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5. アメリカにて在宅ホスピスを可能にしていること
 アメリカ、特にこのホスピスオブマリンでは、ナースがケアを与えていくにあたり様々なリソースがあるということがわかった。
 ホスピスケアはチームワークということで日本でも医師、ナース、ボランティアや、カウンセラー、チャプレンなどがかかわっている。特に在宅をするにあたりホスピスオブマリンでのリソースは、ホスピスの経験が豊かで、ホスピスの理解がある薬局の存在。具体的には、ナースに薬の副作用や作用に対しての情報を与えたり、与薬の形を液体と座薬と作ったり、患者宅へ配達することなどを実施していた。在宅に必要な用品をすぐに手配する会社、また24時間ケアや、時間に区切って患者のケアを行う看護職以外のヘルスケア提供者(1時間10ドル弱の人から資格をもった人で1時間30−40ドルの人までさまざま、このような人材を派遣する会社がそれぞれある。)が可能であること。また、夜中に転倒が起こった場合、消防署に電話をすると消防士が起こしにきてくれるということ。このようなコミュニティーに浸透したリソースがある。ボランティアは、患者の直接ケアだけでなく、地域の本屋を通して、古本を売り資金をホスピスの運営に反映させたり、本だけでなく古着やリサイクル用品を整理し地域に売ることでその収益をホスピスの運営に反映するという、患者にかかわらなくてもホスピスに貢献したいという地域の人たちの努力や理解があることがわかった。
 これは、ホスピスオブマリンが1970年代からサービスを提供しつづけていることでホスピスを経験した家族が貢献するものも多いが、地域に根ざしたチームワークということが言えるのではないかと考えた。またアートセラピーのようなものも地域に根ざしている。アートは、芸術家だけのものではなく、ナースや、普通の人たちで芸術に関心がある場合その人たちが気軽に参加できるチャンスがある。実際に私が参加したアートセラピーも、アートセラピーを知っている病院のナースが、知り合いのナースたちに電子メールを送り、興味があるホスピスのナースが参加する、それを通して名刺の交換をするなど、個人のレベルの情報交換は、プロフェッショナルだけではないホーリスティックな形で交流があることがわかった。
 また、ナース自身のストレスマネジメントに対しても、月に2回、グループサポートというミーティングが行われ、これは管理職でないナースら、外部からのカウンセラーの元に集まり、様々な思いの情報交換をする機会を設けている。またナース自身が、週4日働くという形態をとることで、ストレスマネジメントを行っているということだそうだ。
 
6. ホスピスの運営
 ホスピス自体の運営としてはアメリカの経済状況の悪化の影響を少なからずとも受けていた。マリンカウンティーは裕福なカウンティーである裕福な家族ががん患者のためにと残したチャリティーのお金があったりする。またボランティアの資金は、町にある中古物品販売所(地域の人がいらなくなったものを持ってきて、それを売る、その収益をホスピスの資金としてつかう、この運営にもボランティアを使っている。)があった。これも経済の影響で物品を持ってくるものも少なくなったりしているとのこと。それに頼らずにやっていかなければならない、という状況にあった。
 ホスピス患者の歴史的流れとして、家族に看取られて家で亡くなりたいと決め、在宅で死を選ぶ人が多かったが、現在では、経済的な理由で家に帰る人も多いということである。特に、現在の政権へ変わってから、今まで行われていた保険改革政策が滞り、プライベート保険の方法はそれぞれで異なり、支払いのシステムが混沌としているとのことであった。
ホスピスケアは、メディケアでカバーされているが、そのほかの保険でもカバーされている。例えば、カリフォルニアでは大手のプライベート保険組織 Health maintenance organization があり、これを利用している人は多い。このHMOは独自の病院やホスピスをもっているが、マリン地区ではこのHMOがホスピスオブマリンと契約を持っているのでこの保険の患者でホスピスが必要になると紹介がくる。またカリフォルニア州は、メディ・カルという低所得者用の保険があり、このメディ・カルでカバーされる患者とメディケアで紹介される患者、様々なプライベートの保険会社による支払いでは同じケアを行うのでも支払いは多かったり少なかったりする。
 このような状況のなかでもホスピスオブマリンはアメリカでも2番目に始まったホスピスということで、地域に密着して活動していた。また、ホスピスオブマリンでは、ホスピスの対象をよりグローバルにしていこうというCEOの意向のため今までの患者ケアに加え、長期の戦略ということで、病院への緩和ケアの普及プログラムや、コンピュータベースの患者レコードなどの導入が行われていた。
 ホスピス自体としては、このような変化の中にあったが、ナースマネジャーはスタッフ全体をまとめていくために一人一人のスタッフの(ナース、ホームヘルスエイドを含む)代弁をするように勤めていた。患者からの電話の対応など患者ケアにもかかわりながら、管理を行っていた。このように、管理職にある者が、患者ケアを理解しているということはよりよいケアを提供するにあたり大切なことだと思った。
 
7. おわりに
 このホスピスでの体験は、私自身の目を開く体験であった。自分自身の死や生きることに対する考え方を振り返る機会になった。また、自分ができる役割についても考えさせられた。私は、現在看護大学で働いている。このホスピスでの経験を学生に伝えていくことで、ホスピスケアということの必要性、自然性について伝えることができる。また、ホスピスナースが具体的に行っていた患者ケアは、授業にも役立つものであった。このような体験ができたことは、ホスピスオブマリンや、その先行実習であった六甲病院で、スタッフが惜しみなくホスピスケアの様子を学びたいとやってきた者に見せてくださる姿勢と、ホスピスケアを提供している日々の働きであると考える。日本においてホスピスケアを普及していくにあたり、まずは、一般市民がホスピスとはどういうものかについて理解する必要がある。日本においても、死に対して話をしたり、扱うことはタブーであり、その制約のために一般市民がホスピスにふれる機会は少ない。現在ホスピスで働いているスタッフが、すばらしいケアを患者家族に与えることで、ホスピスとはどういうものかについて体験した家族から地域に伝わっていく。また私のような直接ケアに関係ないものも、このような学びの機会を得ることで、教育の現場でホスピスのあり方を伝えていくことができる。ホスピスオブマリンでは、ボランティアの人々が、実際にホスピスを体験していたり、家族の死をホスピスで経験したものが、現在ホスピスのスタッフとして働き、またその体験をボランティア養成コースで話しをしたりする機会があり、まさに、地域の人と人とのつながりがあった。今回の研修で得たものを伝えることで、人々へのホスピスの啓蒙となると考えた。また、アメリカでのナースの自律性に驚いたが、彼らは、「私たちも今まで認めてきてもらうように努力をした」と述べていた。アメリカのホスピスもイギリスの流れをくんで起こってきているが、ナースがホスピス発展に大きな役割を担っていることは、明らかであった。今後日本のホスピスの発展を考えるにあたり、ナースとして自分のできることを考えていきたいと思う。このような機会を与えてくださった笹川財団に感謝致します。
 
参考文献
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Sandol Stoddard, (1978) The hospice movement a better way of caring for the dying Stein And Day, N.Y.
 
荒尾晴恵、滋野みゆき、大西和子、河井良江、恒藤暁、(2002)我が国におけるターミナルケアのあり方に関する基礎調査―在宅ターミナルケア促進にむけて−
 
福井小紀子(2003)海外のホームケアからアメリカにおける在宅ホスピス事情1歴史と現状 訪問看護と介護8.1.







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