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1991/01/25 毎日新聞朝刊
[記者の目]湾岸戦争、高みの見物やめよ 新思考の防衛哲学を
 
 米国など多国籍軍とイラク軍の戦闘という最悪の事態となった湾岸戦争に、「冷戦構造の崩壊」に伴う「平和」を実感しているといったらおしかりを受けるだろうか。しかし現実に、だれも日本列島が戦火に巻き込まれるという不安は持っていないだろう。冷戦時代だったら、世界戦争の恐怖に、凍りつくほどの緊張感に包まれたに違いない。このことに象徴されるように、国際社会の構図は大きく変化したのに、日本の防衛政策が変わったかといえば、答えは「ノー」である。湾岸危機以来、国際貢献が問われ続けているいまこそ、政府はポスト冷戦時代の新たな安保・防衛哲学を打ち出すべきではなかろうか。
(石原進・政治部)
◇楽観的だった防衛庁の見方
 防衛庁は湾岸戦争開戦直後から、慌ただしい雰囲気に包まれている。戦況情報の収集・分析に追われ、航空自衛隊輸送機の中東派遣の検討が始まったからだ。
 しかし開戦前、イラクの撤退期限に向けてのカウントダウンが進み、ソ連のリトアニアなどで内紛が伝えられても、防衛庁は意外なほど「平静」だった。ベーカー米国務長官とアジズ・イラク外相の会談が行われた時なども、幹部が深夜まで居残ってその行方を見守るといった光景は見られなかった。
 「イラク軍が部分撤退する可能性もある」「武力行使があるとしても、開始は二月中旬までずれ込む可能性がある」など、開戦をめぐる防衛庁の分析は楽観ムードが色濃かった。切迫感の欠如によるというのは言いすぎだろうか。
 「高みの見物ですよ」。ある幹部が漏らした一言が防衛庁の雰囲気を象徴している。冷戦構造の崩壊で、湾岸戦争もあくまで「地域紛争」になった。ソ連が紛争に介入する可能性がなくなり、日本を巻き込む「世界戦争」ぼっ発を心配する必要がなくなったというのだ。
 冷戦時代には、地域紛争といえども、その背後に必ずといっていいほど米ソの影があり、ささいな紛争が世界戦争に拡大する危険性をはらんでいた。
 世界の火薬庫といわれる中東の紛争が世界戦争に発展するという想定に基づくシナリオを、かつては防衛庁自身持っていた。キューバ危機(一九六二年)では、在日米軍とともに自衛隊も臨戦態勢の一歩手前の緊迫した状況に置かれた。冷戦時代に湾岸戦争が起きていたら、自衛隊も非常態勢がとられていたはずだ。
 八九年十二月のマルタ会談では米ソ首脳が冷戦の終えんを宣言、ドイツが統一され、東欧諸国の自由化も進んでいる。たとえソ連の国内情勢が混乱し、中東やアジアに動乱の火だねが残っていたとしても、もはや冷戦時代への逆戻りはあり得ない、というのは防衛庁内でも常識なのだ。
◇次期防から時代の変化見えず
 だが、昨年十二月に策定された次期防衛力整備計画(次期防)からは、「時代の変化」が見えてこない。
 次期防策定にあたっての政府の国際情勢認識では、昨年の防衛白書で過去十年間使ってきた「ソ連の潜在的脅威」という表現を消したのを受け、東西関係を「対話と協調の時代に移行しつつある」と位置付けた。それに代わって、「宗教上の対立や民族問題、領土問題、ナショナリズムなどに起因する地域紛争」ぼっ発の可能性を強調している。
 ところが、装備の調達計画では、世界最強の戦闘機F15やイージス艦(最新鋭ミサイルシステム搭載護衛艦)の増強、さらには空中警戒管制機(AWACS)の新規導入など、基本的には冷戦時代の路線を踏襲している。
 「国民の生命、財産を守る立場から言えば、そう簡単に方向転換はできない」「もともと必要最小限度の防衛力だから、水準を下げるわけにはいかない」
 防衛庁幹部は反論するが、軍事力は国際情勢に応じて変化するものである。そしてわが国の防衛力は、ソ連を除けば、アジアでは飛び抜けて水準が高いことは一目瞭(りょう)然なのだ。「地域紛争が激化する」と湾岸戦争に絡めて危機感をあおるとしたら、論理のすり替えでしかない。
 こうした国際環境の変化は、日本にまず、外交面での新たな課題を突き付けているといえる。アジアの大国として、広い意味の安全保障に対する責任が求められているのだ。
 在日米軍など東アジアの駐留米軍の削減が進められている中で、日本がどのようにその「力の空白」を埋めていくのか。日本の軍事力による肩代わりは、アジア諸国の対日警戒感を増し、ひいてはアジアの緊張を高めることにつながる。
 カンボジア和平でリーダーシップを発揮しているように、アジア地域の緊張緩和を目指した外交努力が必要なことはいうまでもない。それを東アジアでの安全保障の枠組み作りに発展させることも必要だろう。
 イラクの軍事大国化に武器輸出で手を貸したフランスやソ連などが批判されたが、武器拡散を防ぐために先進国に武器輸出の「歯止め」を働き掛けるのも、武器輸出三原則を掲げる日本の責任といえよう。
 冷戦構造は終わったのだから、「ソ連の脅威」に対抗することを基本に組み立てられていた日本の安保・防衛政策は根底からの方向転換が求められているのだ。
 警察予備隊の発足から四十年を経た自衛隊のあり方も再検討が必要だ。アジアの緊張緩和に必要ならば、防衛力の思い切った削減も構想されるべきであろう。
◇自衛隊の位置づけを明確に
 平和時の「軍事」をどう活用するかについて検討することが、緊張緩和の時代の国際的な潮流になりつつあるという。陸上自衛隊ではあらゆる災害の派遣体制を抜本的に再検討しているというが、災害派遣を自衛隊法上の主任務に加え、位置づけをより明確にしてはどうだろうか。
 昨秋、国連平和協力法審議を通じて自衛隊の海外派遣問題が国論を二分した。湾岸戦争のぼっ発を受けて、政府は法改正なしで湾岸の避難民輸送に自衛隊輸送機を強行派遣する構えだ。
 国際貢献の必要性を否定するつもりはないが、国民のコンセンサスなしの海外派遣は強引にすぎる。新たな時代の安保・防衛「哲学」なしに、海外派遣だけが自己目的になっているように思えてならない。
 
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