航空自衛隊の次期支援戦闘機(FSX)開発計画は、大きな節目を迎え、先日、実機がロールアウト(お披露目)した。曲折を経ながら、初めての日米共同開発という難関を乗り切り、ロールアウトにこぎつけた両国技術陣の努力には敬意を表したい。しかし、FSXをめぐっては、まだまだ考えておかねばならない問題点も残されている。機会をとらえて、みんなで検討を加えていく必要があるだろう。
FSXは、日米共同開発の印象が定着しているが、十二年半前に国防会議が次期支援戦闘機の開発着手を決定したときは、国産技術で新鋭戦闘機を生み出そうとする機運が高まっていた。開発の選択肢に外国機の導入や現有機の転用をちりばめていたが、本命はあくまでも国産開発であり、政府も防衛庁も運用者の航空自衛隊も国産論で一致していた。それが、共同開発に覆ったのは、日本側の不勉強もあったが、最大の兵器市場確保を狙った米国が横車を押したからである。
しかも、国同士の協定が結ばれているにもかかわらず、米議会の反対で、枢要の技術が提供されなくなったり、予定の開発費が倍に跳ね上がるなど、表面化こそしなかったが、わが国産業界に抜き難い対米不信感さえ残した。日米の共同開発は今後必ず増えていく。いま健忘症を戒めるのは、こうした経緯を忘れると、つぎの機会に再び失敗を繰り返すと思われるからである。日米関係は重要だが、それと相手の非を糺(ただ)すこととは別である。
FSX計画は、開発計画として発足したはずなのに、いつのまにか量産を前提に作業が進められている。自衛隊の兵器システムは、ひとたび開発にかかれば、量産移行が“原則”になっている。しかし、こうした慣行が続けば、自衛隊と業界の間にある種の慣れが生じやすい。開発計画が終末段階に達すれば、量産に移行するかどうか、立ち止まって再考する姿勢がほしい。
とくにFSXについては、開発計画がスタートしたころと現在では、国際情勢が著しく変化している。FSX開発は一応の成果をあげたのだから、これは開発計画だけにとどめ、F1戦闘機の後継機は別にライセンス生産で導入する。そして、新たに国産の研究機の開発計画をスタートさせて、開発技術の継承を図っていく−といったところまで幅を広げて、その将来を検討してもらいたいと思うのである。これなら、日米関係を損なわずに、わが国独自の戦闘機開発技術も維持できるのではないか。
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