第3章 さらし
現行の《さらし》は深草検校による手事物で、途中で調子替えが行われない本調子の曲である。歌詞や合の手・手事の位置から曲の構成をみると、手事物に一般的な「前歌一手事一後歌」という形ではなく、以下の7つの部分で構成されている。手事は6と7の間で、1から6それぞれの間には長短さまざまな合の手が挟み込まれる。
1. 槙の島には 晒(さら)すほそ布a 賤(しず)がしわざもb 宇治川の
波か雪かと 白妙のc いざたちいでて d 布晒すe
2. 鵲(かささぎ)の 渡せる橋の 霜よりも 晒せる布にf 白みが見え候g
3. のうのう 山が見え候 朝日山に 霞たなびくh 景色ありi
たとえ駿河の 富士はものかはj 富士はものかは
4. 小島が崎に 寄る波のk 小島が崎に 寄る波の
月の光を 映さばや 月の光を 映さばや
5. 見渡せばl 見渡せば 伏見竹田に 淀鳥羽やm
いずれおとらぬ 名所かな いずれおとらぬ 名所かな
6. 立つ波がn 立つ波が 瀬々の網代(あじろ)にoに さえられて
流るる水をばp 堰(せ)き止めよq 流るる水をば 堰き止めよ
7 .ところがらとてなr ところがらとてな
布を手毎に 槙の里人 うち連れて もどろやれ 賤が家(や)へs
各部分には次のような音楽的な性格がみられる。
1 |
・・・ |
全体に音価の長い平板な旋律からなる部分で、7つの部分の中では最も長い。 |
2 |
・・・ |
全体に音価が長めの平板な旋律が繰り返されるが、1の部分より短い。 |
3 |
・・・ |
開始部分はゆったりとした平板な旋律だが、「朝日山に」からシラビックに歌詞が進む。終止部分の「富士はものかは」は、ややゆったりとして、異なった旋律で反復される。この部分以降、歌詞の反復が多くなる。 |
4 |
・・・ |
前半・後半とも、各々歌詞を反復する。前半は旋律もほぼ同じものが反復され、後半は異なった旋律となる。全体として音価の長い、平板な旋律である。 |
5・6 |
・・・ |
当時の流行り歌を転用したと思われる、シラビックで「歯切れの良い歌」の部分である。ほぼ同じ旋律に「見渡せば〜」「立つ波が〜」の歌詞が当てられる。 |
7 |
・・・ |
短い音型が反復され、「賤が家へ」で最高音かた最低音まで下がる。音価の長い旋律とシラビックな旋律の中間的な性格を持つ。 |
以上のような構成は、もとになった北沢勾当の《さらし》が、幾つかの小歌を集めて作ったといわれる組歌から一つのテーマに基づいた長歌への移行時期の作品で、宇治川の布晒しをテーマに小曲を合の手で結び合わせたためであろう。
第2節 歌本にみる歌詞の伝承
《さらし》が初めて歌本に掲載されたのは、「恐らく、貞享年間(1684〜1688)初刊の『大ぬさ』であろう」1と言われる。以後、『大幣』『松の葉』『古今集成琴曲新歌袋』『新大成糸のしらべ』『歌曲時習考』など数多くの歌本に歌詞が掲載され、18世紀の中頃には現行に近い歌詞に定着していたと指摘2される。歌本にみられる歌詞の異同は、「仕業の」(『大幣』)と「仕業は」(『松の葉』)のように助詞の違いや、「しろみやり候」(『大幣』)と「しろみあり候」(『松の葉』)のように僅かな変化で、内容に大きな違いはない。
本稿では、以下の歌本掲載の歌詞と津田歌詞を比較し、その異同について考えたい。
『大幣』 |
元禄12年(1699) |
『松の葉』 |
元禄16年(1703) |
『姫小松』 |
宝永3年(1706)頃 |
『古今集成琴曲新歌袋』 |
寛政元年(1789) |
『新板詞並糸のしらべ』 |
寛政7年(1795) |
『増補新成つるのこえ』 |
寛政8年(1796) |
『新大成糸のしらべ』 |
享和元年(1801) |
『歌曲時習考』 |
文政元年(1818) |
『琴曲新増三津のしらべ』 |
天保8年(1837) |
『琴曲千代の壽』 |
天保13年(1842) |
