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[寄港地(4)]金沢
粟崎神社奉納絵馬(金沢市・粟崎神社蔵)
この船絵馬は文化8年(1811)に加賀藩の海商・木屋藤右衛門が、粟崎(あわがさき)神社に奉納したものである。船は北前型弁才船で帆をみると29反、1500石(225t)を越える大船である
 
劔地八幡神社奉納絵馬の部分
(鳳至郡門前町・劔地八幡神社蔵)
慶応3年(1867)に劔地神社(つるぎじじんじゃ)に奉納された船絵馬の部分。上は逆風の帆走の様子で、下は真後ろから見たところ
 
●加賀の豪商たち
 金沢は加賀国の城下町で、幕末には人口11万人の大きな町であった。ここに物資を運んでいたのが北前船である。金沢はまた北前航路の中間地点にあたるため、北の産物を買い付け、北国米とともに大阪に送る北前稼ぎの拠点でもあった。
 加賀の主要な港は3カ所あり、それぞれに船持ちの豪商たちがいた。宮腰湊(みやのこしみなと)には、全国に34の支店を持つといわれた豪商「銭五(ぜにご)」こと銭屋五兵衛(ぜにやごへえ)、ならびに輪島屋惣兵衛(わじまそうべえ)。粟崎(あわがさき)には木屋藤右衛門(きやとうえもん)、大野湊の丸屋伝右衛門(まるやでんえもん)とそうそうたる顔ぶれが登場している。中でも木屋藤右衛門は大の船持ちで、天明6年(1786)には大阪廻りの北前船を23艘(そう)所有し、うち10艘の積載量が1000石(150t)を越え、最大1650石(248t)の船を持っていた。
 
 
銭屋五兵衛画像
(銭屋五兵衛記念館蔵)
 
●大阪の米蔵を支えた北国米(ほっこくまい)
 加賀から大阪に廻送された米は、近隣のものに加えて弘前・酒田・新潟などの米も含まれていた。大阪ではこの米を北国米と呼んでる。
 北国米の収穫が終る頃、秋も深まり北前航路は冬季休業に入る。米は翌年の3月以降の廻送となり、大阪には5月ごろ着く。5月は大阪の米問屋にとって、前年の西国米(さいごくまい)(瀬戸内〜九州の米)が底をつく時期であるため、北国米の入荷を心待ちにしていたのである。
 
反数による石数換算表
反数 石数
17 400
20 500
21 600
22 750
23 800
24 900
25 1000〜1100
26 1200〜1250
27 1300
28 1350〜1400
29 1500
30 1600〜1650
※石数×0.15=t数
 
●帆の反数と積載量の関係
 神社に奉納されている船絵馬を見たとき、帆の反数(たんすう・帯状になっている布の枚数)を数えて、表の数字に当てはめれば、その船のおよその積載量(石数・こくすう)がわかる。
 
Wealthy Merchants of Kanazawa
Located just in the center of the Japan Sea coast, Kanazawa was one of the key points of Japan Sea business area. It had three ports and at each port were wealthy merchants such as Zeniya Gohei, who had 34 branch offices throughout Japan and Kiya Toemon, who owned as many as 23 Kitamae-bune ships for Osaka.
 
Rice of Hokuriku
Rice of Hokuriku (an area in the mid Japan Sea coast) was very important for people of Osaka. Rice was transported to Osaka from both West Japan and Hokuriku area. The rice produced in West Japan arrived in Osaka in fall but the rice of Hokuriku area was not transported until the next spring because of the winter suspension of the Japan Sea route cargo service. So the new rice reached Osaka just in time when the rice from West Japan was used up.







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