1991/04/25 毎日新聞朝刊
「破られたタブー」自衛隊掃海艇派遣/上 孤立化への恐れ
◇人的貢献、圧力強く
海上自衛隊掃海艇のペルシャ湾への派遣が二十四日決まった。戦後、一貫してタブー視されてきた「自衛隊の海外派遣」。海部首相はそれを踏み越え、初の本格的派遣という政治決断を下したことになる。大義名分は「国際貢献」と「原油輸送路の安全確保」。しかし、その陰では法的根拠のあいまいさが指摘され、これを機に海外派兵にまで発展するのではという「蟻(あり)の一穴」論議も続いている。いくつもの懸念を岸壁に残したまま掃海艇群は二十六日、船出する。
「ブッシュ大統領からは掃海艇派遣の要請は来ていないと思う。しかし相手から言われる前に、日本が派遣の意思を表明できたら評価されるのだが・・・」。四月四日の米ニューポートビーチでの日米首脳会談に同行したある外務省幹部は出発前、残念そうにこうつぶやいた。 湾岸危機・戦争で際立った人的貢献を行わなかった日本に対し、米国内では対日不信が広がり、それを払拭(しょく)することが日本外交の大きな懸案だった。この切り札が国連平和維持活動(PKO)への人的協力と掃海艇派遣で、栗山外務事務次官は訪米前に首相に「できたら首脳会談で掃海艇派遣を表明してほしい」と直談判した。国内の政治状況から首相にとっては無理な注文だったが、外務省の苦悩を印象付ける一幕でもあった。
昨年八月の湾岸危機勃(ぼっ)発以来、くすぶり続けていた掃海艇派遣問題は先月十三日、自民党の加藤政調会長が自社公民四党の政調・政審会長との会談で「掃海艇派遣について非公式ルートで米側から打診があった」と発言したのがきっかけになった。
加藤氏の発言は、実は米国政財界と太いパイプを持つ椎名素夫前衆院議員が、日本に派遣を期待する米国高官らの声を加藤氏に伝え、それが加藤氏によってややオーバーに公表されたというのが真相だった。
しかし、党内の親米派や国防族はこの発言を奇貨として派遣論議を拡大させていった。
日米首脳会談では、外務省の予想通り、ブッシュ大統領は掃海艇もPKOへの協力問題も話題に出さず、おまけに大統領は共同記者会見で「日本には憲法の制約がある」とさえ発言して日本への配慮を示した。
大統領の姿勢について日本国内では「大統領は日本の国内事情に配慮してくれた」との楽観論も出たが、むしろ「米国は、もう日本に政治的貢献を求める気はなく、いわば突き放したのだ」(椎名氏)との冷めた見方が広がった。
七月のロンドン・サミット(先進国首脳会議)では、湾岸貢献策が主要テーマになることは確実だ。サミットには湾岸戦争の“戦友国”が集う。このうち多国籍軍に参加せず日本と同様、批判の的となったドイツはすでに掃海艇派遣に踏み切っている。こうした点を考え合わせると、サミットでの“疎外感”が首相の頭をよぎったに違いない。
首相は訪米から今月六日、帰国した。八日には統一地方選の前半戦が終了したが、このころから“自衛隊嫌い”と言われてきた首相官邸内の考え方が派遣論に転換していった。
以前は「日本の掃海艇がのこのこペルシャ湾に出かけていっても、足手まといになるだけ。国民には自衛隊アレルギーがまだまだある」と、派遣に消極的だった坂本官房長官も「派遣はある意味では常識だ。日本の船が通るんだから」と姿勢を変え、慎重論の後藤田元官房長官や民社党を除く野党党首の説得に当たるなど与野党対策に動き出した。
こうした外向きの論理に加え経団連、石油連盟、海員組合などからは「日本にとって死活的な原油の確保」、「航海の安全確保」といった比較的、分かりやすい内向きの声があがるに至って、首相も「派遣やむなし」の意向を固めた。
最終的にこの「意向」が「決断」に変わったのは「世論は派遣を容認する」という官邸なりの結論からだった。坂本長官ら官邸首脳部が記者団に「掃海艇に関する社説はいつ掲載されるんだ」と逆取材するなど、世論の反発を買い廃案となった国連平和協力法案の時の反省もあってマスコミの論調には相当な気の使いようだった。
政府は派遣の法的根拠について「自衛隊法九九条(機雷等の除去)」をあげている。しかし社会、公明両党などは「法律の拡大解釈であり自衛隊法の改正が必要だ」と批判し、あいまいさを残したままの派遣強行に反発を強めている。だが首相としては、法解釈上、多少の火種を残しても、官邸独自の世論調査で、派遣賛成六二%という結果を得ていたこともあり、実力阻止などの反対運動は起こらないと判断したようだ。
自衛隊海外派遣の第一歩はこうして踏み出された。
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