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1991/03/16 読売新聞朝刊
[社説]掃海艇派遣、また「だれかがやって」ですむか
 
 イラクがクウェート沖に敷設した機雷は、千個とも千五百個ともいわれる。いま、アメリカ、イギリス、ドイツの掃海艇が、懸命に除去に取り組んでいる。オーストラリア、オランダも参加するという。
 これまでにやっと二百五十個を処理したが、安全に航行できるようになるには、まだ半年以上かかるといわれる。日本の参加への期待が高まっている。
 日本は、かつて、終戦後の、日本周辺海域の一万個におよぶ機雷を掃海した実績を持っている。海上自衛隊の掃海技術は、世界の最高水準とされている。
 ペルシャ湾では、ふだん、タンカーなど日本関係の船舶が、一日二十隻前後も航行している。ペルシャ湾の安全は、日本自身の利益と深いかかわりがある。
 日本が、この海域の安全の回復に協力するのは、能力の点からいっても、また必要性からみても、当然である。
 法的にも問題はないというのが、政府の見解だ。八七年八月、当時の中曽根首相は「機雷の除去は武力の行使ではなく障害の排除。(ペルシャ湾への掃海艇派遣は)海外派兵にはあたらない」と述べ、自衛隊法上可能との見解を示している。
 この時は、イラン・イラク戦争のさなかだった。紛争に巻き込まれる危険性などを懸念した後藤田正晴官房長官の反対もあって、実際には「政策判断」として派遣を見合わせた。
 今回はどうか。湾岸戦争は終わった。機雷の除去は、戦争行為ではなく、戦後の復興作業の一環である。
 日本が掃海作業に参加しても、他国から攻撃される恐れはない。また、それに参加することが、社会党などが主張しているような、「集団的自衛権の行使」にあたるものでないことも、明白である。
 自衛隊の掃海艇を派遣することに反対する理由はない。むしろ率先して、海の安全を回復する国際活動に、協力する決意を表明すべきだろう。
 「なし崩しに海外派兵につながる」という反対論は、文民統制(シビリアン・コントロール)の自己否定だ。武力行使を目的にした海外派兵と、非戦闘的な国際的平和活動の区別すら、政治家がきちんと判断できないようで、どうするのだ。
 ドイツでは、今回の、北大西洋条約機構(NATO)域外への初の掃海艇派遣について、野党の社民党も「人道的支援」として支持している。憲法の理念に沿って、なすべきこと、そうでないことを、冷静に議論して行動を決めることこそ、本当の文民統制ではないか。
 アジア諸国に懸念があるようなら、日本の行動があくまでも平和な国際協力活動であることを説明し、理解を得るようにするのも、政治の責任だろう。
 「戦後の復興に協力する」ことは、野党も口をそろえて主張していたではないか。いざその具体的行動の時がくると、あれもこれも反対というのが、これまでのパターンだった。今度もまた日本は、「だれかがやってくれる」のを待つというのか。
 
 
 
 
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