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3 海難調査におけるヒューマンファクター概念の導入
3.1 海難調査におけるヒューマンファクター概念の導入の意義・必要性
 近年、あらゆる産業分野において、事故の大半は、人的要因に基づいて発生している。したがって、人的要因による事故を防止するため、「生身の人間はエラーをするのが当然である。」と考えの下に、人間工学、心理学、信頼性工学等の学際的な研究を駆使し、人間の行動や機能、能力や限界を理解し、その知識をもとにエラー対策を探求していく「ヒューマンファクター概念」に基づいた調査手法により事故調査を行う動きが急速に広がっている。
 船舶以外たとえば航空分野では、ヒューマンファクター概念に基づく事故調査と再発防止策の検討が一般化し、所定の成果を上げてきていることを見ても、効果のほどが分かる。しかしながら、船舶交通の分野は、世界的にこのヒューマンファクター概念に基づいた海難調査では遅れをとり、依然として発生する海難のほとんどが事故当事者の要因によるものとして帰趨されている状況が続いている。
 このため、国際海事機関(IMO)では、ヒューマンファクター概念による海難・インシデントの調査・分析の手法・体制の確立が重要との認識に立ち、国際民間航空機関(ICAO)を見習い、1997年に「海難及び海上インシデントの調査のためのコード」を議決、1999年には本コードに「海難及び海上インシデントにおけるヒューマンファクターの調査のための指針」を追加した。
 先進諸外国の海難調査機関では、この海難調査コードに基づき、海上交通の分野でもヒューマンファクター概念に基づく海難・インシデント調査手法を確立すべく取り組みを開始しており、将来はこの手法による調査を前提とした国際協力体制を構築していこうとしている。
 従って、ヒューマンファクター概念に基づき海難を調査していくことは国際的な課題となっており、船舶交通が世界一輻輳し、航海が難しいと言われ、日本近海では、特にその手法の確立が急務となっている。
 現在のところ、我が国の海難調査は、行政裁決を行う海難審判庁と司法判断に向けての海上保安庁が主に行っている。また、海難によっては、地方自治体等の公共機関、損害保険機関、所属船社等の独自の調査が行われている。
 現在のところ、海難調査の結果が整理・データベース化されて系統的に整理・公開されているものは、日本財団助成事業による海難審判裁決録が唯一のものである。
 事故調査に望まれるのは前述のとおり、十分な再発防止策を出し、かつ、いかにフォローアップするかが重要であることから、海難調査においても該当海難にヒューマンファクター概念を導入して科学的な調査・分析を行い、有効な安全対策を構築することが急務となっている。
 そのためには、ヒューマンファクター概念に基づく海難調査のあり方をあらゆる観点から調査研究する必要がある。
 
3.2 海難調査の現状
(1)海難の発生状況
(1) 海難審判庁理事官が認知した海難は、平成13年が6,325件(7,540隻)で、減少傾向に推移しているが、これらは、海上保安部からの海難発生通知、理事官が自ら新聞、テレビ等により認知したほか、船員法19条の船長からの海難報告書によるところがほとんどである。
 これらの海難には、流木接触など比較的軽微な事件も含まれており、理事官が詳細な海難調査を必要とする事件(事態重大事件)は、過去5年間をみると、年間に1,800件程度の横ばい傾向で、海上保安庁統計と同様な傾向を示している。
(2) 海難発生を日本籍船と外国籍船に分けてみると、外国籍船は平成13年190隻で、そのうち理事官が詳細な海難調査を必要とする事件は136隻で過去の推移は横ばいの傾向となっている。
(3) 日本籍船の海難発生隻数は、平成13年が7,540隻で、そのうち理事官が詳細な海難調査を必要とする事件は2,232隻となっている。
 船種別にみると、漁船が892隻で全体の40.0%を占め、次いで、プレジャーボート362隻(16.2%)、貨物船が328隻(14.7%)、引船・押船が149隻(6.7%)等となっている。
また、事件種類別でみると、衝突が919隻で全体の41.2%を占め、次いで機関損傷383隻(17.2%)、乗揚が284隻(12.7%)、死傷事件が213隻(9.5%)となっている。
 
事態重大事件の船種別海難発生内訳(日本籍船のみ)
(単位:隻)
 
(2)海難調査の現状と対策
 我が国における海難調査のうち、行政裁決を行う海難審判は、第二次世界大戦後の昭和23年に制定した海難審判法に基づき行われており、現在まで50有余年経過している。
 その間、海難の再発防止につながる海難調査のあり方について、海事関係者からご指導・協力を得て、種々の改善を行ってきたところである。
 しかしながら、次のような現状下、いくつかの対策が必要と考えられる。
 
(1)原因究明を通じた再発防止と行政処分
(現状)
 海難審判は、原因究明のほか行政処分も行っていることから、主に懲戒にかかわる直接原因の摘示が主となり、直接原因の摘示をもって一件落着というような責任追及型の傾向にある。
 世界的にもIMO(国際海事機関)が中心となり、ヒューマンファクター概念に基づく海難調査が活発化してきている。
(対策)
 ヒューマンファクター概念に基づく原因究明を通じた再発防止が必要となっている。
 
