2 視覚障害リハビリテーション
1. 要約
我が国における感覚機能障害の1つである視覚障害のある人に対するリハビリテーションは、どのように考えられ発展してきたか、又それをとりまく今後の課題と展望について考察します。
リハビリテーションとは、「障害によって失われた能力や生じた制限を回復または克服させるために行なう技術、もしくは訓練そのものを意味するだけでなく、障害者自身に自己の潜在能力を自覚させ、自らの可能性を主体的に追求できる手段を授ける過程を意味している」(日比野清:1994)のです。しかしながら、視覚障害という障害はあまりにも大きなものであり、人間としての全ての存在をも否定されることさえあります。しかし視覚障害のある人は、本人の努力・各種のサービスや開発される福祉用具の活用・周囲の人々の理解によって必ず社会参加できるものなのです。
キーワード
生活訓練(社会適応訓練)WCWB IFB WBU 盲人の人間宣言 スコット・アレン タルボット 自立生活 AFOB 視覚障害への適応 生に対する積極的な姿勢の獲得 可能性の拡大(追及) 正しい自己理解と評価 障害(失明)の告知 歩行(orientation and mobility) 訓練 コミュニケーション(communication) 訓練 日常生活動作(techniques of daily living) 訓練 レクリエーション(recreation) 活動 各種講義 職業判定 ケースワーク・カウンセリング ローヴィジョン(low vision) 訓練 自己決定 当事者参加専門職
1980(昭和55)年、国際障害者リハビリテーション協会は「リハビリテーションは、医学、社会、教育及び職業的方法を組み合わせ調整して用い、障害のある人々の機能を最大限にたかめる事、及び社会の中での統合を援助する過程である。」1)と定義し、その施策を推進しています。一般的にリハビリテーションは、それぞれの分野の専門性や特殊性から、医学的リハビリテーション、心理・社会的(あるいは社会)リハビリテーション、職業的リハビリテーション、教育的リハビリテーションなどに分けられています。
リハビリテーションは、その言葉からしばしば単に技術的な側面にのみ重きが置かれ、それだけを目的として捉えられがちでしたが、それは本来、その分野での制度や政策と関わりを持ちながら、障害のある人の対策を正しい方向へ導くべきものであって、それだけの理念と専門性が要求されるものです。すなわち、リハビリテーションは他者の与える技ではなく、主体者の問題であって、より主体性を強調しておきたいものです。言い換えればリハビリテーションとは、「障害によって失われた能力や生じた制限を回復または克服させるために行なう技術、もしくは訓練そのものを意味するだけでなく、障害者自身に自己の潜在能力を自覚させ、自らの可能性を主体的に追求できる手段を授ける過程を意味している」2)のです。
しかしながら、視覚障害のある人のリハビリテーションにおいては、他の障害のある人のそれと比べ、能力障害(不自由・困難・制限)が多いため、特に基本的に必要とされるのが生活訓練(社会適応訓練)やケースワーク・カウンセリングなどを中核とした心理、社会的リハビリテーションであって、この過程なしには、視覚障害リハビリテーションの体系は成立しないと言っても過言ではありません。
心理、社会的リハビリテーションは、一般的にはもっと広義に捉え、本人の問題解決に役立つ所得保障制度をはじめとする法的制度の適用、障害のある人の家族・近隣・職場などの社会的人間関係の調整、地域生活ニーズの発見、社会資源の開発、社会啓発等を含む幅広いものとして捉えられていますが、ここでは主として視覚障害のある人の生活訓練(社会適応訓練)を中核とする心理、社会的リハビリテーションについて言及することにします。
