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万力
 小さなものは(家庭大工用店にありますが)市販で有りますが造船用は特注です。ですから全て会社のマーク入りです。
 
 
まんしゅう
 万力の大きなもので足部が自由に伸縮出来る型式です。腕長が600m 800m 1,000m 1,200m 1,500など多用に有りました。
 
 
棒ジャッキ
 
 
 和型船(主として漁船丈の経験ですが)は個人経営の小さな所程、色々と化粧を施します。残念ながら、私の育った造船場はその必要が全くなかった為、仕来りの方法・・・などは全く知りません。大和型船として大型の弁才船などは諸学者の方々が細かく詳べている様ですが仕来りを書かれたものは無い様です。やはり秘伝として消えるのでしょうか。1昨年、弁賊船に関する調査で或る船具店に居た船大工さんは、「この化粧などに関して親方から貰った本を若いやつにくれて終った・・・」と申してます。どこかに未だに有ると考えます。見習工の頃、老棟梁が唐草模様の画き方を説明してくれた事があります。断片的でよく説明が出来ませんが一定の法則が有る様でした。
 
伝馬船
 和船の時代にも現今の鋼船の時代にも必ず有る搭載艇ですが、本州と北海道の違いが見られます。之は機帆船時代から、鋼船の現在まで見て気付いたのですが、船形が違う事です。一口で申しますと本州はスマート、北海道はズングリムックリ・・・である事です。
 下棚に付けるこながしは他の和船に余り見られない北海道も伝馬船丈は使用しております。
 
本州の伝馬
北海道の伝馬
 
 この伝馬船を見習工時代、只1度造らせられた事が有ります。夏場の様でしたから、職人が漁場へ出かけていた留守の頃かと思います。長さが13尺位のものと記憶してますが、45尺位の和型漁船から見ればオモチャの様なもので2人でも持上げられるものでした。漁場に行かない時とすれば未だ17才〜18才の頃でしょう。見習も見よう見真似で何とかやるもので、老棟梁さんが見本を先造りして進み、私達が眞似る訳です。勿論小型(板図)も有ります。今迄の7寸のブナ敷材が厚1寸8分の杉、海具の1寸8分が8分・・・之を5人丈にやらせた訳です。確か10人見習工が居たのに5人と云うのは内3人程は、18才で 漁場行で他は自ら漁場志願ではなかったか・・・と思います。出漁中ですから細工場はがらんとして、小さな伝馬丈が5隻・・・。敷は追上げが切曲げ。舳は楢材の曲木、こながし無し。焼き曲げ、どの様な経過か其の頃この種の小舟用のツバノミを巳に持っておりました。隣の相棒には大きい顔して(この時ばかりは・・・)貸す訳です。ちょっといゝ気分・・・。
 只、人一倍小さい私ですから、体力的に半分、でも負けたくない。函館発6時の一番列車で出発、朝日の斜に入る細工場に入ると誰も居ない筈の所に動くものが・・・。見ると地元出の同僚がモソ〃〃と。がぜん仲間意識が出て、道具を貸したり、取付を手伝ったり、皆が出勤の頃は何食わぬ顔で朝礼に・・・。
 
 私の経験では、敷や無玉は硬い椈材だけでしたが、后には磯舟は軟らかい桂材であり、最近では大型の和船も杉材を主として使っていたと聞きました。寸法的なものは、椈材と余り変わらなかった様です。ですから工作の面では椈材のものとは又違った方法も有ったかと存じます。







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