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No.28/36
弁才船(べざいせん)の帆走(はんそう)と航海(こうかい)
〔弁才船の帆装〕
 弁才船は、船体ほぼ中央に大きな帆を上げていて、これを本帆(もとほ)といいます。船首には弥帆(やほ)と呼ばれる小さな帆もありますが、弁才船は1本帆柱の船と見るのが般的です。弁才船の帆は中世以来の伝統的な形式を引き継いでいますが、下の帆桁(ほげた)を取り去り、帆の下を綱(つな)でとめて十分なふくらみがつくように改良されました。江戸時代の後期になると帆走性能を少しでも上げようと、船首や船尾に小さな帆と帆柱をさらに増設した船も現れます。弁才船の帆の取り扱いは、洋式船のように帆柱や帆桁に人が登る必要がなく、船上で操作できるのが特徴でした。重い帆桁の上下も、帆柱の先端の蝉(せみ)とよばれる滑車を通して船尾に縄を通し、轆轤(ろくろ)と呼ばれる人力の巻き上げ機を使って船内から行いました。帆桁の方向は桁の両端につく手縄(てなわ)と呼ばれる縄を、帆のふくらみは帆の両脇につけた両方綱(りょうほうづな)と呼ばれる綱を操作して行いました。
 
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弁才船の艤装
 
大坂川口を出る弁才船
右端に見えるのが川口の水尾木(みおぎ)(船のとおる水路を示す杭)です。この船は、横風を受けて帆走しているところで、帆桁(ほげた)の端につく手縄(てなわ)や帆の両脇につく両方綱(りょうほうづな)の取り方がよくわかります。天保2年(1831)奉納の船絵馬より。(所蔵:粟崎八幡宮)
 
〔弁才船の帆走性能〕
 弁才船は順風でしか走れないとよくいわれてきましたが、そんなことはありません。横風帆走を意味する「開(ひら)き走り」や逆風帆走を指す「間切(まぎ)り走り」といった語は、すでに17世紀初頭「日葡辞書」に収録されています。弁才船の逆風帆走性能は、ジャンク(中国船)やスクーナー型などの縦帆船(じゅうはんせん)に比べれば劣りますが、バーク型などの横帆船(ほうはんせん)より優れていました。弁才船の耐航性と航海技術の向上した江戸時代中期ともなると、帆の扱いやすさとあいまって風が変わってもすぐに港で風待ちすることなく、可能な限り逆風帆走を行って切り抜けるのが常で、足掛け4日も間切り走りを続けた例もありました。
 
順風帆走(真帆)
 
逆風帆走(片帆)
 
逆風帆走する小型弁才船
福井県小浜沖を、逆風を受けながら風上一杯に切り上げて快走する12反帆(たんぽ)(約150石積)の北前型弁才船。大坂と江戸を結ぶような長距離輸送(大回し(おおまわし))に対し、近距離輸送(小回し(こまわし))に活躍したのが、200石積以下の小型商船でした。この写真を見れば、1枚帆の弁才船は追風でしか走れなかったという通説がいかに誤りだったことかはっきりするでしょう。(所蔵:井田写真館)
 
江戸時代後期の航路
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沖乗りと地乗り
江戸時代の航海は、陸上の目印を目当に航海するいわゆる地乗り(沿岸航海)でしたが、遠く沖あいの直航路をゆく沖乗りも行われていました。沖乗りは地乗りよりも航程が短く、航海日数を短くすることができます。 弁才船の耐航性能が向上するにつれ、江戸時代中期からは日本海や北方海域でも昼夜連続の徹底した沖乗りが日常化し、たとえば北海道の松前から大坂に向かう船は、佐渡ケ島の沖を一気に下関まで乗り下って瀬戸内海に入っています。







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