我が国における視覚障害のある人に対するリハビリテーションはまだ歴史も浅く、制度として開始されてから40年程度しか経過していません。そして近年、ようやくその概念が普及・定着してきたとは言うものの、解決しなければならない課題が山積しています。我が国における視覚障害リハビリテーションの技術的専門性については、その発祥地であるアメリ力に肩を並べるようになりましたが、残念ながら理念については希薄となる傾向は否めない状況です。視覚障害のある人の高年齢化とその障害の重度化に伴って、そのニーズの多様化がますます増大する将来に備えて、今こそ理念と専門性、理論と実践を再構築しなければならない時なのです。
変化して行く障害のある人のニーズを誤りなく予測するとともに、利用者の社会参加を妨げる問題点を想定し、それらの充足及び解決のためにサービスを提供していかなければなりません。さらに法律や制度を充実させて行くことと同時に、障害のない人々に対する啓発活動を並行して実施することによって、視覚障害を含む障害のある人の社会への完全参加が実現するのです。
1954(昭和29)年、視覚障害のある人の福祉を世界的なレベルで統一し、向上させるために、「世界盲人福祉協議会(WCWB:World Council for the Welfare of the Blind)」が組織されました。3)[この世界盲人福祉協議会は1984年国際盲人連盟(IFB:International Federation of the Blind)と世界盲人福祉協議会が統合、改称し、世界盲人連合(WBU:World Blind Union)となりました。]第1回パリ大会、5年後の1959(昭和34)年、ローマ大会の決議事項を集約すれば以下のとおりでした。視覚障害のある人の福祉は、「ゆりかごから墓場までの思想」の元に理想を掲げて、一貫した社会保障制度を基盤にした保護政策の確立に焦点が当てられていたと言えます。しかし、1964(昭和39)年、第3回ニューヨーク大会においては、それを大きく転換させる決議がなされました。それは一貫した保護思想、すなわち「この思想、つまり盲人を幼時から老年にいたるまでを1つの法律で援護し庇護しようとすることは、一見まことに盲人のためを思ってつくられたものかもしれないが、実はこれは、盲人を弱者または廃人として考慮されたがゆえにつくられたのであって、これほど盲人の人権を無視したシステムはない」4)と主張したものでした。この大会最終日に「盲人の人間宣言」というスローガンが確認され、盲人が「法と社会の庇護のもとに生きることは、人間としての在り方ではない。もし盲人に生活訓練が徹底して厳しく教育されるならば、必ず正眼者と同じ働きができ、社会に貢献できるのであって盲人というレッテルよりも、人間としての能力を、われわれは社会に役だてたい。」5)と決議しました。
この世界盲人福祉協議会第3回ニューヨーク大会において、我が国は生活訓練(社会適応訓練)を中核とした視覚障害のある人に対するリハビリテーションについてはじめて知ることができましたが、既にアメリカでは視覚障害リハビリテーション関係専門職員の養成が開始され、1960(昭和35)年ボストン大学に、1961(昭和36)年には西ミシガン大学大学院課程に歩行訓練指導員養成学科が開講され、視覚障害のある人に対するリハビリテーションセンターの設立、視覚障害のある児童の統合教育の推進をはじめ諸制度の改革が実施されていました。勿論、それ以前からリハビリテーション訓練はセントポールリハビリテーションセンター(現キャロルセンター)や退役軍人援護会などを中心に、視覚障害のある人、特に中途で視覚障害になった人に対して実施されていました。ここで特記しておかなければならない点は、視覚障害のある人自身の中から、誰もがどこでも統一された質の高い訓練を受けたいという要求が盛り上がったことです。すなわち、それは視覚障害のある人自らの行動で、いわゆる「生活の質(QOL:quality of life)を求めた運動でした。質の高い生活を営むためには、質の高い指導を受けなければならないと考えたのです。それが、この専門職の資格を大学や大学院課程で専門教育を受けなければ取得できないようにさせたと言っても過言ではありません。
時期を同じくして、1950年代から1960年代にかけて、リハビリテーションの概念においても大きな転換期を迎えていました。
