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症例6
1. 症例6の概要
T.T 年齢81歳(死亡時) 女性
病名 (1)脳梗塞後(後大脳動脈領域) (2)脳血管性痴呆 (3)肺癌+肝転移
 
2. 当院へ入院するまで
 北海道で4人同胞の長子として出生。小4まで地元の小学校に通い、以後、奉公に出て後、料理屋勤め、51歳で結婚、挙子なし。68歳で夫と死別。以後、一人暮らし。
 平成6年(74歳)、脳梗塞発症。この際、見舞いの友人がスリッパ、食器、下着などを盗っていくといった物盗られ妄想が出現。退院後も続いた。その後、徐々に痴呆症状が進行。
 平成11年(49歳)暮れには、自分の家が分からなくなり、友人に送ってもらった。平成12年2月には、電話が通じないので、妹が様子を見に行くと、鍵開けっ放し、電気、魚焼き機などつけっぱなしで、寝ていた。冷蔵庫には何年も前の干物が入れっぱなし。放置できず、妹が同居することになった。テレビも見ず、火も使えず、「横に誰かいる」「そこに立っている」などの幻覚妄想あり。しかし、家族が否定すると「妄想かね」と否定できた。物盗られ妄想もみられ、3月には「私がここにいなきゃいいんでしょ」「川に飛び込んで死ぬ」といった被害妄想あり。外へ出ようとしたり、妹への暴言・暴力がみられるようになった。
 妹の介護限界となり、4月24日、有料老人ホーム入所。帰宅願望が強く、離設行動もみられ、退所。10日〜2週間ずつ施設を転々とし、5月29日、当院初診、入院となった。
 
3. 入院後の経過
 記銘力障害、失見当識が強く、HDS−R12/30点。物盗られ妄想が活発で、被害的ですぐ不穏となり、暴言・暴力もみられた。帰宅願望強く、診察拒否。「家に帰りたいが、お金を盗られた」「子どもは3人いて、皆、結婚している」「主人は家にいる」など妄想・作話傾向。グループホームケアには本人の意向に合わせ参加。肺炎診断後も参加。
 9月には、「警察の病院に入れられていて取り調べを受けている」と怒り、「主人に連絡して家に帰る」と。18年前に夫が死亡していると話すと、「18年前だなんてとんでもない。バカにして・・・」など多弁だが、支離滅裂で被害的。エレベーターの前に座り込んで、「朝から3時間もこうしているのに誰も何もしてくれない」(どこへ行くの?)「知らないわよ」(帰るのに)「お金がない」補助に妄想は勢いがなくなり鎮静化していった。
 翌年1月には、自室で放尿したり、床に排便したりの行為が出現。痴呆レベルは進行したが、妄想、興奮は緩やかになった。
 3月に入って体調不良を訴え、食欲減退。3月10日、右季肋部痛あり、胸部XP上、右中下肺野を占有する腫瘍影、右横隔膜の挙上、胆道系酸素の上昇を認め、東京医大八王子医療センター受診。その後、急速に食思不振、衰弱が進行。3月26日、「私、死ぬのかしら?」と。
 3月29日、肺癌+肝転移と診断。家族と相談の上、すでに末期癌の状態であり、積極的な検査治療は行わず、疼痛、苦痛などの症状緩和を中心に加療していく。本人には告知しないこととした。
 4月に入って、全身状態が急速に悪化。4月16日 PM9:56 ご家族に看取られて永眠された。
 
4. コメント
 向精神薬は、塩酸スルトプリド10−20mg―――10mg、フルニトラゼパム0.5mg、パモ酸ヒドロキシジン25mg、必要であった。
 グループホームケアに参加するも、本人の意向に合わせ、午前中参加が多かった。仲の良い人ともすぐ大喧嘩。肺癌が発見された後もグループホームに参加。資料2のこの人の死をグループホームのメンバーが皆泣いて悲しんだ。けれども翌日には皆忘れていたという本人である。
 
症例6 資料
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症例 6 図表記
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