症例3
1. 症例3の概要
B.K 86歳(死亡時) 男性
病名 (1)脳血管性痴呆 (2)多発性脳梗塞 (3)間質性肺炎 (4)腰椎圧迫骨折、腰部脊柱管狭窄
2. 当院へ入院するまで
本人が12歳の時、両親が脳卒中にて他界。その後、上京して鍛冶屋となり、馬の蹄を打っていた。26歳で結婚、1男3女をもうけた。戦後は調理師として働いた。定年(61歳)後、社交的に暮らしていたが、妻がうつ病にて被害的な症状が強く、別居。長男一家と同居していた。
平成11年12月(84歳)、肺炎にてT病院へ入院。間質性肺炎との診断で、平成13年1月まで、4回、入退院をくり返し、ステロイド剤治療を受けた。4回目の入院のときに「看護婦さんが食事に毒を入れている」「誰かがおれを見張っている」などの妄想が出現した。この間、腰椎が出現し、脊柱管狭窄症と診断。手術を進められたが、精神症状悪化のためにできなかった。
退院後も被害妄想が続き、精神科クリニック通院、向精神薬にて被害妄想は軽減した。
平成13年6月、腰痛にて入院。入院中に一過性の意識消失発作あり、TIAと診断された。平成13年11月にも意識消失発作があった。その後、昼夜逆転、夜間、「トイレへ行きたい」「腹減った」「水が飲みたい」「痒い」などの訴えが続き、日中はボーっとしている状態(TVも新聞も見ない)。家族が介護疲れで自宅介護限界となり、平成14年2月22日、当院入院となった。
3. 入院後の経過
身体所見としては両下肺部にベルクロラ音を聴取した。腰痛のために伝い歩き、実用的には車椅子生活。難聴のためコミュニケーションはとりにくかったが、人格の芯は保たれており、HDS−R16/30点。まだら痴呆で、脳血管性痴呆と診断した。
腰痛については対症療法をしながら、昼夜逆転に対し、日中の離床活動性の向上、よい刺激の提供を目指した。30分ほどの離床座位で腰痛が出現するため、座位姿勢、椅子座面の変更、気晴らし、声かけなど、日中起きているように励まし、工夫した。落ち着いた時期もあったが、夜間不眠・被害妄想をくり返し、せん妄のため向精神薬使用もやむを得ないこともあった。
入院3カ月でだいぶ病院にもなじんできたが、その矢先の5月27日PM5:45、失禁して、発語できなくなっているのに気づき、CT検査で脳梗塞と診断した。ご家族にご連絡、来院いただいて、専門病院への転院、専門治療についてご相談した。経管栄養、高カロリー、急変時の蘇生・延命治療についても逐次、ご説明し、ご意向を伺った。
専門病院への搬送、専門的な検査治療ならびにIVH、蘇生術、延命治療は希望なさらないことを確認。当院で保存的に加療することとした。その後、脳圧亢進、心不全、肺炎の合併あり、対症的に加療したが、徐々に一般状態悪化した。6がつに入って治療方針についてご家族に動揺があり、IVHなどの再検討も含め、頻回な話し合いをもち続けた。6月10日、意識レベルが少し改善。嚥下運動もみられるようになった。6月12日、ゼリーの経口摂取可能となった。6月17日、ご家族との話し合いで、積極的な栄養補給は行わず、末梢の補液と少量の経口摂取で対症的に治療しながら、回復を待つことに方針決定した。
6月19日、痙攣発作出現。意識レベルも低下。一般状態きわめて不良となった。その後、指定剤使用で痙攣発作は収まったが、一般全身状態徐々に悪化。7月に入って、心肺機能低下し、痙攣もくり返した。
7月21日には努力呼吸となり、血圧も80台に低下、SATO2も80%台に低下した。ご家族に大変きびしい状況となっていることをご説明。
7月23日AM6:00 下顎呼吸となり、ご家族に連絡。PM3:28、ご家族に見守られ、永眠なされた。
4. コメント
向精神薬は ブロムペリドール(1mg)1錠〜1/2錠、クロナゼパム 0.5mg 1錠、塩酸プロメタジン(25mg)1錠 、クロナゼパム0.5mg 1錠を脳梗塞発作まで適宜使用。夜間せん妄は2ヶ月位で軽性してきて、ADL活動性、気力も家族が想像していた以上に上がり、「ここ(上川病院)は家よりいいや」等と言い、家族も大喜びしていた矢先の脳梗塞であった。家族、子供達は、話し合いを進めて、保守的治療を決めたが、孫の「おじいちゃんは頑張っているのに栄養をあげないのはおかしいんじゃない」の一言に家族全体はまた迷うのであったが、主治医と頻回な話し合いの中で、58日間の経過で死亡したが、家族が病院で死を看取れたこと、当院で過ごせた時間を家族は満足されていた。
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