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III 研究の成果
 つまり、看取り人への項目は最初期はほとんど見られないが、しだいに時代と共に、死にゆく人から看取る人への要求項目が増加しているわけで、この傾向を解釈すると、中世最初期の頃は未だ<看取りの形式>がなく、よって定着しておらず、近世に至るにしたがって、看取り人の役割りにおける必要性と重要性が理解され、結果として<看取りのかたち>が一定の形式として定着し完成していったということである。現代風に言えば、死を迎える人への態度や注意ごともさることながら、臨終の場でケアにあたる医療職や宗教者への注意ごとなどが課題の中心となっていったので増えたということであろう。換言すれば、日本における臨終の場面での看取りが定着した証左とも言えるだろう。
 また、いつの時点か、については、中世のものは平生から臨終までの項目が大半であるが、これもしだいに近世江戸期に入るにしたがって臨終時の儀礼作法や臨終後の処置、すなわち葬送儀礼に関する箇条項目まで入ってくる。これは臨終行儀が心得や態度から形式を重視するようになっていったという本質的変化が起こったことでもあるが、裏返して言えば、それだけ当時の葬送における民間習俗を深く意識した結果であり、それだけ民間に広がっていた証左とも言えるだろう。これらが一連の臨終行儀書を分析した上での全体的な意味での研究成果である。
 一方、学生とのゼミにおける臨終行儀書の輪読会、および付属病院におけるターミナルケア・ミーティングを含めた意見交換会は1年間で12回行なった(時間の関係で輪読だけの時もあった)。テキストは可円の『臨終用心』と寂誉知足の『臨終略要抄』、TCMは現在進行形だけでなくデス・カンファレンスもかなり多かった。輪読関係では、たとえば酒肉五辛について、酒は別にして肉や五辛(五種類の臭気ある野菜)の排除や、生を貪ってはいけない、などについては理解できず現代には不適とする意見が多く、末期の水という儀礼は約半数が知らないと言うも、それらの学生でも頭北面西、つまり北枕西向きについて、北枕は避けていると答える学生も結構いた。このように、教義的にはほとんど意味がないにもかかわらず、現代に残る死者儀礼の習俗の存在を理解することも一つの目的であった。また臨終後の二日間は未だアーラヤ識が体内に残存しているので葬送儀礼をすれば殺人罪になるという習俗的項目については、現今の臓器移植における脳死判定と臓器摘出との関連で、学生たちはなぜ脳死移植が事例も少なく、一向に市民権を得ず普及しないのかという根源的要素の一斑を理解し認識したようであった。生を貪ることはよくないことという項目については、現今の医学の進歩を含めて長く生きるが良いことだ、という思潮は決して永遠の考え方ではなく、一時的なもので、昔の人はいかに上手に死ぬかをもって、いかに生が充実していたかを推し測っていたと思う、という意見もあり、現代に活かすという視点で考えれば総論的には学校教育のなかでどのようにデス・エドケーションを行なうか、各論的には意識と能力の高さが要求される看取り人、つまり臨終にかかわる人の教育が今後の課題だという指摘が結論として提出された。さらに知足の書の第17条などは、従前のものは皆、死にゆく人の希望(飲食物)については説得して制止すべし、とあるのに対してこれを許し、一旦は希望を聞き入れて充分に満足させるという、ある程度は患者の望みや気持ちを受容すべきと主張する、古典には珍しい内容となっていることに感心し、現今のホスピス活動でも活かせそうな患者中心主義である点に意義と現代性を見出すという指摘や意見交換もあった。以上、全体的に見て、学生とのゼミによる最大の成果は、死に対する先祖の考え方や対処の仕方を学ぶことによって、人の最後に立ち会う者としての職業の重さや在り方を深く考えねばならないことを、学生一人ひとりが感じてくれたことであった。これに関連して補足的に言えば、筆者のゼミに参加した16名(前期8名・後期8名)は学んだ成果を活かすべく、筆者の選択科目「世界の宗教」の中で2回にわたって仲間の受講学生に講義説明してくれた。これも成果の一つと言ってもよいだろう。
 
IV 今後の課題
 今後の研究課題としては、歴史的研究と現代的研究の二つの側面があると考えている。一つは、テキストとしての臨終行儀に対する実態的究明をすることであり、これは史料的には院政期だけの特殊な文学形態である<説話>等に登場する全国各地の各階層の臨終の実状を多数掘り起こすことで、一定の成果が得られる可能性がある。この歴史的研究については先行研究も多少はあるので、着実に増やしてゆけばよいだろう。
 もう一つは、この伝統的な臨終行儀のどの部分をたとえば今後のホスピス活動に反映させて活かしてゆくことが可能かという現代的な課題研究である。これは逆に言えば、なぜ近代になって日本人に伝統的な臨終行儀が行なわれなくなってしまったかという点を研究し、追及することで、ある程度は見えてくると予想されるが、単に近代の明治以後のキリスト教の導入、加えて西欧的ヒューマニズムと個人主義的世界観・人生観の輸入定着という外来的要素だけで解決されるのかというと、必ずしもそれだけでは不充分である。つまり臨終行儀の内容そのものに現実には受け容れ難い本質的要素が何か存在したのではないだろうかということである。いったい、人間みな臨終行儀にあるような立派な見事な死に方ばかりではないのが実際である。末期の痛みにのたうち回り、病死もあれば戦死(現代では事故死もあり)もあるわけで、臨終行儀のような理想的死に方(言わば大往生)はきわめて数少なく非現実的であったとも言える。だからこその理想的典型を明示したということかもしれない。ならば臨終行儀に替わるような、いかなる死に方でも包み込むような現実的な死生観のなかに、歴史的にはそれが真宗教義であったが、それさえ既成教団の教義としてほとんど振り向かれない中で、逆に現代型臨終行儀を模索する過程で、再度の部分的活用の可能性という脈絡において臨終行儀を見直してもよいのではと考える大きな課題である。もちろん、これは現場の人びととの詳細なすり合わせ等を含めた中・長期的なスパンで考えてゆかねばねらないことであると思料している。以上の二方面が今後の研究課題である。
 
V 研究の成果の公表予定
 臨終行儀書の歴史研究における全体的傾向の推移や特徴等に関しては、「III 研究の成果」で先述したとおりであり、個別的なことでは、たとえば著述者の名前から中世鎌倉初期のものと思われていたが、内容項目を他書と比較するときわめて近世江戸期の傾向が濃厚で、とても鎌倉期とは考え難いものがあった。従来これについては疑うことさえされなかったもので、もちろん指摘されたこともなかった。(1)別人の著述で仮託の可能性、(2)成立の数百年の差の可能性、の違いは大きい。これらの全体的および個別的新見解を日本思想史・日本仏教史関連の該当学会(日本印度学仏教学会・日本宗教学会・日本思想史学会)において、本研究の継続研究として、逐次指摘しつつ発表してゆくつもりである。







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