症例7
1. 症例7の概要
H.Y 年齢81歳(死亡時) 男性
病名 (1)老年痴呆 (2)早期胃癌術後 (3)脳腫瘍 (4)脳梗塞
2. 当院へ入院するまで
神奈川県に生育。21歳頃、郵便局に就職。自転車で配達の仕事。62歳頃、退職。52歳、早期胃癌にて手術。73歳、脳腫瘍。手術目的で入院したが、入院中に脳梗塞発症。年齢やリスクなどを再検し、手術はしないことと保存的に加療後、退院。平成7年(75歳)11月ごろより、徐々に痴呆症状出現。徘徊、物探し、物の移動、幻覚もあり、見えない物を拾う仕草を繰り返した。
平成8年(76歳)夏、登戸まで自転車で行ってしまったり、近所で迷子になったり、徘徊が目立つようになった。「ドロボーが家にいるから来てくれ」と警察に行ったり、人の姿も見えているようで独語もあり、幻覚妄想状態。
平成8年10月には昼夜逆転し、転倒受傷(顔面裂傷)繰り返し、M病院入院。徘徊、物いじりが激しく、24時間、目を離せない状況。
平成9年2月7日、当院に転院となった。
3. 入院後の経過
左下肢の軽度麻痺、両下肢の筋力低下、認知障害(自分の状況、危険度を認識できない)などのため、大変転倒しやすい状況にあった。意思の疎通はとれるが、夕刻になると目つきが変わり、別人のように取的せん妄と推測される多動。徘徊、不眠、物いじり、他患のベッドに入り込んだり、といったことがみられた。
排泄は誘導にて自力ででき、失禁はないが時に見当識障害のためか部屋のすみや廊下で放尿あり。更衣は自力でできるが、上着をズボンのようにはいたり、パンツを帽子のようにかぶったりといった着衣失行あり。
じっとしていられず、ドアや壁を手でぶったり、モップで廊下を掃除したり、人の足元を押したり、椅子を動かしたり、車椅子をひっくり返したり、落ち着きがなく、時に突然、走り出して転倒したり、そのための転倒受傷を繰り返した。スタッフの見守り、声かけ、タッチ、集団レク、風船バレー、メンタルケア、環境整備、袖がまくれていないか、靴下ははいているか、靴は履けているか(肌の危険な露出がないか)、当初はギア式ヘルメット帽子はかぶっているか、廊下に障害物はないか、水がこぼれていないか、その他、危険な状況はないか、メンタル的に不穏を引き起こす状況はないか、等の工夫、努力にも関わらず、頭、顔面、手の打撲、裂傷、尻餅は生傷が絶えない状況が続いた。〔消毒ガーゼ保護など連日、行わざるを得ない状況〕
精神的退行の予防にも努め、スタッフとして精一杯の努力を続けたが、徐々に痴呆は進行。ADLレベルも低下していった。平成12年(79歳)には認知障害重度で、自分の危険を認識できずまったく自分の身を守ることができなくなり、せん妄、不眠、体力低下が進み、痴呆の末期状態と判断。8月、家族にその旨、説明した。
平成13年2月には高度痴呆で意思の疎通がとれなくなってきた。このころより、発熱、感染症(気管支肺炎、尿路感染症)繰り返し、対症的に治療したが、なかなか治りにくい状態となった。
平成14年に入って、尿閉、結節性紅斑、誤嚥性肺炎くりかえしるいそう衰弱が進行した。徐々に衰弱が進み、4月以降はご家族も頻回にお見舞いに来院され、最期の近いことを説明した。8月に入って感染症などはないが、るいそう衰弱が一段と悪化、老衰状態となり、8月24日、PM5:28 ご家族に見守られながら永眠された。
4. コメント
向精神薬はフルニトラゼパム0.5g パモ酸ヒドロキシジン25g 就眠薬としてのみ1年間だけ使用。
とにかく動きの多い人で、多いときには年間50回位転んだりしていたが、骨折はなかったが、生傷は絶えなかった。数回ターミナル期と思えるときがあったが、老衰で死亡。(約2ヶ月間のターミナル期)長男は当院での入院生活を「本人が自由に生活できたこと(ヘッドギアを付けて徘徊させてくれたこと等)本人はとても幸せだったでしょう」と話していた。
症例7 資料
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症例 7 図表記
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