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1991/04/06 毎日新聞朝刊
[記者の目]正面切った自衛隊論議を 避難民輸送、掃海艇派遣、PKO参加・・・
◇思いつきに揺らぐ“文民統制”
 航空自衛隊の輸送機派遣に続いて浮上したペルシャ湾への機雷掃海艇出動。国連平和維持活動(PKO)への参画も、水面下でくすぶったままだ。平和協力法案以来の半年間、自衛隊が一政党の思いつきに翻弄(ほんろう)されている。こうした政界論議が、時代の曲がり角に立たされたこの組織の在り方論につながっていくとは、とうてい思えない。むしろ「海外に出したい」という自民党の一部の声が、自衛隊根幹のシビリアンコントロール(文民統制)を、その場その場で揺るがしているだけのように見える。由々しき事態ではないか。
(木村泰史・社会部)
◇「アメリカがうらやましい」
 湾岸戦争が終息して間もなく、ある防衛庁幕僚がこうぼやいた。
 「アメリカがうらやましい。あれが本当のシビリアンコントロールというもんだ。それに比べて・・・」
 ブッシュ米大統領が多国籍軍の空爆開始が早まったのをCNNテレビで知ったという出来事を指して言った言葉だった。最も重大な瞬間を軍にゆだねたのは、「後は任せた」という軍への信頼であり、自らの統帥に自信があったから、とこの幕僚には映ったようだった。
 「国際政治とはある意味で軍事そのもの。だから確固とした政治のパーツとして(政治と自衛隊)相互の信頼醸成が欠かせない」とも言う。それは、永田町に見え隠れする「とりあえず使える訓練集団」という便宜的な位置付けへのいらだちそのものだった。
 避難民移送の自衛隊輸送機C130派遣問題がにわかに決まって以後の二カ月、手を代え品を代え自民党が言い出す自衛隊による中東貢献策。シビリアンのトップ、海部首相は、その要求に何の一貫性もなくその場その場で対応し、OKサインを出してきただけのように見える。
 おそらく多くの自衛官も、自衛隊抜きで終始する自衛隊論議に、国民と同様の戸惑いを感じている。
◇実動訓練参加の予定だったが・・・
 実はC130はこの二月末、別の重要な任務に使われるはずだった。九州・四国上空で行われた日米共同訓練への初参加である。従来、単なる後方の物資輸送にとどまっていた輸送航空団の有事即応能力を高めるため導入された戦術輸送の切り札が同機。湾岸戦争で米軍側の輸送機が出払ったため、念願の実動訓練参加が巡ってきたのだ。
 当時、予定されていた中東への派遣は予備機を含めて計五機。小牧基地にある十五機のほんの数機でも訓練に回すことは可能だったし、すでにその時点で国際移住機構(IOM)から日本に派遣要請が来る可能性はなかった。
 しかし空自は、C130の訓練への参加を結局見送った。一般国民から見ればその場しのぎの命令でも、他を犠牲にしてまで応えざるを得なかった。
 彼らには初の海外派遣任務の意味合いを測る余裕はまったくなかった。むしろ「もし隊員に万一のことがあれば家族にどう言えばいいのか・・・」という、危険地帯へ部下を送り出す上官の苦悩の声を多く耳にした。
 輸送機派遣に熱心だったのは、周知の通り九十億ドル追加支援と並んで貢献策の目玉にしたい自民党だけだった。
 それでも、派遣反対運動の矛先は小牧基地に向いた。実務にあたった幹部の一人は「若い隊員は市民運動にまったく免疫がない。我々には出す出さないより、批判にさらされて彼らが仕事への誇りを見失ってしまうことの方がよほどつらい」と、任務との折り合いに苦しげだった。
 現在の幹部は発足間もなくの防衛大学校で青春をすごし、「税金泥棒」と世間から石の一つも投げられた苦い共通体験を持っている。厳しい「軍人教育」批判にさらされながら、自らの存在意義を求めて個々それぞれバランス感覚と柔軟性を培ってきた。だから一連の自衛隊活用論議とそれを取り巻く世論に制服組は、おしなべて冷静だった。
◇小牧基地ではいまだに待機中
 しかし、彼らには非情、酷薄、理不尽であっても命令とあれば自己を殺して対処する、条件反射に近い極限的なプロ意識がある。こうした存在を取り扱うシビリアンのトップに課せられた責任はそれだけに重い。命令を出したシビリアンはもう忘れてしまったのかもしれないが、待機解除命令が出ない小牧基地では、いまだにC130五機分を日常業務からはずし、黙々と待っている。
 どたばたで作った国連平和協力法案でつまずき、特例政令による輸送機派遣が機会を見失い、今度は自衛隊法の枠内で掃海艇をペルシャ湾に、という。
 確かに法的にも状況的にも輸送機派遣より実現への垣根は低いように見える。ポスト湾岸戦争への日本の果たすべきものとして、真っ向から反対しづらい側面もある。
 しかし、「掃海艇は出さない」と海部首相がいったん国会で言明している事実とはいったいどういう整合性をとるのか。政府が自民党の意向を受けて検討作業を進めるなか、海上自衛隊は態勢だけは整えつつ、シラケた目を向けている。
 「北の脅威」の警句も色あせたいま、自衛隊は平時のあり方を模索している。そこで必ず突き当たる障壁は国民との接点であり、組織を厳格にしばる自衛隊法だ。その壁を姑(こ)息に迂(う)回した、内向きの自衛隊論議が続く。国会の勢力比がどうあれ、一度は正面切った自衛隊活用の論議が避けられないはずだ。
 二十五万自衛官の最高指揮権者を一政党のごく一部の思惑が、いともたやすく操っている。海外に出せるか否かの堂々巡りにもまして、シビリアンコントロールが政治の手で揺るがされているところに、しばしば指摘される「国家危機管理不全」が凝縮されていると私は思う。
 
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