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No.23/36
船(ひらたぶね)と高瀬船(たかせぶね)
 飛行機はもちろん、自動車や鉄道もない江戸時代までの暮らしでは、物資の大量輸送と言えば、船にたよるしかありませんでした。海ばかりでなく、川や湖も重要な船の通路として今日の道路と同じ役割を果たしていました。各地では川の整備が盛んに行われ、関東では幕府がたびたび大改修工事を行って、それまで江戸湾にそそいでいた利根川を太平洋側に流すようにしました。その結果、銚子を出た川船は利根川から江戸川を通って、直接江戸市中に入れるようになりました。
 利根川水系の川船は、実に多種多様です。幕府の川船役所の支配下にあった関東の33種の川船と海船を描く享和2年(1802)作の『船鑑(ふなかがみ)』を一見すれば、どの川にどのような川船が就航していたかがよくわかります。なかでも高瀬船が最も大きく、船がこれに次ぎますが、川船として他に類例のないほどの大きさで、江戸と関東・東北・上信越を結ぶ利根川水運網の物資輸送量がいかに多かったかを物語っています。
 航程が長いために、ともに川船には珍しい世事(せいじ)の間(ま)と呼ばれる乗組員の居住区を設け、海船に近い本格的な帆装を持っています。けれども、船首形状も船体の棚板(たないた)構成も異なり、高瀬船は船首を戸立(とだて)造りとした一枚棚の船体、船は船首を水押(みよし)造りとした二階造りの船体です。どうして同じ利根川水系の大型船にこうした2種類の川船技術が必要であったか、理由はよく分かりません。
 当館では、『船鑑』に描かれた高瀬船と船(川越ヒラタ)を縮尺20分の1の模型で再現しました。船体も忠実に造られていますので、どこがどう違うか比較して見てください。
 
船(川越(かわごえ)ヒラタ)
上口(うわくち)長さ51〜78尺(15.5〜23.6m)、幅10〜15尺(3〜4.5m)。最大級は300石積(45トン)程度で、荒川で用いられました。利根川水系の船としては他に利根川上流域の上州(じょうしゅう)ヒラタがありますが、川越ヒラタと違って棚(たな)の内側にアバラを入れ、船首近くに世事の間を設けています。『船鑑』より ※上口長さとは、舳船梁から艫船梁までの長さを指します。
 
高瀬船(たかせぶね)
上口長さ31〜89尺(9.4〜27m)、幅7〜17尺(2.1〜5.2m)。最大級は500石積(75トン)程度で、利根川下流域で用いられました。補強用に棚の内側にアバラ、航の上面にトネ木を多数入れた長大な一枚棚による船体がよくわかります。むろん、一枚棚とはいっても、一材ではなく、数材の接合わせ(はぎあわせ)です。船首付近の板屋根のところが世事の間です。『船鑑』より
 
船−川越ヒラタ(復元模型) 縮尺1/20
 
船尾回りと舵
 
二階造りの船体
 
水押(みよし)のついた船首
 
(拡大画面:35KB)
 
高瀬船(たかせぶね)(復元摸型) 縮尺1/20
 
船尾回りと舵
 
一枚棚の船体
 
舳立板(おもてたていた)の船首
 
(拡大画面:32KB)







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