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1990/09/03 毎日新聞朝刊
[試される国際国家・中東危機と日本]/4 資源外交
◇もろい「経済安保」
 今回の中東危機は、日本経済にどんな影響を及ぼすか――。これについての経済専門家たちの分析は、楽観論一色といってよい。
 たとえば、富士総合研究所は「石油価格は一時的に一バーレル=三〇ドルを超えても長続きしない。二〇ドル前半にとどまる公算が大きい」(高木勝経済調査部長)と見る。このため、九〇年度の実質国民総生産(GNP)の伸びは、せいぜい〇・二%ダウンする程度で、四%台の成長は確保される、という。他の調査機関の見方も似たりよったり。つまり、日本経済は揺るがない、といっているのだ。
 この自信はいったいどこからくるのだろう。日本はいつ石油恐怖症から抜け出したというのだろうか。
 十七年前の第一次石油危機を振り返ってみよう。アラブ石油戦略の中心人物の一人だったサウジアラビアのヤマニ石油相(当時)は、石油メジャーのトップが「石油供給減で最も打撃をうけるのは(イスラエル支援の米国でなく)日本とイタリアだが」と首をかしげたのに対し、「承知している。意図してのことだ」と笑みを浮かべた。
 何を意図したかは、その後の日本外交が示している。当時の三木武夫副総理が特使としてアラブ各国を訪問。「油乞い外交」を展開した。日本は親アラブ色を鮮明にすることで、やっとアラブ原油を確保することができた。石油が経済安全保障上の戦略商品であることを、いやというほど味わわされた。
 ところが、いま幅をきかせているのは石油は戦略商品などではなく、ただの市況商品だという見方である。二度にわたる石油危機は、産油国にも手痛い教訓を残し、石油が戦略商品としての威力を失った、というのだ。
 最大の教訓はあまり値段をつり上げ過ぎると、先進国の省エネルギー化、代替エネルギーの開発に拍車をかけ、需要を失う。日本を例にとれば、GNPを一%引き上げるのに必要なエネルギーは、省エネにより、いまは第一次石油危機当時の半分の石油消費で済むようになった。
 また、先進国の石油備蓄は平均百日分もあり、持久力がある。日本の備蓄は第一次石油危機の直前、わずか五十三日分に過ぎなかったが、今回は百四十二日分である。
 これが産油国側の手をしばり、以前のように乱暴な価格引き上げや供給削減による石油戦略を取れなくした。少なくとも、長期の供給不足に追い込まれることはありえない、と石油専門家たちは見ている。
 日本の石油戦略も、この延長線上に組み立てられてきたといえよう。国際収支の悪化している産油国が目を向けざるを得ない巨大で魅力的な消費市場の育成、そして産油国への経済協力。その見返りに安定供給を確保する、というものだ。この経済安全保障戦略は少なくともこれまでのところ、かなりの成果をあげてきた。
 アジアの中進国はいま、大臣級を産油国に派遣して代替原油の確保におおわらわだ。しかし、必ずしも成功していない。一方、日本はイラン産原油を中心に「ほぼ年内分のメドをつけた」(通産省)。高値をつけたわけではない。産油国側から売却を申し入れてきた例すらあるのだ。
 アラブもうでをしても売ってもらえない国と、アラブがもうでる日本。この差は、原油取引の背後に、経済力があるかないかの差である。日本は日本なりの経済安全保障の目標を達成しつつあった、といってよい。この路線からすれば、中東危機への貢献策をカネで済まそうというのは、むしろ当然かもしれない。米国の不興を買っても右往左往しない覚悟さえあれば、一つの選択であろう。
 しかし、この戦略が有効なのは、危機がある段階にとどまっていればの話である。もし、戦火がサウジやアラブ首長国連邦など、湾岸全域に拡大すれば、経済力をテコにした経済安全保障などはたちまち崩れ去る運命にある。日本は両国に石油輸入量の三分の一を依存しているのだ。湾岸の油田がイラクのミサイルで破壊されれば、復旧に最低半年はかかるだろう。戦火の拡大で、ペルシャ湾の入り口、ホルムズ海峡が通行不可能になれば、日本が七割を依存する中東原油の大半がストップすることになるのは必至だ。
 都内と埼玉県の二カ所の倉庫には、第一次石油危機当時に作った石油の配給券がいまも数億枚、眠っている。「ガソリン」「灯油」などと必要に応じて印刷すれば使えるようになっている。経済力をテコにした資源外交、そして経済安保には、この配給券を廃棄できるほどの確実性はないのである。=つづく
(経済部・潮田道夫)
 
 
 
 
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