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 私等は国道の北へは殆んど行く事は有りませんし、製材関係者も又、南へ来る必要も余り無かった様です。この造船場の西側の町はその多くがこの工場の従業員でした。(現在この海岸は200m程先が岸壁となり、工場地帯となり、製材所辺は住宅団地です。事務所と食堂丈は土地を購入した会社が当時のまゝ使っております。)・・・という事で個人経営の造船場の船大工さんとは相当違う作業形態であった筈です。極端な話ですが、職人自身が木材を探し廻るという事は無く、必要な時となればそれ等の材料は近くの棚に揃えられ、釘類は女工員か見習工が手元まで運んで来てる訳です。その上、取付けの為の小道具は不足という事が全く無く 全て揃えられていたのです。その為に戦后、近郊の造船工場が多忙となった時、あらゆる手段でこの小道具類は盗み出されました。食う為に持出した人も有るでしょう。
 次頁の図はいわゆる細工場で大正前期頃?に建てられたもので、砂地に丸太差しのコンクリート基礎は無いものと思っています。和船の所は1の間〜6の間と番号が付けられております。梁は重い船底材の吊れる様丈夫なものでした。配置は図の様に和、洋と分かれており、色々の木材はトロッコで運ばれて、材料棚へ置かれ資材は屋根うら倉庫より直に手元に置き、周壁以外は壁が有りません。ですから見張に居る総棟梁さんからは工場内は全てが見渡す事が出来ます。
 
造船工場
 
屋根裏倉庫の断面
 
 バンドソーが2基ありますので、例えば、海具の巾を挽く場合、見習工時はすぐバンドソーに持出す訳です。海具は面付材ですので巾方向は必ず削り代が出て来ます。この巾が50m/m以上の場合は、必ず挽いて、端材は色々の利用材として使います。廻り渕なども厚いので接手は挽いて載きましたがその方が楽なのです。利用材として使うために必ず挽くものは次の様なものです。
1. 海具の巾、接手、、・の切断片
2. 抜棚の巾、接手
3. 戸立の切断片、巾
 
 海具端材は落釘のダメ孔を埋めるダメを作り、支柱に使い 埋木に利用され、戸立端材もダメ埋木となります。全く利用出来ない細片は廃材へ廻しボイラーの燃料となります。各作業区域(間)の其の日に出た削り屑はその日の終業15分前にベルの合図で、こまざらいで集めモッコで廃材置場まで運びます。
 屋根うらの倉庫は、階下で造る全ての船の資材配送倉庫と云えるもので、副資材、小道具のすべてを揃えておきます。不足になれば資材庫より運びます。和船が10隻以上、洋型船、4隻以上・・・ですから、ボルト、釘、ペイントのみうち充填材料、小道具、ジャッキ、スコップ、箒、大ハンマー、かけや、万力・・・常に充填しておく為、見習工時はトロッコを押して資材倉庫より常時往復したものです。スーパーマーケットの商品棚の様なものです。建物の柱は杉丸太ですが、この柱間に下図に様な工夫がされて、和船の棚板を寄せる時や足場組に都合良く出来ています。
 
 
 
 この様に便利に出来ておりますが、どの造船場も建付はガタ〃〃のもので暖かい時は大きな曵戸を両側に開け、海辺の大気を吸って・・・なのですが 冬分は寒い西風が雪と共に隙間をくぐり入って来ます。冬は金物は全て凍り、墨壷もガチガチ、ようやく溶けた墨壷も糸を伸ばすと固いソーメンの様に固って終います。のみが折れたり、鍔のみが折れたり職人個人へも損害を与える訳です。木屑の中で仕事をしておりますから火気厳禁なので、いきおい働いて体を暖めるより、仕様のない事でした。道具の項で図を入れないものが有りましたので説明を付けます。







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