[寄港地(3)]輪島―1
●輪島にある日本最大級の北前船板図(いたず)
輪島の沖合35kmに舳倉(へぐら)島がある。ここは北前航路で下関から酒田や松前に直行する船便の中間通過地点である。島には航海の安全を祈願して神社が建てられ、船を新造した船主が参拝に立ち寄ることもあった。
板図から復原した1600石(240t)積の北前船
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1600石積の北前船と「あこがれ」の大きさ比較
北前船の断面図北陸から松前に向かう下り荷
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積み荷の内訳
常苫の上荷(軽い品物)
(A)縄、ムシロ、俵、櫓(ろ)と擢(かい)など
(B)古着、雑貨など
中荷
(C)綿、タバコなど
(D)紙類、雑貨など
(E)木綿(反物)など
(F)塩、砂糖、穀類など
(G)米
底荷(重心をさげるために重い品物を積む)
(H)酒、醤油、味噌、油など
(I)屋根瓦
(J)石材(みかげ石の切石など)
神社の奉納品の1つに、1850年頃の北前船の板図(設計図)がある。そこから全長29m、1600石(240t)積みの北前船の図を復原してみた。また断面図では松前(まつまえ)(北海道)に向かう荷積みを想定している。この板図の北前船は、現存する図面の中では最大級で、当時の北前船の特徴をよく表している。
One of The Biggest Kitamae-bune Ships
In 35 kilometers off the coast of Wajima, lies Hegura Island, where people built a shrine praying for the safe voyage of the ships sailing offshore. A design drawing on a wood block of a Kitamae-bune ship was dedicated there.
This Illustration of the Kitamae-bune ship was restored on the basis of the drawing. It was one of the largest ships with an overall length of 29 meters and maximum loadage of 240 tons.
[寄港地(3)]輪島―2
●輪島塗(わじまぬり)・江戸時代のカタログ販売
日本海や瀬戸内海沿岸にある家々の土蔵の中を拝見すると、朱や黒の見事な輪島塗の膳椀(ぜんわん)を目にすることが多い。いずれも木箱に納められ、所有者と購入年月日が書いてある。宴会や行事用の器である。
輪島塗は、製造者である塗師屋(ぬしや)ごとに販売の得意先をもち、年に1〜2回出張して自品を納品し、集金し、そのとき翌年分の注文をとるというやり方であった。これを「場所まわり」と呼び、出張のときは必ず見本帳を持って回っていた。
安政7年(1860)、ある塗師屋の見本帳には、215項目の商品が並び、それぞれ寸法や色柄などのバリエーションがあり、2000種類をこえるカタログになっていた。この中から注文を取り、翌年の春から夏にじっくりと良質な漆器(しっき)を製造し、船に乗せて運んでいた。輪島塗は北前航路に沿って商圏(商売のエリア)を広げていったのである。
蔵の中の膳椀類(山形県鶴岡市加茂町の廻船問屋にて)
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●朱漆と弁柄(べんがら) 朱漆や陶磁器の顔料には朱赤の原料である弁柄が含まれている。弁柄の生産地は岡山県の山間部、吹屋(ふきや)であるが、その積み出し港は瀬戸内海の玉島である。玉島は北前航路の主要港の1つで、明治22年(1889)には約60tの弁柄が出荷されている。その内の5tが6月に加賀・能登送りになっている。6月から8月は漆塗りの最盛期であった。
Lacquer Ware of Wajima The main products of Wajima's lacquer ware were table wares such as bowls and trays. They were for important events and banquets. The lacquer ware makers visited their customers, who were rich farmers holding great land, and took orders from the catalogs in which over 2000 items were listed. They delivered the ordered goods in fall, when the harvest season was over, and collected bills. As the goods were delivered by ship, their business area was along the route of the ship.
●能登の塩づくり 能登半島の海岸は、山が海際までせり出し、渚は岩石浜になっていて入江がない。こういう地形は漁業には適さないが、山が近いので薪(たきぎ)が得やすく、古くから塩づくりをする人たちが住居を構えていた。
能登や越前の海岸では、塗り浜という方法で塩づくりをした。塗り浜とは岩石の多い磯浜に石と土で平らな地面を整地して、その上に粘土と砂で人工の砂浜をつくる方法である。そこに海水をまいて塩づくりを行っていた。塩は氷見の塩ブリやサバのコンカ漬けの保存のきく商品にも多く使われる。また日常の漬けものなど食品には欠かすことのできない品で、今日に比べ大変貴重なものであった。
塩づくりは日差しの強まる4月から10月までの間行い、閑期の冬になると、炭焼きや近畿地方の酒造りの職人・杜氏(とうじ)などとして出稼ぎにでていたのである。
塩づくりの風景
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釜屋(塩焼小屋)の内部
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塩づくりは家族で 塩士(しおし・塩をつくる人)は大半が家族経営で4〜5人で行う。塩浜は約1反歩(300坪)で、年間およそ20tの塩を生産していた |
●塩木(しおき)・大量の薪(たきぎ) 塩を焚く燃料の薪を塩木というが、1日に30〜50把(わ)、1シーズンで3000〜4000把も使う。山から1人で運べる塩木は1回に6把、薪とりは100往復以上になる。
●塩づくりの副産物 塩は置場で3日ほど置くと苦汁(にがり)がでる。苦汁も豆腐づくりの材料として商品になる。また大量の薪から生じる灰も畑の肥料として売られる。
●塩づくりの工程 塩田では、塩の付着した砂を中央の沼井(ぬい)に集め、海水をかけて塩分の濃いかん水をつくる。そのかん水を釜屋に運び、釜で水分を蒸発させて塩をとる
Salt-making Industry of Noto Peninsula In the Noto Peninsula, mountains rose sheer from the coastline and the beach was rocky. People leveled it with soil and stone and made artificial beach on it with sand and clay. Then they sprinkled seawater on that beach and made salt. Salt-making was done on fine days from April to October. During the winter time, the salt makers went out to work as brewers of sake.
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