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3. 高速船の安全トピックス
3-1 バリアフリー
 
 米国では、一般に高齢者や身体障害者が自立した日常生活や社会生活を確保することの重要性が早くから認識され、高齢者、身障者が移動する際、安全で容易に目的場所に到達できるよう、諸種の社会基盤が整備されてきた。段差のないスロープ通路、車椅子専用トイレやエレベーター、列車の車椅子専用乗降口等、いたるところで目につくのがバリアフリーであるが、全ての社会基盤に均等に整備されてきたものではない。
 1954年連邦最高裁が民族、年齢、身体障害に関する差別を憲法違反と断じてから、これらの差別を廃するための諸立法が徐々に整備されてきたが、交通バリアフリーの問題が船舶の設計に取り入れられるようになったのは、比較的最近である。
 公民権運動が最高潮となっていた1968年に公布された建築バリア法(Architectural Barrier Act of 1968)は、政府機関建造物を身体障害者が自由に出入り出来るよう改造することを規定したバリアフリー関連法案の最初の法律である。更に1973年のリハビリテーション法(Rehabilitation Act of 1973)は、連邦政府の資金援助、雇用、契約に関し、身体障害者を差別しないための具体案を規定し、特にバリアフリーに関して建築・交通バリア適合委員会(Architectural and Transportation Barriers Compliance Board)の設置を定め、ビルディングに対する統一連邦アクセシビリティ基準(Uniform Federal Accessibility Standard)として強制法規化されている。
 1990年、ブッシュ大統領(当時)は米国身障者法(Americans with Disabilities Act: ADA)に署名した。ADAは基本的には1973年のリハビリテーション法と同じであるが、適用範囲を従来除外されていた政府機関や民間にまで広げたものである。
 ADAは4つのタイトルに分かれている。タイトルI「雇用」では、本法律が15人以上の従業員を持つ雇用者に適用されることを明記し、採用、雇用、昇進、教育、給与、社会活動における差別を禁止した。さらに、身体障害者が仕事を遂行するための設備の義務化を規定した。タイトルII「公共関与」では、州及び地方自治体がバリアフリーに関して実施すべき事柄が社会教育、雇用、交通、レクリエーション、健康管理、社会奉仕、裁判、投票、集会等に関し網羅的に述べられている。
 タイトルIII「公共設備の場所」は、公共設備の管理者、検査を行なう業者、非営利奉仕者等に適用される項目である。ここでいう公共設備とはレストラン、ホテル、劇場、私立学校、コンベンションセンター、病院、ホームレス・シェルター、交通待合所、動物園、霊園、レクリエーション設備等の商業施設を指している。タイトルIV「通信リレー」は会話、聴覚障害者に電話やテレビジョンを利用させるための諸規定である。
 ADAはADAと同等の法規で既にカバーされている対象は除外されている。例えば住居については1988年の優良住居改正法(Fair Housing Amendments Act of 1988)、鉄道については1970年の連邦鉄道安全法(Federal Rail Road Safety Act of 1988)、航空機については1986年の航空機安全法(Air Carriers Act of 1986)が適用されているのでADAの適用対象外である。しかし旅客船についてはADA公布まで何等具体的対策はとられておらず、当然ADAの対象とされた。ADAの具体的施行細則である28CFR36が公布された時も、旅客船に対する規則は将来公布するとして、そのための節が予定され番号のみが記されている。
 1998年前述の建築・交通バリア適合委員会は旅客船の交通バリアの検討を開始する事を決定し、関係民間団体・企業を含む旅客船アクセス助言委員会(Passenger Vessel Access Advisory Committee: PVAAC)を発足させた。PVAACは46CFRに記載される全ての旅客船、即ち前述のサブチャプターH、K、Tの旅客船について交通バリアに関する具体案を提案する事を目標に、2年半で10回の会合を重ね2000年11月17日、建築・交通バリア適合委員会に報告書を提出した。
 PVAACから旅客船のアクセシビリティについての提案を受けた建築・交通バリア適合委員会は、この提案を検討して他の政府機関と協力しながらこれ等を連邦法とする作業に入っている。
 実際の規則が作成され官報(Federal Register:FR)に公示され、一般からのコメントを募るようになるには12〜18ヵ月を要すると考えられている。
 この期間、連邦予算管理局により本規則が経済面に与える影響が調査される。連邦議会が承認し、大統領がサインすれば旅客船に関する法規が陽の目をみる。
 旅客船バリア関係の具体的規則作成官庁が何処になるかは未定である。交通バリアの問題は一義的には市民権確立のための立法であるので、司法省の問題とも考えられる。しかし船舶の設計はUSCGの所管であるので、28CFRで司法省が基本的事項を規定し、それに基きUSCGが46CFRで具体的仕様を示すことになると思われる。
 陸上の建造物とは異なり船舶は船体運動に基く加速度、振動その他ADAの精神を実現する上で多くの問題を抱えているが、身体障害者旅客が特別な扱いを受けずに一般旅客と同じように乗船し、船内を行動し、トイレや食堂等の船内設備を利用できることを確保しなければならない。
 船内のアクセシビリティーにはドアのサイズ、コーミングを乗り越えるための斜路、開閉装置等ハードウエアの一つ一つが検討対象となるが、身体障害者といっても車椅子利用者、難聴者、目が不自由な人、それらの組み合わせ等多様であり、身体障害者に関する十分な知識がなければこの規則の作成は不可能である。
 PVAACは新造船のみならず改造船の設計提案も行なっている。或る主区画をADAの精神にのっとり身体障害者用に改造しようとしても、船舶の場合その区画に至る交通バリアを全て変えなければならず、場合によっては不可能なものも多い。また、身体障害者用のエレベーターを設けるというようなことにでもなれば、費用的にも限界を超える場合もある。このためPVAACは主区画に至る交通バリアは主区画の改造費の20%を上限としている。
 上記のようにADAに関する施行細則は、近い将来CFRとして公布されるべく準備中であり、将来の或る時点以降に建造される新造旅客船は全てこれに従わなければならないが、船舶の運航者は現在でも大筋においてADAの規制下にあることを忘れてはならない。車椅子の旅客に対してポータブルランプを使用する、目や耳の不自由な旅客にはそれなりの設備を備える等、できる限りの処置を講じなければならない。
 司法省はこの点に関し船舶の運航者がADAの精神に沿って改造を心掛けるよう呼びかけており、次のような重要度の順位を示し、エレベーターの様な大改造は必ずしも必要ないとしている。
 