歌詞に記したアンダーラインは、津田歌詞と他の歌本との異同を、『大幣』との類似性を中心に記したものである。《さらし》は歌詞の反復が多い歌であるが、前掲の歌詞は反復に関する異同を考慮せずに書いている。しかし、反復の有無と反復部分の長さは音楽的には重要なことなので、ここで簡単に反復に関する記載に触れておきたい。
反復の記載は歌本によって異なり、正確に記す場合と、省略記号を用いる場合とがある。『大幣』や『松の葉』では反復が総て省略記号で記されており、他の歌本でも「富士はものかは」「月の光を 映さばや」は省略記号のみで記される。しかし、「小島が崎に寄る波の」「いずれおとらぬ名所かな」「流るる水をば堰き止めよ」では、歌詞と省略記号の両方がみられる。『近世中世歌謡集』記載の『松の葉』では、反復が省略記号と共に( )で補われ、例えば、「いずれおとらぬ名所かな」の場合、反復記号と共に「(名所かな)」と書き加えられている。他の長い句も同様に、後半の言葉のみが書き加えられているため、編者には反復部分が歌詞の後半と捉えられているようである。しかし、津田歌詞を含め、省略記号なしに記載されている歌本では「小島が崎に寄る波の」「いずれおとらぬ名所かな」等、全体が反復されていることから、反復は後半のみではないと考えるのが妥当であろう。
一方、『姫小松』では、「ところがらとて」「月の光を映さばや」、また、『古今集成琴曲新歌袋』や『新板詞並糸のしらべ』では、「小島が崎に寄る波の」が反復されていない。「ところがらとて」「小島が崎に〜」は、似通った旋律で反復されるため、反復の有無が異なることもあり得るが、「月の〜」は異なる旋律であるところから、記載漏れの可能性も考えられよう。
さて、以上の歌詞の繰り返しに関わる異同を除き、津田歌詞と他の歌本との異同は19ヶ所ある3。表1はこれらを共通する歌本ごとにまとめたものである。
歌詞の異同は主に助詞や音韻の違いなどで、歌詞内容にはさほど違いはみられない。また、『大幣』から18世紀初頭の『松の葉』や『姫小松』に至るまでに変化した部分、更にそこから18世紀末の『古今集成琴曲新歌袋』等に至るまでに変化した部分は、それぞれ現在まで受け継がれているもので、『古今集成琴曲新歌袋』以降にはほとんど変化がみられない。津田歌詞の、g「白みが見え候」は、『大幣』『松の葉』『姫小松』の「白み」より『古今集成琴曲新歌袋』以降にみられる「白みが」に近く、m「淀鳥羽や」は『新板詞並糸のしらべ』や『増補新成つるのこえ』の「淀鳥羽は」と発音が似ている。このように、津田歌詞は全体に、『古今集成琴曲新歌袋』等、ほぼ現在の歌詞に定着したといわれる時代の歌本と類似する点が多いことがわかる。しかし一方で、数は少ないが『大幣』『松の葉』等、古い時代の歌詞も受け継いでおり、また、他の歌本に見られない独自の表現もみられることから、注目すべき伝承のひとつであるといえるのではなかろうか。
表1 津田歌詞と歌本との歌詞の異同
歌本 |
数 |
異同のみられる歌詞 |
他の歌本の歌詞 |
『大幣』と共通 |
1 |
c.白妙の |
に |
『大幣』『松の葉』と共通 |
1 |
q.立っなみが |
は(姫以降) |
『松の葉』以降の歌本と共通 |
4 |
d.いざたちいでて |
ゑ(大)、ゑい(姫) |
f.晒せる布に |
晒せ布は(大) |
h.霞たなびく |
かゝる(大)、はれゆく(姫) |
j.富士はものかは |
の山かは(大) |
『姫小松』以降の歌本と共通 |
2 |
o.瀬々の網代に |
木(大・松) |
s.賤が家へ |
やれ(大・松) |
『古今集成琴曲新歌袋』 以降の大半の歌本と共通 |
4 |
k.寄るなみの |
に(大・松・歌・千代)、は(姫) |
l.見渡せば |
見え渡る(大・松・姫) |
q.堰き止めよ |
むる(大・松・姫) |
r.ところがらとてな |
ナシ(大・松)、の(姫) |
共通するものがない |
7 |
a.ほそ布 |
麻 |
b.しわざも |
は、の(大) |
e.布晒す |
そ |
g.白みが見え候 |
があり、やり(大)、あり(松・姫・歌・千代) |
i.景色あり |
は |
m.淀鳥羽や |
