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鮮魚や肉類の貯蔵に使われた中禅寺湖の天然氷
加藤 禎一
 
 「昔は時々中禅寺湖が結氷することがあって、そんな時は氷の上をソリで荷物を運んだもんだ。」という話をよく聞かされたものである。
 また、かつては中禅寺湖の氷を鮮魚や肉類の貯蔵に使ったという。事実、水産庁日光養魚場にも昭和20年代の後半までは天然氷の保蔵用に使われていたという氷庫と呼ばれる建物が残っていた。
 ここ半世紀程度の中禅寺湖しか知らない者にとっては夢のような話だが、同時にどの位の厚さの氷が張ったのかなと興味深く思ったりしたものである。
 地球温暖化が真剣に論じられている昨今の情勢を考えると、中禅寺湖で結氷が見られなくなったのもその影響の現れなのだろうかと気になる話でもある。
 この天然氷の採取に関する一連の書類が、日光支所の古い公文書の中に残っていたことが今回の調査によって判ったのである。
 当時の中禅寺湖は皇室の財産だった関係で、業者が鮮魚や肉類の貯蔵用の氷を湖から採取するには帝室林野管理局長官の認可が必要だったのである。
 氷の採取を許可するというのではなくて、氷の払下を許可するという表現も当時の世相を反映するようで興味深い。
 この書類は帝室林野管理局日光出張所公文庶務録乙編で、氷の払下の書類は大正4年度、大正5年度、大正6年度の公文書綴の中から発見された。採取場所は日光町字幸湖2483番の内の1反歩で、大尻川の中禅寺湖寄りのところに彩色された図で示されていた。払下願の提出月日と許可の条件にある3月15日までという搬出期限から、氷の切り出しは1月下旬から3月中旬までに行われていたことが推定できる。
 この公文庶務録乙編の保存期間は20年間なので普通は廃棄されている書類であり、保管されていたのは非常に幸運だったと言える。公文書で見る限り氷の払下が行われたのは大正時代だけであるが、大正7年度から9年度までと11年度から15年度については公文書が残っていないので不明である。
 払下量は大正4年度の場合は18,000貫と重量で示されていたが、大正5年度と大正6年度は何れも40坪と採氷する面積になっていた。一方、払下価格は大正4年度は1貫当たり10銭、大正5年度と6年度は1坪45銭となっているので、1坪から45貫採取出来ると判断して計算したものと思われる。
 そこで当時その場所で一体何センチ位の厚さの氷が張っていたのか参考に調べてみた。1坪から切り出した45貫の氷と氷の密度(0.92)から計算された氷の厚さは57センチだった。このことから、およそ60センチの厚さだったことが推定できた。
 過去の記録は数値そのものも貴重なものであるが、このように間接的ではあるが過去のことを推定する手がかりになることもあり貴重な資料と言えるのである。







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