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症例11
1. 症例11の概要
I.T 年齢76歳(死亡時) 男性
病名は(1)アルツハイマー型痴呆 (2)脳梗塞 (3)胃潰瘍
 
2. 当院へ入院するまで
 昭和63年4月(62歳)風呂場から出て意識を失い往診を受けて胸梗塞疑と診断。しかし一週間で勤めに出はじめ普通生活。同年暮れ頃ようすがおかしいので蒲田のN病院胸外科を受診。翌年5月まで通って胃潰瘍多発性胸梗塞アルツハイマー型痴呆と診断された。その後徐々に痴呆症状が進行。それでも平成6年夏(68歳)までは身のまわりのことは自分でできていたが、徐々に失禁。電車に乗れず、字も読めず、徘徊するようになった。平成8年には介助に抵抗し、ズボンが濡れていても着替えさせない。徘徊がひどく、玄関に南京錠をかけるという状況となり、家族が介護に疲れきってしまった。家庭介護限界とのことで平成8年8月16日(70歳)当院入院となった。
 
3. 入院後の経過
 左不全癖症があるものの独歩。夜間不眠徘徊があり、拒薬、介護への抵抗あり。スタッフを叩いたり腕をねじったりもする。HDS−R0/30点で認知障害重度、疎通もほとんど取れない。突然他患者の頭を叩いたり、髪の毛をつかんだり、植木鉢の土や草を食べてしまったり、転倒したり、目をはなせない状況で、少量の向精神薬を投与せざるをえない状況だった。病院スタッフになじんでもらうよう、声かけ、暖助をこころがけ、トイレ誘兼、紙パンツ併用で失敗のないよう尊厳を重んじながらの見守り、ケアにつとめた。徐々に精神状態が落ち着き、平成9年1月にはだいぶあたりがやわらかくなった。2月肺炎発症。3月には体重減少、肝機能障害を併発したが、検査、治療をしているうちに元気がでてきて、4月にはスタッフへの暴力、乱暴、徘徊、転倒がみられるようになった。5月、6月と予測不可能の興奮、暴力を繰り返した。その後も、発熱してクタッと寝込んだり、また元気になって興奮、徘徊、暴力を繰り返した。平成10年11月(72歳)転倒。頭部打撲を繰り返し、意識レベル低下、嘔吐も出現。頭部CTにて亞急性硬膜下血腫、脳挫傷と診断。保存的に見るも、意識障害、嚥下困難が進行。12月16日K病院へ転院。血腫除手術を受けた。平成11年2月26日帰院。車椅子生活で発語できない状況となった。胃潰瘍の合併、吐血あり。食欲も不良、対症的にケア治療したが、坐位での食事時間が長いこと、歩けない、栄養状態の不良の為、5月には右臀部に創ができてしまった。栄養状態の改善、処置ケアにつとめ、11月には上皮化治癒した。感胃等きっかけに臥床生活を繰り返し、平成11年末から平成12年6月にかけて尾骨部の小さな創が出没。8月には左下腿に皮膚潰傷出現。治療にて年末までに治癒した。この間もそうだが、さらに平成13年に入ると(75歳)感胃等にて発熱する為に、体力低下、痴呆も進行し、疎通がまったくとれず、発語もなく、嚥下機能も低下、衰弱がさらに進行した。平成14年1月8日痰づまりをきっかけに全身状態悪化。一時危篤状態となった。救命はしたものの、一般状態極めて不良。その後、経口摂取も可能となりなんとか落ち着いたが、7月に入って肺炎併発。感染症状は取れたが、徐々に呼吸状態悪化。下旬には無呼吸も見られるようになり、末期状態と判断。ご家族に説明。経管栄養、高カロリー輸液については適応なく、ご家族も望まれないことを確認。補液中心に対症的治療につとめた。8月に入ってそれなりに一般状態が安定したが、8月10日肺炎発症。加療につとめるが重症化し、8月19日AM10:20可能な限りの治療につとめるも及ばず永眠された。
 
4. コメント 3年4ヶ月
 向精神薬はプロペリシアジン2.5gから10mg フルニトラゼパム1mg就眠薬として1年6ヶ月ほど使用があった。その後はフルニトラゼパム0.5mgのみでよかった。
 死亡前1年間、食べることが困難になってきていた。昼間生あくび、閉口しているのかあくびをしているのかわからず、食べ物を入れるとむせる。妻の「私はこの人をあまり愛していないのに」と言った。葛藤も聞かれたが、良くしてもらってと感謝されたが、いろいろ考えさせられる症例であった。
 
症例11 資料
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症例 11 図表記
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