1991/01/01 読売新聞朝刊
[社説]平和の構築へ具体的行動の時
二十世紀最後の十年に入った。湾岸危機、さらに、ソ連の混迷など緊張をはらんだ中での新しい時代の幕開けである。
二十世紀は、全体主義、社会主義の挑戦を退けて、自由主義と市場経済が最終的に勝利した世紀と言える。冷戦が終結して、「ボーダーレスの時代」が到来し、国際的な相互依存関係がいっそう深まった。
だが、先行きは不透明である。冷戦が終わればすぐに平和への道が開けるというのは、幻想にすぎなかったことを、現実の国際情勢が示している。
ポスト冷戦時代の新世界秩序の形成、維持に日本はいやおうなしに責任を果たさなければならない。具体的行動が問われる年である。
◆移行期の不安定要因
日本を取り巻く国際環境の変化を正しく把握しておくことが重要である。
第一に、いわゆる冷戦構造下では、米ソ両大国を盟主に、安全保障上の観点から東西両陣営内のそれぞれの「結束」がすべてに優先した。しかし、その緊張感が緩み、同盟関係は流動化、不安定化している。各国とも利己的な国益の確保を声高に主張するようになった。
日米構造協議、新多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)での激しい対立にその変化が読み取れる。ソ連は自国自体の窮迫のため旧衛星国に対する低価格の石油供給をとりやめ、今年からドル決済を求める。
第二に、民族的、宗教的、経済的な対立や利害による地域紛争の増加が憂慮される。イラクのクウェート侵攻は、そうした地域覇権を狙った顕著な例であり、このような侵略的行為を黙視すれば、国連を中心とした世界平和の新秩序構築は不可能になる。厳しい制裁措置は当然である。
中東、アジア、中南米などの第三世界の一部の国々で、時代の潮流に逆行する形で核兵器と化学兵器の拡散傾向が急速に進んでいる。冷戦時代は米ソの核抑止力で一応の平和が保たれたが、コントロールのきかない非理性的国家へのこのような兵器の拡散は、地球社会にとって極めて危険かつ深刻な問題だ。
地域紛争を抑止するために、国連の平和維持機能の強化とそれへの主要国の全面協力が不可欠である。
とくに国連憲章第七章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」に定められた侵略者に対する軍事的強制措置や、加盟国の個別的、集団的自衛権の行使等の諸条項に実効を持たせることが必要である。
左翼的な野党やマスコミは憲章第六章の「紛争の平和的解決」のみを強調するだけで、第七章の規定はまったく無視する。平素は国連中心主義を叫びながら、いざ国連に本来の機能を発揮し得る機会が訪れた時に、その機能の重要な柱である国際的安全保障確保のための武力行使とそれへの協力も、一切否定してしまうのは解せない。
◆PKOに積極参加が必要
昨年の「中東国会」での論戦を通じて明らかになったのは、かつての左翼勢力の反核、平和運動の実態が「反米」であったと同様、彼らの言う国連中心主義も日米安保体制を弱体化し、西側陣営の結束を乱すための方便に使われていたのではないか、ということである。
国連平和協力法案の廃案で、湾岸危機への適切な対応を欠いたが、国連憲章、とくにその第七章と矛盾するような憲法解釈は改めるべきだ。カンボジア和平問題解決の機運も生じている。少なくとも、国連平和維持活動(PKO)への参加はきちんと決めておくべきだ。
日本が一国平和主義のカラに閉じこもり、カネさえ出せば国際社会の一員としての義務は果たせたとして、すませるものではない。国際安全保障体制構築の急務に背を向け、鎖国体制に安住することは許されなくなるだろう。日本の国際的孤立化こそ「いつか来た道」に通じるものである。
◆日米関係を悪化させるな
日本外交の基軸は、将来的にも日米関係である。相対的に経済力が低下したとはいえ、国際政治の上ではアメリカは依然世界に対して最も影響力を持つ大国だ。軍事的に超大国であり、地政学的に他国から侵略を受ける恐れはまったくなく、自給自足も可能な資源大国でもある。かつ日本経済にとって最大の市場であることに今後とも変わりはない。
昨年の湾岸危機で米軍の中東への迅速な軍事力の展開がなかったら、世界の確認埋蔵量の六割を占め、日本の輸入量の七割に達する中東産原油がイラク覇権主義の手に落ち、日本経済は大打撃を受け、国民生活が脅かされただろう。
日米関係の将来を、ほうっておいても大丈夫と考えるのは甘い。世界最大の債務国に転落した国が最大の債権国にのしあがった日本に安全保障を提供することに、いらだち、批判の声があがるなど、アメリカの対日観はこれまでとは大きく変容している。ソ連脅威論にかわって日本脅威論が台頭している。
