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症例13
1. 症例13の概要
M.M 年齢87歳(死亡時) 女性
病名は(1)アルツハイマー型老年痴呆
 
2. 当院へ入院するまで
 弁護士の父の子として新宿に出生。文京区にて育ち、旧制高等女学校卒業。英会話学校に通学。21歳で結婚。1子をもうけ、専業主婦。夫はT病院院長をつとめた外科医。平成元年(74歳)頃からやかんの空焚きをすることがあった。平成4年(78歳)7月夫と死別、独居となる。この頃より「物がなくなった」「盗られた」などの物盗られ妄想出現。訪問看護、ホームヘルパーが週1回促症の息子夫婦の訪問などで独居生活を支えていたが、平成8年(82歳)胸推圧迫骨折にて入院。これをきっかけに、被害的言動が目立ち、痴呆症状が急速に進行。平成10年(84歳)3月「死ぬ」と口走ったり、食事摂取不良となり、M病院入院。抗精神病薬治療後、活動性が極端に低下し服薬中止した。一方的に大声で機嫌よく、多弁に話をしたかと思えば傾眠がちになり、昼食を嘔吐したり意識障害を疑う状態になったりした。気分の易変性強く、陽気に多弁に話しているかと思えば拒絶的に「どうせ脳軟化病のバカだと思ってるんでしょ」などの被害的言動がみられ、検査に非協力的、長谷川式も途中で内容がそれてしまい、施行困難だったが5/30点。自分の年齢、生年月日、季節は正答できた。平成10年4月23日当院転院となった。
 
3. 入院後の経過
 下肢筋萎縮苦明で、起立歩行困難。車椅子生活。見当識障害重症。性格の尖鋭化あり。大変気難しくプライドが高い。医師看護婦に対して夫の部下のようなもの言いをする。趣味はなく、趣味を持つのは悪いという価値観あり。”ひな祭り”等の行事も拒否。「禁欲であらねばならない」「威厳を持たねばならない」という思いが強い。皮肉な言動が多く、お見舞いの花に「明日は枯れる」。お大事にといわれて「あなたに言われるすじあいはない。」などの物言いをする。長谷川式検査は拒否。世間話しには陽気に笑い気分のむらが激しい。重症の認知障害あり。夜間不眠。起立困難なのに立ち上がり歩行しての転倒受傷を繰り返した。平行棒内歩行訓練には積極的。尊厳、プライド自発性を重んじて傾聴、声かけ、見守り、排泄は声がけ等、入浴は洗い・着脱についてできるところまでやってもらいできないところだけ介助等にこころがけた。時間がたつにつれ病室スタッフ他患者にもなじみ、笑顔でレクリエーションにも参加されるようになった。その矢先5月20日発熱後、肝機能障碍、抗生剤治療後急速に自然宣解した。この際全ての薬剤を中止した。その後転倒受傷を繰り返し、縫合を要する裂創もあった。9月には”「私の両親を殺してやる」という人がいるんですよ。裁判官のうちで人に恨まれるようなこともしていないのに。恐くなってここに来たんです。交番で調べればわかります。”とホールに出ていることあり。[幻覚妄想による車椅子での徘徊。立ち上がり歩き出し。]平成10年暮れより風邪症状を繰り返し、平成11年に入って(85歳)喘息性気管支炎、胸水貯留を併発。治療抵抗性で2月下旬には肺炎に移行。傾眠傾向で栄養状態悪化。衰弱が進んだ。加療にて3月にはほぼ軽快したが、4月以後元気になるとまた車椅子徘徊、立ち上がり転倒受傷を繰り返した。7月下旬発熱右萎助部痛、嘔吐あり。検査にて肝機能障害あり。抗生剤にて転快。繰り返すエピソードで胆石胆のう炎が疑われた。8月16日早朝転倒、左股関節部痛出現。X−Pにて左大腿骨頭部骨折、手術目的で8月17日R病院へ転院。8月25日観血的整復固定術施行。9月12日帰院。車椅子生活だがその後も動いてしまい、打撲受傷を繰り返した。10月12日アズノール軟膏を食べてしまい「おいしかった」と。その午後には、灰皿の中にあったコーヒー豆を食べてしまう。夜には右下腿前面をぶつけて5cm程表皮剥離。10月20日には左上肢の動きが悪くなり、本人は「夕べまではなんともなかったのに子供ができて腕に注射していった。それで朝から動かなくなった。」という。10月29日整外受診し、左肩腱板損傷と診断。(保存的に徐々に転快)11月18日右胸痛いと訴え。整外受診。右第5、6、7助骨折と診断。12月下旬、気管支肺炎にて加療。平成12年に入って感染症を繰り返し、栄養状態低下。一般全身状態悪化。対症的に補液。抗生剤治療にて3月下旬にやっと軽快。(86歳)4月に入って元気が出てくるとまた転倒受傷を繰り返した。5月以降、発熱を繰り返し徐々に食欲低下。低栄養状態、貧血下腿浮腫が進行した。8月には胸水貯留をともなううっ血性心不全の状態。9月以降気管支肺炎繰り返し。一般状態はさらに悪化した。11月30日未明、胸苦訴え。その後右萎助部痛出現。胆道系酵素の上昇あり。抗生剤治療にて転快。12月3日には検査データは正常化した。その後食欲も回復し、一般状態も落ち着いた。車椅子自操「Mです」「ヘルパーさんと大切に」などの独語あり。トイレを拒否して大声をだしたり、多弁。膝掛を「これはあたしのじゃない。あの人に盗られた。」と言ってみたり、毛をむしって口に入れたり、衰弱は強いがそれなりに活発に車椅子で移動。ずり落ちも見られていた。平成13年1月9日午後より突然の発熱。クーリング補液治療。夜間声も出し水も飲んでいたが翌1月10日早朝AM7:30呼吸促逮状態急速に悪化。血圧低下。AM7:40下顎呼吸ショック状態となった。それまでのエピソードから考えて、胆道系感染症→肢血症性ショックを強く疑い救命のため積極的に抗生剤・補液・強心剤・昇圧剤治療を行ったが及ばずPM3:10意識回復することなく永眠された。
 
4. コメント 2年9ヶ月
 向精神薬は、4ヶ月間、塩酸チオリダジン10mg、フルニトラゼパム0.5mg、その後はフルニトラゼパム0.25mg。
 長谷式テストは「私にこんなものをやらせて」と拒否。協力してもらえた時は5/30点。
 よく怒る人であった。いろいろな訴えも多かった人であった。胆のう炎の時は「苦しい」「いつも違うと思う」「本当にくるしいのよ、先生嘘じゃないのよ」と孫と不仲であったが、入院中に和解。皆泣いて喜んだ。最後は肢血症ショックで急変、頻回に面会にきていた家族だったが間に合わず、ご遺体を玄関からお見送りをした時には、長男は「私は感動しています」と陽気で和やかなお葬式だった。







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