軍需品の中で比較的に安く入手できるため「貧者の武器」ともいわれる機雷。冷戦終結後、旧ソ連などから拡散、第三世界の地域紛争で多用される。船や潜水艦で海中に敷設、敵船を撃沈するが、広い海での発見は難しく「敷設した」とアナウンスされれば、海上交通がストップしてしまう。機雷の破壊力よりも心理的な効果が大きい。
機雷には磁気、音響、水圧に反応する感応機雷、機雷に直接ぶつかって爆発する触発機雷などがあり、ワイヤでつながれ海底に沈んでいたり、海上に浮遊した状態のものがある。ワイヤでつながれた触発機雷は、掃海艇からカッターを伸ばしてワイヤを切り、海上に浮いたところを20ミリ砲で射撃して処理する。感応機雷は機雷周辺に船の音を流したり、電流を流して磁場を作って爆破させる。
日本の掃海技術が、戦後初めて海外で使われたのは1950年の朝鮮戦争だった。米軍の要請を受け、政府が国連軍への協力を理由に派遣を決定したが、日本の派遣隊内部では「北緯38度線以南の海域で、戦闘が行われていない港湾」と掃海範囲を限定した。
それから約40年後、湾岸戦争終結後、海上自衛隊がペルシャ湾に敷設された機雷を除去した。政府は「正式停戦が成立し、船舶航行の安全確保のため、遺棄されたと認められる機雷を除去する」との派遣条件を閣議で決定した。ほとんどが公海上だったが、一部はイラン、イラク領海まで入って作業した。
政府は「武力行使に当たらなければ可能」と機雷掃海を認めている。そして、今回「日本領域及び日本周辺公海上」と明確に示した。しかし「機雷という武器をつぶすのは武力行使に当たる」との声もあり、公海上では「消極的な武力行使」という疑念が付きまとう。=つづく
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