつづけようと思っています。教科と同様に、アプローチしていく実践をもっともっとしてほしいと思います。







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