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緩和ケアにおける音楽療法の目的と実際
1. 音楽を中心としたリラクゼーション
 ターミナルの身体的症状には、疼痛、吐き気、息切れ、不眠などがあげられる。とくに痛みの症状は必然的に精神的不安を生み、その不安が症状を生むということもある。音楽療法は、痛みの緩和効果目的のために、鎮痛剤と平行しながら音楽とリラクゼーション技法を中心にして使われることが多い。痛みの緩和を促進させる効果とは、患者の日常生活活動をできる限り可能にし、それによって患者自身の生活の質を向上させるということを目的としている。
 その一つの方法として、意味のある音楽を使って痛みから患者の気をそらせ、それとともに心地よい音楽に精神を集中させて痛みの感覚を軽減させることがある。これはGate Control Theoryといわれる「脊椎後角に位置している痛みのインパルスを脳に伝える門が、人間の情動、情緒、気分によって開いたり閉じたりして、痛みの伝導刺激の量を調節する」という理論を背景にしている。痛みのために不安感が増し、不安のために症状が悪化し、またそれが不安を募らせるという状態から、音楽を通して安心したり、心地よくなったり、希望をもったりする患者自身の精神的な変化が、その悪循環を断ち切ることを可能とし、患者自身が痛みに対して自分で何かできるという自信をもつことは、患者のQOLを考えるにあたって非常に大切で意味のあることだと考えられる。そのためには療法的に使われる音楽は、患者自身にとって意味があり、心地よく感じられることが重要であり、ただ単に気をそらすためにラジオの音楽を流したり、テープやCDを患者のニーズを無視して流すこととは違うのである。
 次に音楽療法士の関わった2つの例を紹介しよう。
 
<事例・1>
 58歳になるエイズ患者の男性は循環機能低下により、足のむくみがひどく、そのため皮膚が崩れている状態で痛みを訴えていた。とくに看護師が包帯を取り替える処置中には、痛みのために叫び声を上げ、3人がかりで処置に携わっていた看護師たちにとっても、心身ともにつらい作業であった。そのことが医療チーム間で話し合われ、患者の神経を他にそらして処置をスムーズに行うようにするために音楽療法を使ってみようということで、私は患者に会うことになった。
 痛みが軽減するのなら何でも試してみたいという患者に、私たちの体が感じる痛みのシステムと、またどのように音楽が痛み感覚の軽減を可能にするかについて簡単に説明し、担当の看護師が入室するまでに彼の好む音楽を流し、呼吸法を取り入れて、緊張感を緩めるようにという目標を設定した。
 彼はピアノの深い音色を好むということで、車輪のついたエレクトリックピアノをベッド脇に設置し、枕もとの音楽療法セッションが始まった。はじめに多くの人が好むであろう優しい響きの音楽を提供したが、彼からは神経をそちらに向けることが難しいということであった。彼の話をよく聞いてみると、彼の痛みというのはそのような優しい音とはまったく質の違ったものであるから、精神をそこに集中させることがなかなか難しいというのである。そこで、彼の痛みの質に合わせる音楽を探っていくと、彼の好みの音楽と重なるブルースに効果があることがわかってきた。そこで、力強い音で彼の痛みに沿うように音楽を流したり、彼にドラムを渡して痛みの状態をドラムを打つということで表現してもらったりした。
 彼のベッド脇で、看護師たちの処置とともに行う音楽療法を重ねるうちに、彼は処置の間中、目をつぶって音楽に聴き入るようにしていたり、「今日はだいぶ痛みが引いているから少し優しい曲を聴いてみたい」と自分の意思を表現するようになり、自分も自分の治療に参加しているという意識が高まっていった。
 痛み軽減については、患者からは「痛みそのものの程度は変わらないが、音楽を聴きながら行う処置の時間の感覚はたいへん短く、何かあっという間に終わるように感じる」という発言があり、看護師からは、彼の処置に対する不安感が軽減し、処置がスムーズに進むようになったため、3人で担当していた処置は1人で十分仕事を達成することができるようになったという報告があった。これは大きな成果といえる。
 
<事例・2>
 肺がんで緩和ケア病棟に入院してきた69歳の女性は、時折息切れが激しく、それが不安感を増し、パニックを引き起こす状態であった。彼女の部屋いっぱいに飾られている花のブーケから、彼女が花好きなことが察せられた。彼女の部屋を訪れた私は、彼女と好きな花の話を始め、そのうちに彼女の庭がどれだけ彼女に心の安らぎを与えていてくれたか、遠く離れていても目をつぶるとはっきりとその情景が思い浮かべられるという思いを表情豊かに語ってくれた。彼女にとって彼女の庭の花というのは、たいへん意味のあるものであり、心を落ち着かせてくれるものであり、それを音楽と関わらせれば、効果的リラクゼーションを促進する可能性があると考えられた。
 そこで彼女に庭の花を思い浮かべながら、その花からどんな音楽を想像するか、それを私がピアノやギターで弾いてみたり、ある時には、簡単な楽器を使って2人で「花の音楽」を創ってみたりして、彼女の心地よいイメージを具体化させていった。また、同時に彼女の庭を思い浮かべるような音楽を録音し、それを彼女のベッド脇に常置し、いつでも必要なときに自分で使えるように手配をした。
 ある朝、彼女の息切れが激しく、酸素呼吸器のレベルを上げなければならないので音楽を併用して彼女のリラクゼーションを促進できないかという医療スタッフからの要請で、私は彼女の部屋を訪れた。酸素呼吸器をつけて目を大きく開けている彼女の様子から一目で不安であることは明らかであった。私は簡単に「いつものように音楽を使って、そして今日はとくに音楽が呼吸を安定させるように使って、少しでも症状が軽くなるようにがんばりましょう」と言ってから、彼女の傍らで目を合わせ、呼吸のリズムにテンポを合わせながら、それがほとんど一定のリズムを刻むように、また呼吸の荒さの質に合わせるように音楽のダイナミクスに気をつけながらピアノを弾き始めた。そして徐々にリズムを保ちながらも、彼女の呼吸のテンポより少しゆっくりしたテンポに変え、彼女の呼吸が静まってくるのを根気強く待った。彼女が少し落ち着いてきたところで、彼女の語ってくれていた庭のイメージを柔らかく言葉で表現しながら音楽にのせて、徐々に彼女と私が創作したようなイメージの音楽に変えていった。彼女の希望で、脇で見守っていた看護師が彼女の手を優しく握っているうちに、彼女は目を閉じて静かに寝息をたて始めた。
 
 事例1と2で見られるように、一定のリズムある音楽を提供するということは、Enatrainment Theoryという理論を背景としており、私たちの表面的な意識にかかわらず、音楽から「予測できる音刺激に対する安心感」を受け、それがその人自身に意味あるものである場合、その人の意識をひきつけて、音楽のテンポに同化させることが可能であるということから用いられている。
 そのほかに音楽を使ったリラクゼーションの形として、患者の希望により、ボランティアや、専門家のマッサージ療法士、または理学療法士や看護師たちの行うヒーリングタッチとともに、音楽療法士はその状況に応じて適応した音楽を提供し、それらの効果を促進させる役割を果たしている。また、私の勤務する病院では、週一回、患者とケアギバーのためにソーシャルワーカーと音楽療法士が共同で、グループリラクゼーションの時間を提供している。その時の気分でリラクックするイメージをみんなで出し合い、それをもとにソーシャルワーカーが即興的に言語でシナリオを作ってみんなをガイドし、音楽療法士はそのイメージを膨らませるような即興的な音楽を提供して、参加する方々から高い評判を集めている。







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