アメリカは第一次大戦後、ウィルソン大統領が国際連盟の結成を提唱しながら、議会や世論の反対で加盟できなかった孤立主義の歴史を持つ国でもある。
新しい世界秩序の構築に当たって、関係諸国の協力が不十分でアメリカのみに負担を押しつけるようだと、新孤立主義に向かう恐れなしとしないのである。
わが国は、既成の世界秩序の下で多くの利益を享受してきた。最大の脅威は、各大陸の経済のブロック化が行われ、保護貿易主義が強まって日本が国際的に孤立化することである。
今世紀はじめ、わが国は日英同盟を結び、それを後ろ盾に日露戦争に勝ち、第一次世界大戦では米英の側に立った。しかしその後、日英同盟を解消し、国際連盟を脱退して孤立化の道をたどり、その結果としてひたすら重武装化を進め、無謀な戦争へと突き進むことになった。学ぶべき歴史の教訓である。
◆政治指導者の役割は何か
ソ連、東欧諸国では全体主義的統治機構が崩壊した。だが、民主化の動きは未成熟で、混迷の中にある。世界にはなお一党独裁下の全体主義的社会主義国が残っている。彼らが呼称する「人民民主主義」は、われわれの考える自由なデモクラシーとはまったく無縁の体制だ。 発達した民主主義国家でも、注意すべきは大衆デモクラシーの陥穽(かんせい)である。衆愚政治に陥る危険性を内包しているからだ。
日本で議会制度がスタートした百年前、国民の一・二%、四十五万人に過ぎなかった有権者は、いま九千万人を超える。国民各層の利害が多様に絡み、また国際的にも複雑に入り組んで、ことの本質を正しく理解することは、局外にいる一般大衆にはなかなか困難な問題が多くなってきた。
理非曲直を冷静に判断して選挙民を啓発すべき政党や政治家が、本来の職責を果たそうとせず、無原則に大衆に迎合し、エモーショナルなスローガンで扇動する局面が目立つ。その弊害は日本の国際貢献のあり方や外交・防衛論争に限らず、財政、税制、福祉、エネルギー問題などで多くの矛盾を生じさせ、真に必要な施策の遂行を妨げている。
デモクラシーは世論の政治といわれるが、世論に従うだけなら政治家の指導力は必要ない。正しい理念、政策を示して国民を説得していくのが政治指導者の使命である。
湾岸危機に即応して、自衛隊員を含む国連平和協力隊派遣の大方針を決めた以上、海部首相は、その理念、哲学や世界史的視点に立った日本の使命を、政治生命と情熱を傾けて説くべきだった。
「戦争か平和か」といった短絡的、情緒的反応にうろたえて、なすべきことをなさずに、友好国を失望させるようなことでは、歴史の大きな転換期を乗り切ることは難しいのではないか。
今世紀に、欧州で二度の世界大戦を引き起こしたドイツは、欧州共同体(EC)の中核的存在となり、同国の大統領、首相は、中東危機のような事態が再発した場合、直ちにはせ参じることができるよう憲法を改正すると言明した。周辺国も好意的に受けとめている。わが国とは大きな違いだ。
わが国の左翼勢力のように国内の対立を誇大に増幅して、ことさら近隣諸国の反日感情をあおるようなやり方は不見識であり、国益に反する。
歴史は厳しく反省しなければならない。しかし、同時に近隣諸国の古い固定観念の誤りを正し、新しい局面を切り開いていく必要がある。そのためには、新秩序への国際国家としての役割と責任を主体的に果たそうとする政治的意思が何よりも肝要だ。
◆国際貢献の国家目標を示せ
国会対策至上主義的政治や既成の枠から踏み出せない官僚主導のことなかれ外交を即刻改めなければならない。今日必要なのは、立法、行政両府のトップリーダーが先見性と身を捨てる覚悟をもって、国家的施策を強力に展開することだ。
国際社会に対する貢献度の増大は、日本の発言に重みを持たせる。アメリカ、欧州諸国の外交政策には問題点も少なくないし、国益も常に日本と合致するわけではない。わが国が国際責任を果たしてこそ、言うべきことを主張することができ、国家として信頼され、尊敬もされる。
野党も、状況を冷静に把握して、柔軟に事態に対応することを考えるべきだ。「あれもダメ、これもダメ」という消去法的論議や被害者意識、弱者意識を改めて、世界的視野に立って日本のあり方について建設的な論議を深めてもらいたい。
日本が国際的責務を果たさなければ、戦後四十五年間にわたって築いてきた各国との友好関係を損ね、二十一世紀に向かって今日の繁栄を発展させていくことは困難だろう。
国際貢献の行動基準、国家目標を内外に明示することが、最大の政治的、外交的課題と言える。
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