症例12
1. 症例12の概要
F.T 年齢86歳(死亡時) 女性
病名は(1)混合型痴呆 (2)脊柱管病
2. 当院へ入院するまで
平成7年(80歳)物忘れが目立つようになった。平成8年5月物がなくなると言い出し(物取られ妄想)、不眠、不穏出現。KC病院内科受診。痴呆せん妄と診断され、7月12日から8月12日まで入院。個室で家政婦を付けたが、対応困難との事で近くのS病院に転院。家政婦を付けたがみな長続きせず、痴呆症状が急速に悪化した。11月2日A病院に転院。介護ケアが充実してみちがえるように明るくなり皆にあいさつや笑顔が見られるようになったが、医療器具や他患者の私物いじり、徘徊、異食、他患者への過干渉がみられ、対応困難との事で平成8年12年11日(81歳)当院転院となった。
3. 入院後の経過
食事、歩行は自立。排泄はトイレ誘兼。疎通はいいが物忘れが重症。認知障害、徘徊、せん妄をみとめた。夜間の興奮、不眠あり。時に乱暴、他患者の椅子を引きずって転倒させたり、薬を「毒」だと拒否したり、座っている他患者をこずいたり、火災報知器のスイッチも何度も押したり、乱暴あり。向精神薬の調整とともに、メンタルケア、精神科作業療法、傾聴声かけ、見守り、合併症の早期発見治療につとめた。日によって落ち着く時もあるが、せん妄や転倒を繰り返した。平成9年1月にはスタッフになじんで話をするようになり「恐い、みんなが襲ってくる。男が3人、女が1人、40歳くらい。恐ろしい集団。ここは恐いところ。仕返しをされる。」「痛い、鏡でうしろを殴られた。」など被害的な訴え。2月20日には突然全く開眼せず、しゃべらず、娘さんが来るとパッと覚醒。「先生この人は人がいいからだまされているんです。本当のことを言ってあげて下さい。本当は癌でもう死ぬんです。」と話してくる。人の見ているところでしりもちをついてみせたり、3月2日には非常ベルを押すなど人の注意を引こうとする演技的なところも見られた。無動、無反応となる。ヒステリー的発作は数回繰り返した。救急の専門医が意識障害と診断する。4月以後は、発熱、独語、徘徊を繰り返し、目立つ問題行動は徐々に鎮静化していった。しかし、バランスが悪くなり、見守りケアにこころがけたが、転倒受傷を繰り返した。(認知障害の重症化で危険を認識できない状態)平成10年11年と退行が進み、徐々に廃用性筋力低下、つかまり歩きをするようになった。平成12年には会話がちんぷんかんぷんで全く疎通がとれなくなり、終日、徘徊、易怒的不穏あり。常に見守りケアを要する状態。平成13年に入ると感染病を繰り返して、心肺機能も低下。労作時息切れあり。また転倒しやすいのだが、それでもじっとしていられず徘徊していた。平成14年5月にはしりもちをついて腰推圧迫骨折をきたした。腰痛のため歩くことが少なくなり、これをきっかけに食欲低下、拒食するようになった。「気持ち悪い」と食べずに吐き出したりして徐々に栄養状態低下。嚥下機能もおちてきた。7月に入って、摂食、飲水の状況は回復せず、衰弱が進むため、経管栄養・IVHの検討も行った。しかし、基本的にはアルツハイマー病の末期であり、日によっては飲水摂取できており、ご家族も患者さんの夫が鼻膣栄養で苦しみながら亡くなったという経験をしていて、そういう治療や延命だけの治療処置は望まれないとの意志を表明されたため、苦しまないような補液抗生剤等にて対症的にみることとした。8月に入っても時々立ち上がってはしりもちを繰り返していたが、中旬より全く自力での立ち上がりはなく、意識レベルも低下してきた。徐々に栄養不良となり、意識レベル呼吸状態が進行性に悪化。8月23日にはチューンストークス様呼吸となり、III200〜300。血圧も100を切り、心肺機能が急速に悪化。8月26日AM10:31永眠された。
4. コメント 5年8ヶ月
向精神薬はプロペリシアジン7.5mg、CP2.5ml、
塩酸スルトプリド25g→25g/1日→25g/隔日
といった時期が1年間続いたがその後はフルニトラゼパム0.5mgと抗パーキンソン剤で、となった。痴呆にヒスラリー症状が重なった。愉快エピソードの多い人であった。
補液のための点滴中もじっとしておれず点滴をしながらスタッフと一緒に歩いたこともある。ターミナル期は「もういらないからやめてちょうだい、食べたくないの」と食べたいものだけを少量のみ食べた。補液にて35日間で死亡。
症例12 資料
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症例 12 図表記
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