症例2
1. 症例2の概要
S.F 年齢92歳(死亡時) 女性
病名 (1)アルツハイマー型痴呆、(2)右大腿骨頚部骨折、(3)高血圧、(4)狭心症
2. 当院へ入院するまで
3人きょうだいの第2子で、結婚して3男1女をもうけた。夫は死亡しており、3男一家と同居していた。平成3年(81歳)ごろからもの忘れが始まり、徐々に進行。平成6年(84歳)9月から、失見当識、徘徊などが出現。平成7年2月14日、自宅で転倒し、右大腿骨頚部骨折を受傷。2月17日、入院手術。この入院をきっかけにさらに急速に痴呆症状が悪化し、ADL全介助となった。平成7年3月17日(86歳)、当院入院となった。
3. 入院後の経過
入院時、排泄はおむつで、車椅子生活だった。しかし、訓練室では安静時痛も運動・荷重時痛もみられず平行棒内で5往復の歩行は可能だった。高度痴呆で簡単な挨拶にはもっともらしい受け答えあり、「立ってください」「座ってください」といった程度の指示は了解できるが、それ以上のコミュニケーションは難しく、また大変拒否的で診察に非協力的であり、自発的動き、発語が少なかった。立ち上がり、転倒受傷の危険とともに、退行、活動性機能性低下、無言無動、廃用症候群のリスクが大きく、見守り、援助、声かけ、スキンシップ、レクリエーション参加、リハビリなどを心がけた。また自発的に訴えることがないので、異常の早期発見に留意し、食欲、嚥下状態、排泄状況、顔色、表情、バイタルサインなどを慎重に観察した。
車椅子生活で居眠りしていることが多く、スタッフがいろいろ工夫してさまざまなアクティビティ提供、声かけ、タッチに努めたが徐々に活動性、機能低下が進行、平成9年には不動状態のため、臀部に褥瘡が出没し治療ケアーを続けて、11月には治癒。
発語なく、疎通もまったくとれない状況となり、アルツハイマー型痴呆の末期と判断された。
それでもできるだけ人間らしい生活(QOL)を、ということで、離床、経口摂取、入浴、音楽療法などのアクティビティ提供、声かけ、タッチなどの継続に努めた。しかし、次第に体力低下とともに気道感染、尿路感染をくり返したため、対症的に短期間の抗生剤、やむを得ない場合の補液治療などを施行せざるを得なかった。嚥下機能も低下した。
平成14年に入って食事中のムセや座位時の血圧低下もみられるようになってきた。この時点で経管栄養、IVHも検討されたが、ご家族に相談したところ水分補給程度の点滴でできるだけ自然に看取りたいとのご意向であった。
その後、微熱、嚥下困難が続き、継続的に抗生剤、補液治療を施行した。徐々に嚥下困難が進行。3月中旬には呼吸機能も低下し、経口摂取できない状態になった。3月14日には血圧も60mmHg台に低下。ご家族に最期が近いことを告知した。徐々に衰弱が進行、心機能低下、全身浮腫出現。3月20日、下顎呼吸となり、夜には血圧測定不可となったので、ご家族にご連絡した。その夜、3月21日、AM1:08、ご家族に看取られて永眠された。
4. コメント
向精神薬は入院直後、スルピリド20mg−50mg/1日、約1年 フルニトラゼパム(1mg)1/2錠〜1−1/2錠、大腿骨骨折術後、痴呆症状悪化して当院入院。約7年間入院生活を送った。
ADL低下に伴い車いすでの臀部褥創の出没に対しては1回の座位時間を1時間とし30分毎にプッシュアップし除圧につとめた。1時間の座位、30分〜1時間の臥床休憩を繰り返すという生活パターン。この座位保持も除々に困難となり関節拘縮、臀部褥創の状態に応じて車いすの種類を検討変更していった。
経口摂取困難になってきて食事中誤燕が多くなってきた。食事介助のリスクが大きく介助。必ずスタッフステーションの近くですぐ対応できる状況で行った。
息子さんは「母は女性としての美に対する意識が強かった人。出以後までその考えを通してあげたい。清潔で安らかな最後を望みます」と。
24日間。まったくの禁食は8日間。死ぬ間際周囲で家族が昔話をしながら、とても陽気で明るい葬儀だった。
症例2 資料
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症例 2 図表記
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