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ふれあい助け合い 東西南北
さわやかインストラクターから
 
 全国でふれあい・助け合い活動についてアドバイスを行うさわやかインストラクター。そんな皆さんから活動の状況や個別の課題、心温まるふれあいエピソードなどを寄せてもらいます。
4か所めの宅老所づくりに取り組んでいます。
NPO法人 たすけあい佐賀(佐賀県)
西田 京子
 
 普通の民家でたった一人のお年寄りを24時間介護することから宅老所「ながせ」は始まりました。スタッフの数が利用者より多い日が何日も続きましたが、小規模で家庭的な宅老所の良さが認められて徐々に利用者も増えていきました。お年寄りだけでなく、障害者や障害児などの利用もあり、いつでも誰でも利用できる宅老所となってきていました。また、泊まりの利用者も増えていました。
 こうした中で果たして介護保険の指定事業所となれるのか、もし指定事業所になった場合に従来から行ってきたNPO法人としての柔軟なサービスを展開していけるだろうかと悩みに悩みましたが、利用者のためにもと、思いきって1か月遅れの5月に介護保険通所介護事業所の指定を受けました。
 痴呆症高齢者にとって、民家活用の宅老所は隣近所にでも出かけるようで、喜んで毎日通ってくるようになり、いわゆる問題行動などで介護に困っておられた家族に喜ばれました。宅老所では家庭生活の延長で料理や洗濯の手伝いなどできることをスタッフと一緒にします。漬物作りなどはお年寄りのほうが生き生きとスタッフに手ほどきします。あくまでもスタッフは黒子の存在として、そっと手を差し伸べるケアに心がけています。昼夜逆転・徘徊などの問題行動のあった方が日中、宅老所で思いのまま楽しく過ごされ、人として当たり前のかかわりを保っていくうちに、痴呆症状が改善されていくようです。施設では会話もできなかったほとんど全介助の痴呆症高齢者が、数か月の後には座って自分で食事ができるまでに回復し、会話も楽しめるようになりました。
 その後、利用者の泊まりのニーズが増えたことで、新宅老所として築200年の武家屋敷を改築することになりました。佐賀市の生きがいデイサービスの委託が決まり、その改築費として2090万円の予算が計上されました。ところがこの武家屋敷が改築を目前に炎上してしまったのです。この事業は国の単年度の補助を受けていたため断腸の思いで諦めなければなりませんでした。しかし、この火災の報道は反響を呼び、テレビ放映後すぐに空き家情報が寄せられました。善意の申し出の中から昨年8月には「宅老所柳町」が、12月には「宅老所てんゆう」が誕生しました。2か所とも民家を改修した定員10名の小規模な宅老所です。
 3か所の宅老所は開設後2、3か月で定員一杯になってしまいました。通って・泊まって・住むことができる多機能宅老所の必要性をひしひしと感じています。現在4か所目の宅老所「鹿の子」の開設準備にわくわくしながら取り組んでいるところです。
一歩一歩の積み重ねで活動の広がりを実感
NPO法人 ねっとわあくアミダス(静岡県)
脊古 光子
 