◆ アクセス可能な入口
◆ 改造場所へアクセス可能なルート
◆ 少なくとも1個所のアクセス可能なトイレ
◆ アクセス可能な電話
◆ アクセス可能な飲用水蛇口
◆ 可能な場合はパーキング、荷物預かり所、警報へのアクセス
 
 米国には現在あらゆる種類のフェリーボートが1,000隻運航されていると言われているが、これらの船の半分以上は中小企業により運航されており、上記の改造を率先して実施する姿勢は少ない。地方公共団体が運航しているフェリーボートに、政府資金を導入してバリアフリーのための投資を行った例も絶無ではないが、限られている。
 連邦レベルでフェリーターミナル及びフェリーに対して資金援助をしているのは21世紀のための交通整備法(Transportation Equity Act for the 21st Century: TEA-21)に基く基金であるが、過去10年間に2億2,500万ドルが支出されている。そのなかで、はっきりバリアフリーを目的とした改造は、デラウエア河港湾当局が1998-99年度にフェリーターミナルの改造に40万ドル、また2000年度に2隻のフェリーボートの改造に656,000ドルを受け取っているだけである。
3-2 運航限界
 
 HSC 2000では、運航限界は、設計者が実船試験或いは模型試験により確認し、オペレーションマニュアルに記載して承認を受ける事になっている。実際に承認するのは旗国政府であるが、旗国政府は高速船の安全運航を全ての面で保証する運航限界を監督する立場にある。
 オペレーションマニュアルには運航限界の他、運航限界内で航走する場合の手法、システムに損傷が起った場合の処置、損傷後の安全運航限界についても記さなければならない。
 Bureau Veritusでは運航限界を定める根本要因を下記5機能に分けて考えている。
◆ 構造強度機能(SS)
◆ 旅客安全機能(PS)
◆ 旅客乗り心地機能(PC)
◆ 機械艤装品作業機能(EO)
◆ 環境問題関連機能(ER)
 