も、ナシ(古)、は(新板・増補) |
P.流るる水をば |
ナシ |
|
『大幣』−大 『松の葉』−松 『姫小松』−姫 『古今集成琴曲新歌袋』−古 『新板詞並糸のしらべ』−新板 『増補新成つるのこえ』−増補 『歌曲時習考』−歌 『琴曲千代の寿』−千代
第3節 歌詞の抑揚と歌の旋律
1. 歌詞の抑揚と歌の旋律
宇治や淀・鳥羽・伏見など京都の地名が数多く織り込まれる《さらし》の旋律は、京都(あるいは関西)の言葉の抑揚とどのように関わっているのだろうか。
歌詞が当たる音を拾い出し、主に言葉の句切り・・・名詞+助詞、動詞、形容詞等・・・毎にみると、同度の連続や、長・短2度の幅で動くなど、比較的平板な旋律が多い一方、完全・増4度や完全5度の跳躍進行を含む旋律もかなり多くみられる。歌詞が現代語ではないこと、近世と現代の京言葉には違いがあることから、今では抑揚を推定しにくい言葉があることを踏まえながら、これらの旋律と言葉との抑揚の関係をみると、I.抑揚に一致する節付と、II.抑揚に一致しない節付がみられる。
I. 抑揚に一致する節付には、次の2種類があるが、全体として数は多くない。
以下、[ ]は数を、_は平板化の部分を示す。
(1)平板な言葉が平板な節付になるもの・・・霞、布、たなびく、たとえ 等
(2)抑揚のある言葉が同じ抑揚を持つ節付になるもの・・・いざ、いでて、白みが、淀、鳥羽、いずれ、流るる、手毎に 等
II. 抑揚に一致しない節付には、次の3種類がみられる。
(1)平板な言葉が上下に動く節付になるもの・・・晒す[2]、布に、寄る、駿河の等
(2)抑揚のある言葉が平板な節付になるもの・・・賤が、波か、雪かと、橋の、霜よりも、見え候、山が、見え候、山に、景色、あり、富士は[2]、波の[2]、月の、光を、映さばや[2]、月の、光を、もどろやれ等
(3)抑揚のある言葉が抑揚と反対の節付になるもの・・・島には、白妙の、たち、鵲の、名所かな[2]、等
これらの中では(1)や(3)の例は比較的少なく、特に(3)の抑揚と反対の節付は、5,6部分の流行り歌風の旋律を除けば、更に数が少ない。(2)の平板化は、京都をはじめ関西独特の抑揚を持つ言葉、例えば、「ゆき」「なみ」「やま」等が同じ高さの平板な音の並びになる場合で、かなり多くみられる。また、《さらし》では歌詞の反復が多いが、異なる旋律での反復では、「映さばや」の音がb'-b'-b'-b'-b'(1回目)とe'-e'-e'-e'-e'(2回目)のように、音高が異なるのみで両方とも平板になる例や、「見え候」「ものかは」のように一方は平板、もう一方はb'-b'-e'-e'の跳躍下行旋律という例があり、全体に平板化の傾向がみられる。
このように、現行の旋律における言葉の当たる音と言葉の抑揚とを逐一比較検討すると、言葉は抑揚に沿って節付されるというより、抑揚のある言葉も平板化される傾向が強くみられ、総じて言葉の抑揚は旋律に反映されていないということができよう。
しかし、その一方で言葉の抑揚と完全に一致はしないが、全体的な上下関係が一致する例や、旋律の反復における変化等に言葉との関連がみられる例もある。前者は譜1の「波か」のような例で、「なみ」の旋律は言葉の抑揚に対して平板化しているが、高音で始まり低音で終わるため、「なみか」という全体的な抑揚には一致するというものである。この例は、「雪かと」「橋の」「山に」「波の」等比較的多い。また、「しわざも」「細布」なども言葉の抑揚に比較的近く、この例に含まれる。
詣1
後者は、5・6のシラビックな部分にみられる。ここは当時の流行り歌の転用と考えられるところで、全く異なる歌詞がほぼ同じ旋律で反復され、言葉の抑揚と旋律とが結びつきにくい部分である。しかし、後半の「いずれおとらぬ」(5)「流るる水をば」(6)の部分では旋律は違いを見せ、各々の言葉の抑揚と一致する。
以上のように、全体として言葉の抑揚は旋律に反映せず、平板化の傾向が強いが、僅かながら抑揚と一致するものがあること、全体的な抑揚との類似はかなりみられること、抑揚に逆らう節付は少数であることから、京都(あるいは関西語圏の人)にとって、《さらし》の旋律は、言葉の抑揚の点で違和感が少ない旋律となっているのではないかと考えられる。
