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1990/06/12 毎日新聞朝刊
[安保30年目の変質]/1 変わる米の軍事戦略
◇極東経費も日本に求める
 「仮にソ連太平洋軍の軍事的脅威がなくなったら、どうやって自衛隊の存在意義を国民に説得しますか」
 五月二日、米国防総省三階の海軍長官室でハワード海軍次官にこう切り出され、次期統幕議長の呼び声の高い佐久間海上幕僚長は面食らった。
 「ソ連の脅威が容易に消滅しないことはあなたが一番よくご存じでしょう・・・。しかし率直に言って苦しいところですね」
 「米ソの緊張緩和は一面で(両国のコントロールが利かなくなるため)地域不安定性の増大ともいえる。朝鮮半島の緊張、インド・パキスタンの軍事対立などといった事態に備えるためにも、質の高い自衛隊の維持が必要、という説明ではどうか」と同次官は助け舟を出した。「それは・・・。日本ではいまだそうしたことは米国の責任と受け取られている」と海幕長は口ごもった。
 米ソ協力の時代へと世界情勢が変わり、米アジア太平洋戦略も転換し始めた。その大きなうねりに日本は戸惑っているようだ。だがハワード次官は海上自衛隊に従来の領域防衛を越えた新たな役割を求め始めたのではない。
 四月に国防総省が発表した「アジア太平洋の戦略的枠組み」と題する報告書は、容易に移動可能な海軍力を除いて地域に駐留する米陸上、空軍力をできる限り削減する方向を打ち出している。しかし、「米軍事力の低下を補うため、日本が軍事力を増強すれば、近隣諸国は懸念を抱くだろう」と想定し「不安定要因となる日本の戦力投入能力(例えば空母導入)のいかなる向上も思いとどまらせなくてはならない」とも述べている。
 
 フィリピン外務省で五月十四日、マングラプス比外相は「米国は八八年十一月の基地貸与に伴う見返り経済援助を履行していない。すでに欠損分は二億二千二百万ドルに達している」とアーミテージ米交渉団長に訴えた。顔を朱に染め、人さし指を突き出しながらアーミテージ団長は「私はレジの隣に立って勘定をしているわけではない。貴国の尊厳と主権は値札のつくたぐいのものなのか。米軍の完全撤退を望むなら、いつでも出て行く」と言い切った。
 米比基地協定の改廃予備交渉の冒頭取材に当たっていた記者団は、このアーミテージ団長の物腰に驚いた。しかし米国が封じ込め政策の全面的見直しに入った今、見返り援助を引き出そうとするフィリピンの「基地カード」はもはや切り札になり得ないのだ。
 
 寒風が吹き抜ける三月六日、ソウル郊外の陸軍士官学校卒業式に臨んだ盧泰愚(ノ・テウ)大統領は約三百人の卒業生に「わが軍は第二の創軍の覚悟で革新を続けている。米韓安保協力を維持しつつ韓国防衛の韓国化を実現しなければならない」と語りかけた。
 悲壮ともいえる「自立宣言」の背景には在韓米軍基地三カ所の閉鎖、兵力二千人の撤収が、一方的に通告されたという事実があった。現在四万三千人規模の在韓米軍は、九六年までに主力の第二歩兵師団の「再編成」(師団根幹部の撤退)を終え、一個旅団程度を残すだけとなるだろう。韓国軍の補助的役割に移行する。
 韓国は米軍の撤収を上回るペースで韓国軍の質量両面での拡充を行うか、朝鮮半島の緊張緩和を図るかの選択を迫られている。「第二の創軍」を言う一方で、盧大統領はゴルバチョフ・ソ連大統領との電撃会談で半島の緊張緩和の可能性を追求し始めた。
 
 米国はフィリピンに対して、もはや“気前のよいアンクルサム”ではないことを分からせようとし、一方で韓国軍には自立を求め、軍事費の削減を目指している。そして米国は、アジア太平洋地域で効率的な軍事力を維持し続けるため、日本への期待を強めている。「地域防衛のため」の費用分担を日本に求めてくるだろう。「アジア太平洋の戦略的枠組み」報告書の対日関係の章は「日本は米国の安全保障努力によって、地域ではむろん、世界的にも大きな恩恵を受けており、米国が日本に一段の分担を求めるのは妥当だ」と締めくくられている。
 極東での平和維持のため米国に基地提供を定めた日米安保条約第六条。この条項は日本に一層の負担を求めるテコの役割をも果たす。「在日米軍には日本防衛に加え地域防衛の使命もある。日本防衛の直接経費を特定するのは困難」(米国防報告)という理屈が使われる。日本が自国のため必要な地域防衛を憲法的制約、周辺国の懸念などから米国に委託せざるを得ないなら、日米はそのコスト配分を論議する時期にきた――米国はそう言いだすだろう。日本が経済大国であるがゆえに日米安保は新たな米アジア・太平洋戦略の基本軸に据えられようとしている。
(ワシントン・河内孝、マニラ・小島一夫、ソウル・下川正晴)=つづく
 
 
 
 
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