生き方・自分流
人は一人では幸せにはなれない
だから、手を携えて生きていきたいのです
祖国に車イスを贈り続けて3000台!
NGO 「ヒランガニ・ンゴタンド」日本代表
トーマス・C・カンサさん
大阪府在住の南アフリカ共和国出身の詩人トーマス・C・カンサさんは、英会話講師を務める傍ら、NGO「ヒランガニ・ンゴタンド」(ズール語で「愛とともに手を携えて」)を主宰。不要になった車イスをコツコツと集め、祖国の子どもたちに贈る活動を行っている。周囲の人たちとのふれあいを楽しみながら、自然体でボランティアに取り組むその姿からは、私たち日本人が忘れかけている「共に生きる」ことの尊さを改めて教えてもらったように思う。
(取材・文/城石 眞紀子)
大阪府柏原市にカンサさんが借りている空き店舗、通称「トーマス倉庫」には、活動を支援する全国の人たちから届いた中古の車イスが、たくさんのおもちゃや文房具、楽器とともに保管されている。
毎週土曜日ともなると、誰に強制されたわけでもないのに、学生ボランティアなどさまざまな人たちがここを訪れ、車イスの修理を行い、物資を整理。また、近所の酒屋や豆腐屋のあんちゃんたちも荷造りの手伝いに汗を流す。作業が終わると、カンサさんは倉庫の近くにある英会話教室に子どもたちを招待し、お菓子やジュースを振る舞いながら、楽しいひとときを過ごすこともあるという。
「この活動に参加してくれる人たちは、大人であれ、子どもであれ、ボランティアなどという大それた意識はなく、いとも自然な気持ちで協力してくれています。そして、それぞれができる範囲で協力してくれたことが、大きな成果へと結び付いたのだと思います」
澄んだ瞳でこちらをまっすぐに見つめ、流暢な日本語でこう話すカンサさん。
1995年から年4回南アフリカに贈り続けてきた車イスは、この8月の輸送をもって2920台になった。現地からは贈った車イスと同じ数だけ、喜びの声が届いている。
たった一人から始まったNGO活動
カンサさんはアパルトヘイト(人種隔離政策)の下で育ち、亡命先のイギリスで妻・登起子さんと出会い、結婚。1984年に日本へやってきた。
「アパルトヘイト体制下では、私たち黒人は長い間、差別と暴力と貧困に苦しんできました。ですから来日当初は、その犯罪性について講演などで訴えていたんですが、ある日、何もしないで、ただしゃべってるだけの自分に気づき、とても虚しくなったんです。それで、教育さえまともに受けられない子どもたちに、自分に何ができるのかを考えるようになりました」
悩んだ末、自分が体験してきた人種差別の思いを綴ったノートを『抑圧の子よ 話してごらん』と題した詩集にまとめて自費出版。その売り上げ130万円を小学一年生の教育援助金として、文房具やおもちゃなどとともに現地に贈った。
こうしてたった一人でNGO活動を始めたカンサさんの目に、ある日、1台の車イスが飛び込んできた。それは粗大ゴミの収集日に、山のように積み上げられた路上のゴミの中にあったものである。
「瞬間、子どもの頃の祖国の光景が思い出されました。車イスは一部のお金持ちしか手に入れることができない高級品。多くの人は、粗末な箱に車輪を取り付けて、車イス代わりにしていました。だから、日本ではゴミでも、南アフリカの障害者にとっては宝物。ここに1台あるということは、大阪中では、日本中では、どれくらいの数の車イスが捨てられているかわからない。ならば、それらを集めて、自分の手で修理して、南アフリカの子どもたちにプレゼントしようと決めたんです。アパルトヘイトは廃止されたものの、その時代の後遺症で、障害を持つ子どもの数は、450万人にも上るという現実があったからです」
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