1990/09/02 毎日新聞朝刊
[試される国際国家・中東危機と日本]/3 ヨーロッパの見方
中東が欧州にとって脅威になりうる、との予感は、西欧に前々からあった。英国の歴史家ポール・ジョンソン氏は今年春、記者のインタビューに答えて「東側との軍事的緊張がなくなったあと、欧州にとっての脅威は中東になるかもしれない。とくにイラク・シリアが長距離ミサイルを手にしたときは深刻だ」と指摘。さらに「そのとき欧州は、ソ連に代わる敵を見いだし結束のチャンスにするだろう」と述べた。あまりにも早くその予言が現実化してしまった。
あるいは七月初めのNATO(北大西洋条約機構)首脳会議での議論を挙げてもよい。東西の対立が薄れたことによるNATO戦略の大転換が行われたとき、同時に地域紛争に対するNATOの新たな姿勢、とくに中東を意識した戦略の作成についても話が出たのである。「この会議で私はすでに中東の脅威を警告していた」とサッチャー英首相は述べ、「当時、NATOが域外の問題に介入するべきだというのは、あまりに行き過ぎだ、と一部から批判された。しかし、その後の出来事は、その主張の正しさを示した」と自らの先見性を誇ったものである。
あまりにも早くやってきた中東の脅威の前に、ポール・ジョンソン氏の予言通り西側は結束した。国連のイラク制裁措置を一致して支持した。だが、政治的に一つになったとはいえ、軍事的行動では結束できなかった。このため、サッチャー首相が「(欧州の)政治同盟の一環として共通の安全保障政策について雄弁に語ろうとし、いざ我々に重大な影響力のあることが現実に起こると、躊躇(ちゅうちょ)する国がある」と、暗に西独、イタリアの態度を批判した。行動ではなかなか一致できないのが西側の現状である。
だから、日本の中東貢献策について「遅くて少しの反応」(英デイリー・テレグラフ紙)と批判するのは、欧州では軍事的に素早く大量動員した英国だけである。西独やイタリアが日本批判に回ったという話は聞かないし、日本が国際的に孤立しているのでは決してない。むしろ米英が突出しているといっていい。
今回の事件に関して欧州にある日本への期待の声をつぶさに分析してみると、際立った特徴がある。日本の憲法の存在が知れわたったためか、あるいは日本の軍事力増強への懸念があるためか、日本に軍事的役割を期待する声はほとんどない。まして、自衛隊を多国籍軍に参加させよ、との主張は皆無といっていい。
日本の中東貢献策が決定された直後、英国の大衆紙「ザ・サン」は社説的コラム「サンは主張する」でこんな文を掲げた。
「ここにロンドン駐在のドイツと日本の外交使節への特別メッセージがある――米国は湾岸での行動にこれまで十三億ドルを費やした。英国も数億ドルのツケに直面している。黄金の二組(西独・日本)がどれだけ寄与するだろうか――ドイツ・マルクと日本円は喜ばれよう」
英国の大衆紙は外国に対してどぎつい表現を使って、しばしば大衆の偏見を代弁する。今回の主張は米英のようには敏感に対応しない西独、日本への皮肉を込めているが、図らずも日本に対しては軍事ではなく経済的貢献を求めていたことを示した。日本を知る英政府当局者は「我々は日本の軍事的介入を求めているのではなく、欧米の死活的利益がかかっているとして欧米が行動したとき、中東の石油に依存する日本が鋭く反応したという実績をつくってもらいたいのだ」と語った。
その「鋭く反応する」方法としてロンドン大のボイド博士(日本現代政治専攻)は「政治力」を挙げた。日本は「軍事力の反応で突出した米英と中東との間で調停者的役割を担う政治力」を求められているという。「日本の外務省は中東の紛争に巻き込まれることを嫌うだろうが、日本は政治的にも大国になっている」からだ。
日本がエネルギーの大半を中東に依存しているとき、米国だけが日本のために軍事力を行使するのはおかしい、との不満が米国にある。しかし、それは米国の論理であり、米英が自国の利益を守るために艦船を派遣したことを忘れてはなるまい。日本が米国と違った対応をしても当然である。しかも、それは軍事力でなく経済力に支えられた政治力の行使である、とボイド博士は述べる。
それには一朝有事の際だけでなく、日ごろから国際紛争に政治力を発揮する姿勢をとっていなければならない。その力があるとの評価、あるいはその力を示すべきとの期待がある。それだけ日本は大国になったといってよい。=つづく
(ロンドン支局・黒岩徹)
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