III 研究の成果
III.1 痴呆度と固有テンポの関係
1). 筆者のこれまでの実践中の「固有テンポ」計測結果から、一般に痴呆が重度になるにつれて、固有テンポは遅めになり、M.M =80以下に限定される傾向があった。たとえば脳波計測時の聴取楽曲である『斎太郎節』の「固有テンポ」を、重度痴呆性高齢者10名と軽度痴呆性高齢者10名で調査した(Oxfbrd 2002)結果でも、痴呆度によっておよそMM =80を境に分布が分かれた
・ 筆者はこの「固有テンポ」M.M. =80が、痴呆度の異なるクライエントの音楽療法実践において、有効な目安の一つになることを提案する。
・ また図1の2001年をみると、軽度痴呆者は勿論であるが、重度痴呆者の固有のテンポも幾分上昇の傾向があることが明らかである。これは加齢による痴呆の進行や、体力の低下にもかかわらず、「固有テンポ」を維持し、又は幾分上昇できたことは、継続した音楽療法実践の効果といえる。実際『斎太郎節』になると、一段と声の音量が増し、笑顔が見られる。
2). 実際のセッションにおいて、痴呆が軽度の老年痴呆者は、「固有テンポ」から多少前後するテンポでも音楽に参加することが出来るが、重度の老年性痴呆者ほど、各自の「固有テンポ」でないと参加できず、楽曲も思い出すことができない。極端な場合全く無反応となってしまう。
・ つまり重度痴呆者にとっては、コミュニケーションできる有効なテンポは限定され、そのテンポが微妙に異なっても、いわば“聞こえない音楽”になってしまうと考えられる。特に重度老年痴呆者の固有のテンポは、筆者のこれまでの調査によると、楽曲に依存するというより、クライエント各自の生活速度に、たとえば歩く速さや話す速さ、呼吸数などに関連すると考えられる。なおこれについては、今後行動変化を中心にした記述的評価も含めて、さらに吟味する必要があると考える。
III.2. 安静脳波の経年変化と音楽療法
III.2.1. 図2.1.&2.2.から、対象者C、D氏とも、明らかに脳波の徐波化現象が認められ、脳波上で確実に痴呆が進行していると判断される。特に対象者Cは、過去に脳梗塞を数回体験しており、2000、2001年のEEG計測において「基礎律動の徐波化による軽度の脳波異常と脳血流障害」と診断されている。しかし1999年に比べ2001年のMRI所見でも、確かに脳血流障害による脳機能の衰退とともに、脳波振幅の減少が起きている(図.4)。しかし斎太郎節の「固有テンポ」に聴取時および聴取後では、明らかな脳内刺激の変化が確認された。従ってCの痴呆進行は、2001年に確実に進行しているものの、音楽療法がC氏の脳刺激に有効であると考えられる。
III.2.2. 対象者D氏は、α1波(8−10Hz)周波数の減少があるので、痴呆が始まりつつある。しかしEは、θ波にまだそれほど大きな周波数増加が認めらないことから、痴呆の進行が幾分抑えられていると考えられる。実際Dは、毎回の音楽療法が始まるのを楽しみに、時間前からエレベーター付近で待っていると、介護士から報告を受けている。
以上安静脳波の周波数帯域の経年変化だけでも、対象者の脳機能の変化をある程度類推することが可能であるため、音楽療法効果の有効な指針になると考えられる。この点については今後さらに調査を進めていく予定である。
III.3 楽曲聴取時脳波にみる音楽療法効果
斎太郎節の非固有テンポによる、年度間にわたるRRPSの有意差検定(F4−C4、P=0.05)に、およびθ1一β1領域の詳細なPS比の年度間検定(F4−C4、θ1でP=0.04)で、有意差があることは、斎速という音楽療法上有効ではないと考えられる楽曲に対して、2001年には1999年に比べてθ1が有意に減少していることを示している。これは年度を経るに従って痴呆が進行しているにもかかわらず、継続した音楽療法実践により、速いテンポの楽曲に対する順応性が増していると解釈することができる。
IV. 今後の課題
IV.1. 課題
本研究は、対象者重度痴呆者1名(コントロール軽度痴呆者1名)の3−4年間の解析である。今後痴呆度による音楽療法効果経年的変化に関する研究を、より多くの対象者で検討する必要があるが、このような経年データーは数少ないことと共に、脳梗塞のような脳血管障害からくる痴呆性高齢者が、アルツハイマー病痴呆者と並んで痴呆へ移行する事例が多いことから、一つの事例として有効な指針となると考えられる。
IV.2. 結論
音楽療法実践時に計測された「固有テンポ」の有意性を検証の結果、以下の結論を得た。
IV.2.1. 痴呆性高齢者とコミュニケーションをとるとき、まず各自が持つ「固有テンポ」は有効である。
IV.2.2. 「固有テンポ」は、痴呆度が進むにつれてMM =80より遅く限定される傾向がある。
IV.2.3. 安静脳波の周波数帯域での経年変化が、痴呆の進行と音楽療法効果の一指針になり得る。
IV.2.4. 音楽療法効果は、たとえ重度の痴呆性高齢者で、痴呆性高齢者の脳刺激に有効である。
なお脳波解析を用いた音楽療法効果に関する研究として、佐治量・佐治順(2000)が、脳波のフラクタル解析を報告し、そこで音楽療法効果を評価するのに最適な部位が右前頭−中心部(F4−C4)が適当であると述べた。本研究の各部位におけるRRPSを用いた年度間有意差検定においても、同じF4−C4部位やP3−O1で音楽療法効果に有意差が認められたことから、音楽療法効果を評価する上で前頭部一後頭部が有力な部位と結論づけられる。
IV.2.5. 音楽療法効果の脳波解析を用いた評価法のフラクタル次元のゆらぎ解析と固有のテンポを通したRRPS解析研究結果との関連性についても、今後さらに症例を増やして検討していくことが必須課題とはいえ、このような音楽療法実践に基づく生理学的研究が、今後音楽療法の客観的評価基準の確立へつながっていくであろうと確信する。
本研究は、宮城大学特別研究費・笹川医療財団研究助成金の支持を得てまとめたものである。脳波測定および解析にあたり、ご指導いただいた東北大学大学院教育研究科教育博士菅井邦明教授、および医学博士上埜高志教授に心から感謝する。
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