スコット・アレン(W.Scott, Allan)は、「現代的リハビリテーションの意味するものは、失われた能力を回復させるために与える外的な操作というよりはむしろ、障害者に彼の潜在的能力を自覚させ、彼がみずからの可能性を主体的に追求できる手段をそなえてやる事を意味している。」6)と定義しました。丁度この時期、北欧を中心にノーマライゼーションの思想が広まり、さらには北米を中心に自立生活(IL:independent living)運動が相まって、重度の障害のある人の問題が提起されるようになりました。そして、タルボット(H.S.Talbot)は、「すべての人々は何らかの発達を遂げていくものだが、就業につけるばかりがリハビリテーションのゴールではない。一般社会の中に重度者の生活様式を打ち立てていくことこそがリハビリテーションの課題である。」7)と定義しました。
これらのことは、伝統的に保護政策を主張し続けてきた我が国の視覚障害のある人、特に視覚障害当事者団体には理解しがたく、受け入れ難いことでした。しかし、それらの重要性、必要性を認識、理解した当時の日本ライトハウス理事長岩橋英行は、1965(昭和40)年にリハビリテーションセンター建設準備に着手しました。翌1966(昭和41)年、身体障害者更生援護施設の1つである失明者更生施設(現視覚障害者更生施設)として、「職業・生活訓練センター」を設立し、生活訓練並びに新職業(理療以外の職種)訓練を開始しました。実施段階には至りませんでしたが、同年身体障害者福祉審議会においても、社会的リハビリテーションの新しい1つの方法として「生活適応訓練」の重要性、必要性を認め、答申書を国に提出していました。ここでは、生活訓練(社会適応訓練)を生活適応訓練と言い換えて、以下のように定義付けていました。
「生活適応訓練の目的と方法は障害の種類、障害の程度、障害を受けた時期などによって異なるが、大別すれば基礎訓練と応用訓練の二つに分類出来る。基礎訓練とは例えば視覚障害者に対する聴覚訓練や触覚訓練のような感覚訓練等日常生活の基礎となる訓練である。応用訓練とは視覚障害を有する主婦に対する家事の訓練、視覚障害者に対する会食作法指導、バス・電車等の乗車指導、集団生活の指導など二つ以上の基礎訓練を組合わせて日常生活又は社会生活に適応させることを目的とする訓練である。」8)
また、生活訓練(社会適応訓練)は二つの分野に分かれ、「第一は肉体面の訓練、すなわち歩行その他の身体の行動に際して必要な知識と習性をつくり、筋肉と神経に暗記させる訓練である。第二は精神面の訓練である。社会との接触、交流を妨げている偏見や固執を修正すること、社会常識を養ない社会体験を蓄積すること、人間性を豊かにし、人間として生きる希望と喜びを自覚すること、社会人として責任と連帯性を持ち自立精神を高めること」9)であって、これらを統合した総合的な訓練を提供することによって、視覚障害のある人の主体性・社会参加への意欲がはかられると考えたのです。
生活訓練(社会適応訓練)の実施に当たっては、世界に数カ所の支部を持ち、視覚障害のある人に対するリハビリテーションセンター建設促進、訓練実施指導、統合教育の推進などを強力に進めているアメリカ海外盲人援護協会(AFOB:American Foundation for Overseas Blind:現HKI:Helen Keller International)の援助を得て開始されました。
以上のように、視覚障害分野における専門的援助過程としてのリハビリテーションは、その障害の特性上きわめて技術的なリハビリテーション訓練の体系化から始まり、現在日本では、その理念や思想・考え方が未成熟なまま、普及・定着しつつあると言えるでしょう。
