日本財団 図書館


1. 砥石の台を入れる
2. 鉋を研ぐ事を教わる
3. 鉋刃を台に合せる事を教わる。
4. 鉋台の荒、仕上の区別を教わる。
5. 鉋裏刃の合せ方を教わる。
6. ダメ切のみの柄を作る事を教わる。
7. 5分のみとダメ切のみを研ぐ事を教わる。
8. がんがり鋸の柄を作る事を教わる。
9. 鋸の柄を合せる事を教わる(柄はとりあえず市販品を支給)。
10. 指金(眞鍮でした)の大要を教わる。
 
 杉板(4分)を支給され 鉋かけ、寸法を出し、切断し、釘止・・・で道具函が出来上り、収納する。先に申した様 支給の道具は1級品でなく3級品です。この内に特にダメ切は右図の様な型で、丸い首の付いた1級品では有りません。鋸は一応目立済のものが支給された様な気がします。ハンマーは釘抜付のものと中玄能各1丁だった様です。
 之でまず鉋がけですが、相手は肋骨=椈材なのです。始めは硬くて只々鉋が材木の上を滑る丈でした。通鋸〜3丁、鉞、ちような、クルックが支給されるのは1〜2ヶ月后?だったと思います。鉞、ちようなの柄は我々自身では出来ませんので指導員がやってくれたと思います。之丈揃いますと何とか実習が出来るのです。揃ったのは1年后であったと思います。実習即、この船はカムチャッカへ持って行く事になります。
 
支給の片刃ダメ切のみ
 
 失敗して、持って行けなくなった・・・などというわけには行きません。高価な船ですから。実習?が始る頃には、更に樋のみも支給されます。船底材の矧合せ后のみうちが有るからです。この頃になりますと、職人が持っている自作の道具に見倣って道具を作ります。自由金、くじ引・・・と自然と作る事になり、町の金物店を見る事が多くなります。そうして、持っている道具の1つ1つをなるべく職人の道具の様な格好良い物へと作り替える様に、次第となって行きます。細かなものは支給が有りませんから、自分で買う事となります。見習工でも二度三度と作業を重ねますと道具の良さというものが自然と訳る様になります。
 例えば鉞の柄は、支給された時は、いたや柄の短いもので、もつとカッコの良い樫の柄が欲しくなり、手の滑らぬ様テープを巻いたり、長柄と取替えたり、遂には本体も購入したりとなります。道具の新規購入は私の場合を申しますと、ダメ切のみは3度程、鉞は二度で終っております。(一度は中古のものを譲られ、2度目は新品購入)バラメ鋸と両刃鋸(尺)を新購入、鉋は2度〜3度程、通し鋸は和船の中止后はガンガリ鋸を共に使う事が全く少くなりました。クルックは破損し外国製の中古と取替えております。釘締めも案外と頭部が減り、柄付のものを購入、片鍔が使う事が無くなった反面、丸鍔、角鍔のみが多く使われ后で購入してます。墨壷も、材料の下になってつぶして終い自作の墨壷となりました。玄能は支給のものは、品質が悪く全てつぶれて終い、小、中、大、共に新購入でした。本来之は一生使えるものですが戦中の事として鋼が少く鍛冶屋では鉄に鋼をかぶせたものであろう・・・との職人の見方でした。戦中は鋼(ハガネ)は入手困難でした。私の頃、鉞の頭部は、金敷の代用で、鉋のウラ出し、鋸の目振り、その他に使うため、厚く四角に仕上げております。
 
 
 中には不埓なヤッも居り、道具を盗む者有り。名前はなるべくグラインダーで消し難い場所を選び、注文時に鍛冶屋へ依頼する人もありました。良い道具が欲しくて密かに自宅に持って行って保管したりと、何時の世にもこの様なのが居ります。前にも書きましたが、この鉞を髭の剃れるまで研ぐ・・・と云う事は容易の事では有りません。角度も鉋程鋭角でもありませんし、刃もやゝ丸味も有ります。髭が剃れる程というのは言葉の文であって、それに近くやれと云う事の様です。一生懸命に研いで見ましたが、見習工のナマクラマサカリはそこまでは出来ませんでした。杉とか、松などは少し切れ味が落ちても何とか使う事は出来ますが硬材になりますと、材木に刃が立たずに、滑って終うのです。例えば船底材を平均3分削るとすれば2分5厘が鉞の削り代で5厘が鉋の仕上げ代なのです。所に依り1分の削り代の場合には鉞の削り代は5厘です。
 
 之等の削り代で仕上げる場合は鉞の切れが良くなければ不可能なのです。道具の項で少し申しましたが、鉞で削る量は少くないのです。三伴船の船底材は全長約45尺、厚9寸、総巾5尺を構成する各材は7〜8本(3本矧)この船底材の合せ目を全て削り仕上げて、尚厚さ面も削る所も出て来ます。ブナ材家具を見ても訳ると思いますが、全く硬いのです。
 
