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2. 音楽を中心として聴きあうこと、分かち合うこと
 音楽はそれ自体がもつ幅広く、奥深い表現に溢れるという特質から、人間の深い感情の経験や表現を促すことがある。その表現は、時には具体的な形で現れたり、またある時には象徴的なものであったりする。音楽療法士は、音楽のもつこのような特質を十分理解しながら、どのように音楽が患者の気持ちに寄り添って、療法的に使われるかを模索しなければならない。とくに緩和ケアにおいては、患者やケアギバーの、普段ならば習慣的にもっている自身の自己防衛能力が弱まっている場合も、ある心理状況の中で音楽があまりにもたやすくさまざまな感情、たとえば後悔、悲しみ、怒り、無力感、絶望感、希望、感謝、愛などが共存している柔らかい心の奥に触れる可能性があることを常に覚えておくべきである。そのため音楽療法士は、自分自身の感情的反応にもよく気づいておく必要があり、患者やケアギバーのプロセスを、音楽的にも時には言語的にも、療法として援助できるように訓練されるべきである。
 また、音楽は私たちの生活に深く根ざしており、音楽を聴いたり、歌ったり、演奏したりすることで、私たちの生活の中の意味を思い出させてくれたり、人生の大切だった過去にもう一度自分の身をおいて体験させてくれる可能性がある。
 とくに緩和ケアにおいては、生と死を見つめた実存的テーマが患者から表出することが多々あり、それは人生を振り返り達成したことなどの喜びをかみしめたり、失ったものを悲しんだり、人生の意味を自分なりに見いだすことといった、重要で繊細なプロセスという形で行われることがある。
 時にはそのプロセスが、思い出深い音楽を一緒に聴きながら、音楽の中でそれらの大切な経験を再体験することや、言い尽くせない気持ちを託して音楽を一緒に聴いたり、分かち合ったりする中で行われることがあり、その時間の中での経験そのものが療法的であることが多々あるのである。
 また、言葉を交わさなくても、その音楽の中に一緒にいるということだけで、たくさんのコミュニケーションが行われるということもある。これは音楽そのもののもつ美しさと、患者と音楽療法士の人間としての関わり、人間として尊重するというその関係から自然に生まれてくる美しさが、心身ともに非常に苦しい状況の中において瞬間的に患者に受け取られるからである。
 次に私の関わったケースを紹介しよう。
 
<事例>
 知能障害のある38歳の男性は、12年間透析を中心とした生活の後、慢性肝炎で緩和ケア病棟にやってきたが、その際に彼の両親は「息子はいつも寝るときには音楽を聴いていたので、音楽を聴かせてやりながら死を見届けたい」という希望であった。私は両親から彼の好きだった曲を聞いて、その曲のテーマ的フレーズを取り出しながら、そして十分に音の間に空間を作り出しながら、ゆっくりと静かにピアノを弾き始めた。それは家族が患者に声をかけたりしている大切な時間を、また家族の中に流れる言葉では言い尽くせない深い悲しみと沈黙の時を包括できるような音楽という目的であった。音楽療法士が使う音楽はエンターテイメントの音楽演奏とは違い、音楽がどのようにして、その時々のニーズに合わせて療法的に使われるべきかをすばやく判断し、それを即興的に提供できる技術を身につける必要がある。
 しばらくすると、父親はよく息子に口笛を吹いてあげていた曲をリクエストされた。彼が息子を腕に抱いて揺りかごのように揺らしているリズムに合わせてその曲を弾き始めると、父親は何も言わずに息子の耳元で口笛を吹き始めた。それがすぐすすり泣きとなり、鳴咽になっていったが、しばらくするとまた音楽に合わせるように口笛を吹き始め、何か息子の耳元でささやいていた。その間、音楽は途切れることなくゆっくりと流れ、父親が、心の中に湧きあがってくる思い出や感情を受け止め、そして息子の死を見守るプロセスを支えていると感じられた。
 父親は後にそのときの経験を次のように語っている。
 「あの音楽は瞬間的に私を特別な思い出の中に連れて行ってくれた。息子と笑ったり、ふざけて転げまわったり、かけがえのないそれらの思い出を覚えておくことは、私にとってとても大切なことであった。音楽が聴こえたとき、その音楽の美しさと心に響いてくる何かで、私は訳もなく泣けてきて仕方なかった。そして音楽は男であるこの私にそうすることを許してくれたように感じた」
 
3. 音楽を中心とした自己表現とコミュニケーション
 ターミナルケアにおいて音楽的創造活動を計画する場合、音楽療法士は患者の病状の進行具合、症状緩和の程度を把握するとともに、患者のバイタリティーや意識の度合いが、服用している薬などで変化することを考慮しなければならない。患者のその時々の状態で使われる音楽的創造活動の形を変えていく必要があるのはもちろんのこと、さらに重要なことは音楽療法士自身が、音楽の創造活動というものを狭く定義された枠のみでとらえず、柔軟に拡大する意識をもちながら可能性を探っていくことを必要とする。なぜならターミナルケアにおける療法的な活動には、いわゆる一般的に定義される「何かをする」という狭い枠を超えた「何かを感じる」とか「何かを経験する」という、一見受身的な“活動”、目に見えない内面的な“活動”が多々含まれることが多く、それ自体が療法的であるといえるからである。
 前にも述べたように、音楽は言語を超えた象徴的な側面をもち、それは言葉では現しきれない、あるいは現したくない複雑な感情を表現する手段として療法的に用いられることがある。また逆に音楽を介することで、心の中で感じている言葉がさらに明らかになり、意味深くなったりすることもある。
 実践では、音楽療法士が音楽の要素(リズム、テンポ、ハーモニー、メロディーなど)をたくみに用いた即興的な音楽創造を通して微妙な患者の表現の手助けをすることもあれば、患者やケアギバーが音楽を通して一緒に創造的表現をすることもある。ここで強調したいのは、音楽療法は音楽の押しつけではないということである。言い換えれば、音楽療法は無理に患者の感情を表出させたり、落ち込んでいる気分を明るくさせたりするものではない。たとえば患者が抱いている怒りや不安、恐怖や悲しみなどを吐き出したいときにはそれに応じる音楽から、また患者がそれらの精神的痛みから気持ちを紛らわせたいときにはそれに応じる音楽から始めることが大切である。また、そのような感情には関わる準備のない患者に対しては、その時期を待つことも大切なことである。音楽療法士は患者の言葉や身振りを注意深く観察し、その時々のニーズを音楽的創造活動の中に取り入れる柔軟性が必要である。
 また、言葉を伴わずに用いる音楽療法だけでなく、言葉とともに「歌」という形で、患者やケアギバーの自己表現やコミュニケーションに寄り添うことも可能である。その歌は既成のものであったり、音楽療法士とともに即興的につくるものであったりする。それらの歌は、患者やケアギバー自身の気持ちを表したものであったり、大切な人へ伝えたいメッセージであったりする。そしてそれは、患者と患者自身の内面とのつながり、患者とケアギバーとのつながり、患者と患者同士のつながり、そしてさらには患者と音楽療法士とのつながりを深めることに貢献することもある。
 次に音楽的創造活動を通じて知り合った、緩和ケア病棟と他病棟の患者同士の療法的交流を紹介しよう。







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