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<事例――ドリーンとベス>
 乳がんで緩和ケア病棟に入院してきた82歳のドリーンは、若い頃から伝道活動で世界中を駆け回って過ごした女性である。入院してからも、症状が治まってくると体調の許す限り病院内のチャペルに出かけることを日課としていた。彼女は歌うことを夢にまで見ながらも、小学校の音楽教師の「あなたは声を出さないで、口だけを動かしていなさい」という一言で、人前で歌うことを断念したという。
 彼女の希望でチャプレンと私が訪問すると、家族のいない彼女は、必ず彼女の好きな聖歌「君はわれの幻」をリクエストしては、この曲がこれまでどれほど彼女の生と死を見つめる過程で重要な役割を果たしてきたかを話してくれた。彼女はいつも目をつぶり口だけを動かしながら音楽とともに時を過ごしていた。また、彼女は緩和ケア病棟で行われる月2回の音楽コンサートには体調が許す限り毎回参加し、そこで出会う患者たちと話をすることを楽しみにしていた。
 一方、先天性代謝異常により足のむくみがひどく、さらに肺炎を起こして集中治療室に運ばれた55歳になるベスは、症状が安定するとリハビリ病棟に移ってきた。彼女は若い頃に男性から女性へと性転換手術をしており、それにより母親以外の親族、友達とは絶縁状態で生きてきた女性であった。また、若いころに統合失調症(Schizophrenia)と診断され、時折起こる幻聴症状を自覚していた。リハビリ病棟に移されたとはいえ、ほとんどベッドの中で一日を過ごすことが多く、閉じこもりがちになる彼女を、私は緩和ケア病棟で行われる音楽コンサートに誘ってみた。彼女はしぶしぶながらも、好きなジャズやブルースが聴けるならということで、その夜ボランティアと共に緩和ケア病棟へやってきた。
 一見すると人生経験のまったく違うドリーンとベスは、音楽を鑑賞するという共通な目的を通じてその夜席を一緒にし、音楽やボランティアの提供するお茶やクッキーを楽しんだ後、患者の立場でなければ見えてこないような病院の出来事などを、「そうだ、そうだ」とうなずきながら意気投合していた。ベスの車椅子を押しながらリハビリ病棟に戻る際、ベスは私にドリーンが美しい小さい声で歌を歌っていたことを教えてくれた。
 後日、私がそれをドリーンに伝えると、彼女は少し驚いたような表情の中にも、まんざらでもない笑みを浮かべていた。それから徐々にドリーンの訪問のたびにチャプレンと私が歌っていた聖歌を彼女も参加して歌うようになっていった。それをベスに伝えると、今度は彼女もドリーンの歌声を聴きたいと言い出して、ドリーンの了承を得て、ベスが緩和ケア病棟を訪れてセッションを行うようになった。お互いに一人暮らしをしていた彼女たちは、ちょうど親子ほどの年齢で、お互いが自分の母親や娘を思い出すということも互いを近づける要因になったかもしれない。互いのスケジュールやそのときの状況を照らし合わせながら私たち3人、時にはチャプレンや、他の緩和ケア病棟の医療スタッフやボランティアも立ち寄るようになるオープンなセッションとなっていった。その中では、皆がそれぞれお互いに、「今日は○○さんに贈る曲」などとタイトルをつけながら、歌ったり、演奏したりということが含まれ、ついにはドリーンが自分から「今までこんな美しい私の声をしまいこんでいたとは何ともったいないことをしたか・・・」などと、皆を笑わせる場面もあった。
 そんな中で私たちの間には、お互いのつながりを感じる暖かさが育っていったが、ベスの退院が決まり、近い将来にやってくる別れの寂しさが漂っていた。ドリーンはそんな気持ちをオープンに私たちに話しながら、ベスに向かって彼女との時間がどれだけ落ち込んだ気持ちを救ってくれたかを語っていた。ベスはそのとき黙って彼女の話を聞きながら、彼女の手を握り返していた。
 
 
ベスの歌
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 リハビリ病棟に戻ったベスに私は、「今までのセッションでたくさんの歌をつくってきたけれど、退院していく記念にドリーンヘ贈る歌をつくってみませんか。私も手伝いますよ」と勧めてみると、「それはよいアイデア!」と二つ返事であったが、私のはやる気を察してか、「その代わり、私らしいブルース調子で作りましょう」と私に念を押していた。
 次の日、私はベスのベッド脇にピアノを運び込み、ブルースコード進行(I-IV-I-V-IV-I)を弾きながら、彼女には頭に浮かんでくる言葉を自由に話してもらい、そのコードに乗せるように遊び気分で歌づくりが始まった。そしてだんだんと話し言葉の中から本当に伝えておきたい大切なエッセンスを選び出し、それをブルース調に繰り返しながら歌づくりをしていった。そして約1時間後、ブルースの基本と彼女の生き方の象徴である“自由さ”を残して、歌詞とコード進行のみを決め、固定したメロディーを決めずに、そのときの気分で歌うという曲が出来上がった(譜「ベスの歌」)。
 
 
ドリーンの歌
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 退院する前の日に、ベスと私はドリーンの病室を訪ねることになったが、その日はドリーンも気分がよく起きて窓際に静かに座っていた。その彼女に私たちのつくった「ドリーンヘ贈る歌」を歌ったが、彼女は大きな笑みを浮かべて「アンコール、アンコール!」と、何度も少しずつメロディーの違う曲を聴き、涙をいっぱいに浮かべながら、ベスに感謝の気持ちを言葉に出して語っていた。静かにその言葉を聴いていた私は、その言葉の美しさに思わず「私から2人への感謝の気持ちとして、ドリーンの今の言葉に曲をつけて歌ってみてもいいですか?」と聞き、2人の了解を得てドリーンのお気に入りの聖歌であった「君はわれの幻」のメロディーを基本とした即興的な歌を作って歌ってみた(譜「ドリーンの歌」)。
 ドリーンとベスはとても気に入り、記念にとっておきたいという希望で、その曲はテープに録音され、ドリーンは病院のベッド脇のテーププレーヤーで、ベスはそのテープを大事に自宅へ持って帰り聴くことになったのである。
 ベスが退院してからも、ドリーンは何度となくその曲を口ずさんでは、ベスとの楽しい思い出を語っていた。彼女は私に向かって「あの曲を聴くと、あの自由人であるベスのスピリットが伝わってきて、何ともいえないよい気持ちになるの。私の意識がなくなっても必ずあの曲を流していてね」と話していた。







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