視覚損傷を被った時期、すなわち視覚障害受傷時期によって、先天性視覚障害のある人あるいは早期に視覚障害になった人と、後天的に視覚障害のある人あるいは中途で視覚障害になった人とに分類し規定することができます。両者とも現時点において、視覚損傷を有していることは同一ですが、視覚的経験の有無、すなわち視覚的経験の記憶を保有しているか否かという点については、決定的な相違を示しています。つまり中途視覚障害の人の中で完全失明した人であっても、失明以前の視覚的経験を豊富に保有し、失明後の生活の中でそれを活用することができるので、とりわけ視覚的経験が欠如している早期視覚障害の人と同一に規定することはできません。視覚的経験の有無は、各種訓練の展開や学習上、さらには社会参加上多大な影響を与えると想定できます。さらに言及するならば、早期に失明した人の多くが対象を平面的にとらえるのに対して、中途失明した人の対象認識の方法は、常に空間を意識したものであって、失明以前に既に獲得し、現に記憶痕跡として保有している視覚的経験の記憶を触覚、聴覚、嗅覚、味覚などの機能を利用しながら認識対象を視覚化する(visualize)ようにしています。したがって、早期に失明した人のように認識対象を点や線に分解する方法は用いないのが一般的傾向です。10)
視覚障害のある人に対するリハビリテーションの基礎理論を考察する際に、必ず言及しなければならないのは、「視覚障害への適応」についてです。バーソルド・ローウェンフェルド(Berthold Lowenfeld)とトーマス・キャロル(Thomas J.Carroll)らは、視覚障害への適応とは、障害に基づく各種の制限を克服ないしは回復して行く過程そのものであって、それが視覚障害のある人に対するリハビリテーションであるとしています。
ローウェンフェルドは「我々が習慣上失明への適応と呼んでいるものは、失明した人に精神の健康を回復する過程、あるいは常時視覚障害を有していた人に精神の健康を確立する過程である。」11)と述べており、その理論の骨子を要約すると以下のとおりです。
(1)適応の主要な重点が、視覚障害者自身に置かれなければならない。
(2)失明によるショックの影響がしずまった後、障害の受容とともに視覚障害への適応が始まる。
(3)適応の解釈とは、視覚障害者ができることとできないことを知り、それを受け入れることである。最初重点はできないことに置かれるが、後に技能が習得されるに従って、重点ができることへと移行する。
(4)視覚障害への適応は、自分自身の資源についての理解と洞察力を持つようになるとともに、それらの資源を活用しようとする積極的な態度を育成することである。
(5)社会的かつ経済的に十分な状態を取り戻すためには、新しいさまざまな技能の獲得が必要である。そのためには、視覚障害者のための総合的なリハビリテーションプログラムは欠くことのできないものである。
(6)適応は真空の中では生じない。すなわち、視覚障害者をとりまく社会環境に、また視覚障害者に対する態度によって変化を経験し、視覚障害を現実的に評価することを学ぶのである。12)
キャロルは、視覚損傷によって生じた喪失を20にまとめ、それを回復して行くことそのものが視覚障害への適応、すなわちリハビリテーションであるとし、喪失に対するアプローチの全般的な考察は以下のとおりです。
(1)このアプローチは、主として中途で視覚障害になった人、特に成人になってから失明した人を対象に取り扱っている。
(2)死になぞらえられた失明は、深刻な打撃ではあるが、キャロルはその人の前方には新しい人生が横たわっていることを指摘することによってその打撃をやわらげ、いかにこの新しい人生を達成するかを示している。
(3)視覚障害のある人は、背後にある過去の人生から全面的に離れ、失明という新しい現実に基づいて、新たな出発をしなければならないことを強調している。
(4)各人は異なる個人であり、失明前のパーソナリティーと、生活で演じた役割によって、各々の失明を異なった程度で体験する。
(5)全ての視覚障害のある人は、程度の差はあるにしても全ての喪失をある程度経験するであろう。13)
さらに、キャロルは「財政的保障、職業・歩行能力、レクリエーション等のいずれか一つの領域における単一の回復は、視覚障害者の問題に対する十分な解答とはならない。どんな回復も望ましいものであるが、視覚障害者が更生するためには、全体的なパーソナリティーを組織する力を全面的に回復することが不可欠である。」14)と主張しています。
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