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4. 音楽を通じたスピリチュアルな体験
 以上述べてきたように、音楽は大切な記憶をよみがえらせたり、私たちの感情の表現を促すことに加え、日常現実を超える力をも備えている。私たちが非常に苦しい状況にいるときでも、音楽は瞬間的にではあっても、美、希望、愛、そしてトランスパーソナル的な性質を体験させてくれる可能性をもっている。古代ギリシアまでさかのぼる歴史的な科学と芸術の親密な関係のみならず、近年の総合科学的研究リサーチによって明らかになりつつある私たちの意識の深層と音楽との関係により、音楽が私たちをその偉大な英知が存在する意識を体験できるのを可能にするということが理解され始めている。そして、現時点においてはトランスパーソナル心理学の領域やGuided Imagery & Music(GIM)の研究者を中心にしたさまざまな学術的研究が始まっており、この点についてはこれからの学術的発展を期待したい。
 さて、前述した38歳の患者の死を見守っていた彼の母親とチャプレンは、音楽を通じてのスピリチュアル体験を次のように語っている。
 母親 あなた(音楽療法士)が弾くバッハの曲が聴こえたとき、私の頭にはミケランジェロのピエタ像が浮かびました。マリアが、死んでいく息子イエスを抱いているように、私たちは自分の息子を、私たちの知らない道の世界へ旅立っていく息子を、神に向かって差し出しているのだと感じました。そして息子は本当に今、神の手の中にいるのだと、しっかりと守られているのだと感じました。
 チャプレン あの時、彼が息を引き取る前に皆で音楽の中にいたということが、家族の方々を、家族と私たちスタッフを、そして私たちと何か聖なるものとをしっかりと結び付けてくれたような気がします。私たちはどうしようもない深い悲しみと同時に、何かそこに深い優しい癒しが存在して、あの瞬間、何か“完全である”と思えました。
 
ターミナルケアにおける音楽療法士の役割の広がり
 臨床現場におけるいくつかの音楽療法士の実践を紹介してきたが、最後に、包括できなかったそのほかの音楽療法士の役割をあげながら、これからのターミナルケアにおける音楽療法士の役割の拡大と可能性を示し、読者の考察をあおぎたいと思う。
 
1. 緩和ケアコンサートと地域の音楽家たちのと連携
 緩和ケア病棟やホスピスにおけるコンサートは、患者とケアギバー、そして医療スタッフがともに楽しめる社交の場を提供することに大きな意味がある。私が勤務する病院では、月2回、地域の音楽家と連携し、さまざまなジャンルの音楽コンサートを開いている。また、ボランティアの協力も得て、和やかな雰囲気づくりのなかで、時には患者たちの手作りのケーキやクッキーなどが振る舞われ、医療現場に芸術を提供する機会になっている。これは同時に、地域の音楽専門家たちへの音楽療法の理解を促し、協力的な関係を育てるという点からも大切な役割といえるであろう。
 
2. メモリアルサービスやグリーフサポートヘの貢献
 私の勤務する病院では、3ヵ月に一度、病院で亡くなった患者のためのメモリアルサービスが行われている。音楽療法士は準備段階より主要メンバーの一員として準備に関わっている。チャプレン、ソーシャルワーカー、ボランティアコーディネーター、看護師とともに、どのような音楽をどのような形で取り入れることで参加する方々に意味あるものとしていくのかについて話し合いをしながら決定し、最終的には音楽の進行に責任をもつのである。また、ケアギバーのグリーフサポートにも、ソーシャルワーカーとともに関わり、そこではとくに言葉では表現しつくせない悲嘆の過程に音楽がどのように効果的に使われる可能性があるかを提示したり、音楽的経験の援助をすることに大きな役割を担っている。
 
3. 音楽療法リサーチと社会への啓蒙的教育活動
 ターミナルケアにおける音楽療法が患者への全人的ケアに大切な役割を果たしていることは、経験者が語り広めたり、ゆっくりとではあるがマスメディアに取り上げられることにより認められ始めているといえる。しかし、医療施設の限られた予算や、医療の世界における音楽療法の専門職としての地位の確立がいまだに不十分であることから、ターミナルケアにおける音楽療法の未来はこれからであるといえよう。まずは音楽療法士を中心として、さまざまな医療専門家が協力し、ターミナルケアにおける総合的なリサーチを進める必要があり、それを学術的に、また一般社会に広く発表する場を確立することが必要ではないだろうか。それと同時に、質の高い音楽療法の教育制度を確立させ、ターミナルケアにおける経験豊かな音楽療法士が学生を訓練するスーパービジョンのできる環境をつくることもたいへん重要なことであると考える。また、ターミナルケアにおける音楽療法士同士が、互いに協力し、勉強しあえるネットワークを広げることも必要であろう。
 以上のように、質の高い仕事、教育、リサーチ、社会的普及を通して、ターミナルケアにおける音楽療法の専門的なアイデンティティーを確立していくことは、これからの私たち音楽療法士に向けられた大きな課題でもある。
 
参考文献
1)Wheeler, B. L. (Ed). (1995). Music Therapy Research: Quantitative and qualitative perspectives. PA: Barcelona Publishers.
2)Valle, R. (Ed). (1998). Phenomenological Inquiry in Psychology: Existential and Transpersonal Dimensions. NY: Plenum Press.
3)Aldridge, D. (2002). Spirituality, Healing and Medicine. London: Jessica Kingsley.
4)Journal of Palliative Care, A thematic issue and companion CD-ROM Moments Musicaux: Music Therapy in Palliative Care. 17(3) Autumn, 2001.







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