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 各肋骨の位置No.、各肋骨に於ける船底傾斜角、シャフトセンターの高さ、据付ボルト(主機)の位置・・・誰でもそうですが、機械とつき合うのをキライな船大工さんはこの仕事は不向です。先に申しました主機関の前后位置は、主機台の固着ボルトと主機の据付ボルトの位置がカチ合われない様に考慮する必要もあります。之は現図場で良く調べる筈ですが図面上でも可能です(次頁参照)
 
 
 
 以上の様な型受けしたものを挽材に置いて写し、線引きをします。
 
 
 上記の様に写した上での一つの見越しの作業が有ります。それは木船は鋼船と違い進水した后は船体が前后に撓みます。(鋼船もわづかに有り)それは、各材料の若干の隙間と、木材自体の伸びです。船体は眞四角の箱型ではなく、前后が瘠せており、この分が中央より浮力が少ないので沈もう沈もうという力が働きます。その為の撓みです。その撓み寸法を予想する事が大事な訳です。・が下ると云うことは軸芯が上向きとなり、機関台の前端では芯の位置が高くなります。丘芯浮芯という大工言葉が有ります。丘芯は船が陸上で据えられたままの芯で浮芯とは船が浮んでからのシャフトセンターの事です。この船は進水したらどこ位、センターが上がるか・・・が見越しです(之は0〜10m/m以内でしょう)
 之を5m/m上げるとか、9m/m上げるとか・・・を決めて主機台の据付面とします。その上で、荒仕上げで取付け、進水后再仕上をします。進水后に、わづかの鉋かけ、れとり程度で終えるのが名人級、6〜8m/mの削りで済むものは、まづまづ。15m/m〜20m/mも削ればヘタクソとなりますね。ですから長年の経験でこの位の構造の船なら○m/mと見当が付けられる大工さんは、優秀な人でしょう。材関台で削る頃は船の建造工程が相当に進んでおり主機台搬入の為には肋骨又は甲板梁を2〜3本外にしておきます。型受で削ったものを更にくじひきで合せ密着させます。この主機台は平らな所は1ヶ所もありませんから、舩大工さんの腕の見せ所です。固着ボルトは経が25φ位で尚且、下方から打込む為に相当の難儀をします。鋼製の台となってからは鋼船と余り要領が変わりませんから、木製の時の様な苦労は少しなくなった筈です。
 軽構造船では当初から主機関台は、一部に鋼を使用しており、場合に依っては主機に取付けた材関台を直接船体に嵌込んだりする事も出来ますので、一般木船の様な方法は有りません。鋼製の構造に依る組合せで上下左右のスライドも可能です。(旧保安部の木造軽構造艇は殆んどこの様な方法です。)
 
 
 洋形木造船のフレームが全て建ち揃った姿は実に美しいと思います。NHKテレビジョンの「海のシルクロード」の印度のダウ船同様でした。然し日本のそれは、日本人的細やかさも出ている様な気がします。ダウ船は少し荒っぽい造り、ジャンクは和船と同様縫釘を使用していますが、あいの子船、日本の近来の木船と比べるとログハウスと和建築の差?あちらは何拾年もインド洋を往復しているのにこちらは10年位でボロ。立派な固着もしていないのに・・・材料が悪いのかナアーと思ったり。
 S-48年サイゴン近郊の小さなヤードは、以前、誰かが作った肋骨型板が天井梁の上に放置され、河や海には小さな舟以外は無く、反対にジャム湾の向うのタイ国は200tの堂々とした立派なトロール木造漁船で集団操業しておりました。平成一年のインドネシアでは、20年程前に日本が教えた木船技術は風化?日本留学した方は閑職でした。海には本当の木船らしいものは見当たりません。S-57年のナホドカ漁港は木船の影は全く有りません。インドネシアの国営木船工場はスハルトの政変以来、援助がなく折角の設備も遊んだまま。技術者の養成も全くないと工場長は申します。巳に木材の少ない中国ではテレビジョンで見る限り、長江を上り下りする小型船は殆んどがフェロセメント船です。
 木船の時代は過ぎたかも知れません。わづかに憶えている事を並べて見ました。







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