 この様な全身作業の船大工さんはどの様な服装であったか?と申しますと、足元=地下足袋、雪駄、板付草履・・・などで地下足袋が一番多く、屋外の雨降りはゴム長。着衣は北洋出漁時に支給される標準的な上衣と胸当ズボンのいわゆる青ナッパシャツも同様、ネルの開き衿の付かない立衿のシャツ。(之は縞模様)
 昔から云われている、草履に腹かけどんぶりという家大工スタイルでは仕事が出来ません。家大工専門の大工さんも居りましたからこの方々は古いスタイルでした。地下足袋の下敷は、多くの職人は、機械用ベルトの加工したものを使用しておりました。之は、平常の作業で、やゝもすると木材の桟木や取外した船材に丸釘や船釘が付いたまゝ放置しておく事があり、之を踏み抜くという事故が有るからです。でも作業中に之等の材木を外す場合、必ず釘を曲げておく事はお互いの注意では実施しているのですが、時には忘れる事も有るでしょう。板付草履は歩き易いのですが、作業には危険ですので止められておりました。殆んどがタオルの鉢巻か、后むすびのかぶりで、更に腰にタオルを1本下げます。頭の手拭丈では流れ出る汗を吸い切れないのです。
 現今、本を読みますと人間国宝級の人の造る、鋸、鉋、のみなどが紹介されておりますが、当時でも名の知れた道具は今以上に口コミで伝わり、注文する職人も有りますがやはり、価格は一般の数倍・・・というものであった様です。大工さんも右利き、左利きの人が居ります。道具で左利きのための特別なものと云えば鉋類に1〜2が有る丈でしょう。特に不便はない筈ですが、鉞削りと敷などの片鍔打ちは右からでも左からでも作業が出来なければなりません。例えば、鉞削りは長手方向に立ち右手側で削り易い人は右利きです。然し左側も自由に削れなければならないのです。(ゴルフであれば右も左も打てなければならない。)
 
 
 職人の鉞の削る速さは1振り1.5秒位で(之より速いのが常)削りの目巾は堅材で50〜60m/mでしょう。よく訳らないと存じますが、之は全く機会の様なもので、この頃の棟梁さん方は優にこの倍位のスピードで削って見せました。全く神技。
 船大工さんと全く同じ様に摺合せをする職業が有りました。それは据風呂の底板は小さいのですが、摺合せを行い、玄能で摺合せ面を更にだんじて(ころす・・・とも云う)竹の目釘を入れて(船大工のいうだゞらと同じ)合せるのです。但し、落釘も鎹も有りません。私の居た頃のこの造船場は曳船(2種類)と和型の土海船、起船、三伴船 丈の建造ですが、工場が出来た頃はこの他に伝馬船、磯舟、中舟、港内艇、救命艇、果は皇室の遊覧艇まで作っております。港内艇は北洋出漁時の幹部見送り用で、救命艇は関連母船とか仕込用貨物船に使うものではなかったかと思います。(救命艇はS-17まで製作していた。)
 和船以外の職場には若い職人は居りませんでした。それはそれ等の作業には熟錬工でなければ無理であったからと思います。只、戦中の為か、従来丸型むし曲げ肋骨の曳船の外には、単材肋骨のナックル型曳船が2隻程造られた様な気がします。始めて肋骨を型板に依って削る作業を手伝わされ、木ボールトを打ったり・・・。之等の洋型船は外板のペイントの乗りを良くする為に鏡の様に外板を仕上げておりました。最終には小鉋(巾1寸以下)を使い曲面、平面共にピカ〃〃にします。勿論ペイントは当時の中国塗料(株)の1級品を使います。『このむし曲げ肋骨曳船の鋲締め作業の当て盤に時々狩り出されたのが見習工です。鋼船の肋骨の鋲締は中から鋲を差し外板外面で鋲打機で締めますが、この場合は外から鋲(銅)を打ったものを、内部で締めるので、当て棒と云う径70m/m位の丸鋼の先の細い所を鋲頭に突込んで押えるのですが、鋲は4〜5φで中から中ハンマーで鋲打機の如く両手で叩く訳ですから、押さえる方は大変なんです。』
 足場が悪ければ中腰やら伸び腰でゆるめば中から叱られます。間違って別の孔でも差込んだら、打つ方は鋲は引込んで終いますから、大目玉です。
 
 途中ですがこの造船場の様子を少し申し上げます。全体で200人以上の人員でこの内、船大工職はおよそ100人位と存じます。和船用の船底材、海具は海路運ばれ、砂浜より構内へ引揚げられます。
 一度に何拾隻分もの量です。木材は近くの駅より引込線が有り、製材所へ運ばれ、貯木場へ持込み、水へ入れるのはそのまゝプールへ。副資材も引込線で入ります。曳船のエンジンも同様です。今思いますと、この構内には鉄工所というものが有りませんでした。先に申しのべた全ての金物がこの工場で造られた訳ではなく鍛冶場というものです。亜鉛メッキも施行しておりましたから、精密な工作機械は無いが木船に対する一般的な鉄工工事は間に合っていたかも知れません。この造船場の主たる働き手は船大工ですから、如何に有効に働かせるかを考えて手を休めない事、使うものは全て手先まで届ける事、競争心を煽るの様でした。釘も手元へ届け、挽材は棚へ揃え 大きい木材は、作業場入口の材料置き場に揃え、船が完了すれば雑役工が来て海辺迄曳出す・・・と進める様な配置となっておりました。大工場でありませんから構内の材料移動はトロッコです。
 
約三万坪の構内配置概略
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