 ある日、「家内の親戚すじの者(84歳)が妻を亡くして、一人暮らしとなり弱ってしまって家事などに事欠いて困っているので訪ねてほしい」と1本の電話。その主は地元Kクリニックの先生で、本会設立(約5年前)当初、会員が通院中ということもあって、本会のパンフレットを院内へ置かせていただいた経緯がある方です。どこでどんな御縁となるやら地域支え合いの一コマを感じる場面でした。
 この地は元来「ボランティアは無償」という概念がまだまだ(高齢者には)根強い地域で、活動は決して楽なスタートではありませんでした。無理をせず、困っている方からできる事を応援させていただく毎日の積み重ねの日々でした。その後、介護保険のスタートとも重なり、たすけあい中心の本会の家事援助事業は、次第に希薄となりつつ心細い時期もありました。しかし世間は良くしたもので、そのような時は別の事業が忙しくなっていました。
 「設立当初たった1個」のお弁当配達(病院で作ったものを届ける)から始まった給食サービス、その年はお弁当に重点をやや多くして地域の必要な情報収集に努めました。会員の一生懸命のお陰様で、現在は(良い栄養士さんとの出会いもあって)公民館で毎週2回(年間約4000食)を届けるまでに育ち、お弁当事業もやや成功したようでした。「野菜中心で味が良い」と口コミで広がった結果、浜松市の「ふれあい給食事業」にも参加。それらがきっかけになり、14年度からは「軽度生活支援事業」の委託も受けて家事援助事業が少しずつ復活しています。これを機に、(委託のみに頼らないで)再度市民が支え合う活動のエネルギーとして再スタートを切った思いでした。
 そんな昨今で冒頭の先生からの電話など地元にもささやかに活動が根付いてきたようで「大変うれしい励み」となっています。軽度生活事業の委託を受けて喜ばしいことは、公的介護保険のヘルパーさんがやれない「車を使った移送サービス(運転ボランティア)、草取りや窓ガラス拭き」の希望が多くなり、男性の活躍場面が増えたことです。本会では定年退職者やリストラの男性がいます。これまでは男性の活躍する場面が非常に少なくて残念なことが多かったのですが、今回はこれらの人々が参加できる方向になったことは男性会員にとってありがたいことです。地域の資源(人材)が十分活躍できる土壌づくりに今後も参加していきたいと願っています。
子どもたちのやさしい心が届けた車イス
NPO法人まごころサービス 国見センター(福島県)
紺野 徹
 
 私たちの会を立ち上げてから、丸2年が過ぎました。その間、地域の方々に私たちの考えをどうやって伝え、また私たちの会の活動をどうしたら理解してもらえるのかを、みんなで考え知恵を絞り、悪戦苦闘してきました。
 その中の一つ、地域の人たちが私たちの方に目を向け始めるきっかけになったことがありました。それは、「高齢者や障害者に車イスを貸し出そう」と、車イス交換のためのプルタブ回収運動を始めたときです。まず、すぐさまに地元の小学生が協力してくれました。通学の帰りに「プルタブ」を、センターに届けてくれたのです。「なんてやさしい子どもたちだろう」「世の中捨てたもんじゃない」と思っていますと、「それでもまだまだ足りない」と知った子どもたちの家族の人たちからも、父親の職場の人たちからも、母親の仲間の人たちからも、ぞくぞくとプルタブが寄せられました。そして、またその話を聞いた地域の方々からもプルタブが寄せられました。1年間で、その数は15万個、量にしてドラム缶1個分。それでも車イス1台に十分な量ではありませんでした。
 その後、協力してくれた小学生が卒業する前に何とか形にしようと、チャリティー車イスバザーを開催してはとの話が持ち上がり、恐る恐る開店してみると、地域の方々の協力で「あっ」という間に不足分の売り上げを達成し、とうとう念願の車イスがセンターに届いた次第です。
 センターでは、私たちの活動に協力してくれた小学生に感謝しようと、小学校の先生方と相談し、子どもたち向けの「介護教室」を催しました。「介護教室」では、6年生70人と先生方、そして私たち会員10人が参加、会員の一人が講師となりボランティアの役割について説明したあと、子どもたちに実際に車イスに乗ってもらい、使い方や不便さを体験してもらいました。子どもたちは、「こんな楽しい授業は初めて」と大喜び、一方、先生方は、ボランティアの話や子どもたちの様子に大変驚いておられました。
 今回、自分たちの住む地域に「新しいふれあい社会」の種を少し播いたような気がします。今後、この芽をどのように育て、花を咲かせるか。この子どもたちが大人になったときに「新しいふれあい社会」が満開になるように、毎日少しずつ水をくれるように、地域を見つめた活動を謙虚に真剣に取り組もうと、会員みんなで思いました。







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