(2)海難調査の将来のあり方
(現状)
 海難調査の結果は、「海難審判先行の原則」により、審判手続を先行させることが従来から国会の答弁等において明らかにされている。
 海難調査は、専門的・技術的知識を必要とするとともに、刑事における過失の認定についても、海上の慣行等を考慮して慎重に行われなければならないため、専門機関である海難審判庁の判断を待って、刑事事件を処理することが望ましいと考えられているからである。
 そのほか、海難調査の結果は、民事事件や損害保険の責任割合などで参考とされている。
 海難審判法に基づき、海難の再発防止のため、原因究明と行政処分という目的をどのように効果的に運用することが妥当であるか等を模索しているのが現状である。そのため、有効な手段として海難調査の結果、「要望事項」を裁決に掲げて、その改善を促すことを試みた場合もあったが、法律上の制約もあり、海運界等から海難の再発防止策に資する調査結果を求められている。
 国際的な視点から見ると、海難調査は、個人等の過失を問う「責任追及型」と自己不罪による「再発防止型」とに分けられており、同一機関が両タイプとも十分にやっているところはなく、どちらが良いか必ずしも優劣がつくまでは至っていない。
 特に、海難調査を再発防止型の方式で行っている国の機関は、小規模で、取扱件数も限られており、少ない標本で果たして一般的に有効な再発防止に役立っているかどうかについて、未だ結論は出ていない。
 我が国の海難調査は、責任追及型に偏重しているとの見方はあるが、別の見方をすると、海難関係者は海難調査及び海難審判の各段階において、十分に自己の利益を主張することができ、また、我が国の国民性から、その証言にはかなりの信憑性があるとされている。
 これらを斟酌すると、我が国の現行の制度の中で、ヒューマンファクター概念に基づく海難調査を行うことは十分に可能であり、現在の調査内容から利用できる部分も多々ある。
(対策)
 海難調査の結果は、現在、刑事及び民事事件、損害保険の責任割合などで有効に活用されているが、再発防止により一層貢献できる海難調査が必要となっている。
 
(3)埋もれたアクシデントを活用した海難の再発防止
(現状)
 我が国の海難調査は、年問に発生した約6,500件の海難から約800件の裁決を行い、原因究明と行政処分を行っている。
 他方、この年間約800件を除く約5,700件の海難についてのデータを保有しているが、海難防止施策に十分に反映されていないのが現状である。
(対策)
 審判開始の申立以外の海難を分析して再発防止策に資する情報を提供する必要がある。
 
(4)海難調査の充実、関係行政機関との連携強化
(現状)
海難発生から裁決言渡までの期間は、平成13年度においては平均16.3月を要しており、海事関係者からは、海難調査期間の長期化への批判がある。
 また、海難調査において、関係行政機関等から協力を受けての資料収集が十分でないのが現状である。
(対策)
 海難発生から裁決言渡までの期間の短縮を図るとともに、海上保安庁、警察庁等との連携を強化する必要がある。
 
(3)海難審判庁裁決等の情報提供の現状と対策
 裁決書は、海難審判庁が海難事故の調査結果を取りまとめたものであり、海難事故の再発防止に最も詳細なデータを包含したものとなっている。
 (財)海難審判協会では、海事関係者等に対して海難審判庁で言い渡された年間約800件の裁決を日本財団の助成を受けて裁決録として編纂・配付しているほか、定期的に裁決例集、機関誌「海難と審判」、臨時に重大海難事件の裁決要約版などを発刊するなどの情報を提供している。
 裁決書データベースは、船長職等の幹部要員の教育資料、関係法令の適用解釈、民事上の責任割合の検討などについて、ユーザーから一定の有益性は評価されているものの、次のような現状下、いくつかの対策が必要と考えられる。
 
(1)再発防止という観点からの利用
(現状)
 海難原因探究主義とされながら、裁決は海技従事者等の懲戒という面を強く捉えている。したがって、海難の再発防止という観点からは、海事関係者が利用し易いものとなっていない。
 基本的には・裁決録が情報として一般に出されているが、海事関係者は一方的に使いなさいと言う雰囲気となっている。
(対策)
 ヒューマンファクター概念に基づく海難調査の結果をデータベース化し、海難の再発防止策に寄与する。
 
(2)民間において裁決データベースにより行政施策へ反映させるには限界
(現状)
 海事関係団体、民間の船社等においては、裁決データベースを利用・分析して、関係行政機関等に対して各種改善を要請することは難しい。
(対策)
 海難審判行政においては、多くの裁決書を利用して同種海難の原因を分析し、関係行政機関等と協力して安全対策を講ずる必要がある。
 
(3)裁決書以外の海難防止のための分析・広報の媒体
(現状)
 裁決録だけで、事故の分析、再発防止策の提言等の全てをカバーするには困難な現状にある。
 
(対策)
 数ページで絵や図を用いて誰にでも読みやすい、パンフレットのようなものが作成され「このような海難が発生している」、「こうしたら海難を防止できる」という海難防止策が提言されることが必要である。
 
(4)多様なニーズに応ずるための方策
(現状)
裁決書データベース活用については、利用する者の目的によって分けなければならない。例えば、プレジャーボート利用者、漁船、大型船の運航者、安全対策の研究、企画立案者等がおり、その中には法的に分析する者やヒューマンファクター的に分析する者等もいるため、それぞれ必要とするデータは多岐にわたるが、十分な情報の提供となっていない。
(対策)
 裁決書データベースの利用者は様々で、そのニーズがそれぞれ異なるため、きめ細かな対応が必要である。
 
3.3 今後の検討事項
 3.2の現状と対策を念頭において、平成15年度においては、ヒューマンファクター概念を取り入れた海難調査手法の在り方について、以下の事項の調査、研究を行うこととする。
 
(1) 海難調査にヒューマンファクター概念を取り入れた「予防安全」に移行するための海難モデルの作成と海難調査分析手法の検討
(2) 英国におけるヒューマンファクター概念を取り入れた海難調査事例の調査
(3) 審判開始の申立以外の海難について再発防止に資する調査・分析手法の検討
(4) ヒューマンファクター概念による分析に資する裁決録データベース等のあり方の検討







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