2. 歌にみられる定型旋律と旋律パターン
歌詞の当たる音は譜2のような平板な旋律となったり、譜3のようなより動きの多い旋律となるなど、様々に展開する。こうした旋律全体の動きを、「渡せる橋の」「晒せる布に」など言葉のまとまりで捉えると、比較的、後半の旋律に動きが多いことがわかる。特に譜4のように、前半は平板旋律、後半は音を飾りながら完全4度あるいは増4度・完全5度下行する旋律、という組み合わせは、1・2・3・4・7の部分にかなり多くみられるため、ひとつの旋律形成の型(以下、本章では〈パターン〉)と捉えることができる。5・6の部分にはこれがみられないが、ここは全く性格が異なる流行り歌の部分であるからであろう。
譜2
譜3
譜4
譜5
この〈パターン〉やその他の部分で旋律が下行する場合には、特定の音型(=定型旋律)が用いられることが多い。《さらし》にみられる定型旋律は詳細に見ると、a.完全・増4度や完全5度を音価の短い順次進行で結ぶもの(譜5)と、b.完全・増4度の跳躍下行進行の前に旋律が下行や上行の装飾的な動きをするもの(譜1)の2種類に大別できる。aは後半を中心に全体を通して、bは主に前半の1や2の部分に用いられる。この形もシラビックに歌詞が進行するリズミカルな部分には用いられていない。
歌詞との関連から《さらし》の旋律をみると、歌詞の最後のシラブルの音の後で完全4度・増4度や短2度下行する形も特徴的である。前者は譜6の「富士はものかは(1回目)」をはじめ、「たちいでて」「霜よりも」「景色あり」「映さばや(1回目)」「月の光を(2回目)」に、後者は、「槙の島には」(譜4)「堰き止めよ(2回目)」「ところがらとてな」等、比較的多数の例がある。この終止の形は一種の旋律の装飾法と捉えることもできるが、付随する三味線の手と関連がありそうである。
詣6
以上、旋律を構成する一要素である旋律のパターンや定型旋律という観点から《さらし》の旋律について述べてきたが、《さらし》では特定の旋律のパターンや定型旋律がかなり多用されているため、これが歌詞の抑揚の平板化や、言葉の抑揚への配慮を減じる一因であると捉えることもできよう。
3. 歌詞と旋律の反復
《さらし》は3の部分以降、歌詞や旋律の反復が多い。この反復の形を見ると、
・「富士はものかは」・・・1回目はb'音で開始する〈パターン〉とe'音で開始する定型旋律(e'-d'-b)。2回目はe'音の平板旋律。( 譜6参照)
・「小島が崎に寄る波の」・・・b'音で開始する〈パターン〉を反復。
・「月の光を映さばや」・・・1回目の前半はe'音の平板旋律、後半はb'音開始の〈パターン〉、2回目は定型旋律、後半は定型旋律を含む装飾的なe'音中心の平板旋律。
・「見渡せば」「立つ波が」・・・同じ旋律の反復。
・「いずれおとらぬ名所かな」「流るる水をば堰き止めよ」・・・反復は部分的に異なる旋律。
・「ところがらとてな」・・・〈パターン〉を反復。
5・6の部分以外では、〈パターン〉が多くみられる。〈パターン〉は反復にも用いられるが、1回目には必ず用いられている。また、〈パターン〉は「富士は〜」や「映さばや」のように、七五などの言葉の締めくくり部分で、e'を中心とした平板旋律とも結びついている。この用い方は反復部分だけでなく、1や2の部分でもみられるので、これも旋律の組み合わせ方の一種なのかもしれない。
以上、歌詞に焦点を当てた歌の旋律についての検討からは次の点が指摘できる。
(1)歌詞の抑揚は基本的に歌には反映していない。
(2)全体に平板な旋律と定型旋律が多く、それらが組み合わされた〈パターン〉の形になることが多い。
(3)七五などの言葉のまとまりの最後では〈パターン〉と平板な旋律が組み合わされる例も複数例ある
(4)流行り歌を取り入れたとみられる部分は全く〈パターン〉が見られず、他の部分とは異なる旋律構成である。
|