 第3-1表は上記5つの機能と船主/オペレーター、船級協会、旗国政府の基本的かかわり合いを示した表である。旗国政府は、構造強度機能については一般的に船級協会規則に委ねており、また旅客乗り心地機能は一義的には船主やオペレーターの問題である。構造強度機能を船級協会規則に委ねる場合も、高速船の安全にとって一番大切な問題であるので、旗国政府の承認する運航限界アニュアルは構造強度機能の安全を含んだものでなければならない。
 即ち旗国政府の承認する運航限界マニュアルは下記4点を含んだものでなければならない。
◆ 旗国政府又は船級協会によって承認された構造強度機能(SS)に関連する運航限界
◆ 設計者が用意する旅客安全機能(PS)に関連する運航限界
◆ 第三機関の認証に基き設計者が用意する機械艤装品作業機能(EO)に関する運航限界
◆ 設計者が用意する環境問題関連機能(ER)に関連する運航限界
第3-1表 運航限界決定機能と各機関の関わり合い
関連機関 要件 機能タイプ
SS PS PC EO ER
構造強度 旅客安全 旅客乗り 機械艤装品作業機能 環境問題
機能 機能 心地機能   関連機能
船主-オペレーター COM X X X X  
船級協会 CERT X     X(部分)  
旗国政府 OPE   X   X X
出典: BV
 HSC 2000は運航限界について第17章で概要を示し、Annex 9「安全運航に関する定義、要求、適合基準」で補足しているが、具体的に数値で限界を示したものは少ない。運航限界を定めるにあたっては、船首揺れ、旋回性能、自動パイロット及び操縦性能、停止性能、非排水量モードにおける3軸まわり及び上下揺れ時の復原性、トリム、ロール、リフト力の限界、ブローチング(船側を風に向ける現象)、スラミング、船首ダイビング等を考慮する事としているが具体的限界数値は示されていない。17.2に運航限界が選定される条件として下記4点が示されているがこれもあまり具体的ではない。
◆ 最悪の事態でも船員は困難なく操船し機器を操作出来る事
◆ オペレーションモードの変更が安全に行なえる事(排水量―非排水量)
◆ 最高安全船速はLCG5における上下加速度が1.0gを超えない条件でオペレーションモード、風向、風力、推進システムの破損等を考慮して決定する。
◆ Annex 9で求められた性能データーから決める事
 
 従来、通常船舶では船級協会又は旗国政府規則によって建造された小型船は、大型船に比べて構造的により高い安全率を含んでいると言うのが常識であったが、高速船の場合は在来小型船に比し軽量でしかも高速で航走するため、そのレスポンスは非常に異なったものとなっている。 即ち:
◆ 軽量のため波に乗りやすく上下加速度が大きくなり、結果的に慣性力も大きくなる(応答加速度はHSC 2000で大幅に改正された)。
◆ 波との出合い相対速度が大きくなり、スラミングが起りやすくなる。
◆ 速力が速くなったため、船体曲げモーメントが特に向い波中で非常に増大している。
 
 構造強度の面からの運航限界は、船体曲げモーメントの限界値、船底スラミング強度や双胴船のクロスデッキ甲板強度の限界を定める上下加速度の限界値から導き出される。
 HSC 2000は構造強度について詳細な規定を定めていないがDNV、LR、ABS、BVでは、LCGにおける上下加速度及び実際の波高が、それぞれ計画加速度、計画波高を超えないことが構造強度機能に関連する運航限界であるとしている。DNV、LR、ABS、BV等の船級協会は、波高ごとの速度限界値を船級証書に添付することとしている。この波高と速度の関係は、船体曲げモーメント及び上下加速度が最大となる向い波について作成しなければならない。
 これは「波高が高くなったら速度を落としなさい」と言うことを意味しており、船体強度にもっとも関係のある限界値の、加速度を省略した形式による簡略表現である。一方、船体運動抑止装置のついている船では、同じ波高でも上下方向の加速度は小さくなるので不合理である。
 BVでは、スタビライザーシステムが乗客の乗り心地改善のためにのみ装備されている場合と、船級協会が承認するシステムの一部として組み込まれている場合を分けて考えている。前者の場合はシステムが運航中に故障しても、船上の他の機械やシステムが何等の影響も受けずに正常に作動することを試運転中に確認できれば良いが、運動抑止装置をつけている故の波高と速度に関連した利得はない。
 後者の場合は第2章で述べたFMEAが要求されるが、波高に従って限界速度を上下することが認められる。HSC 2000にも第16章にスタビライザーシステムの記述があるが、船舶の安全に関係しない単なる運動軽減装置やライドコントロールシステムと言ったものは規則の適用外としている。旅客安全機能に関連する運動限界を論ずる上で重要なパラメーターは下記4点である。
◆ LCGにおける上下加速度
◆ 船首衝突荷重
◆ ピッチ、ロール及び船首揺れ
◆ 横方向の水平加速度
 
 これらのうちHSC 2000に限界値が示されているのは上下方向垂直加速度(1.0g)、横方向水平加速度(0.35g)のみで、ピッチ、ロール及び船首揺れに対しては具体的な数値は示されていない。
 なお上下加速度1.0gは、構造強度機能上の限界加速度としては妥当であるが、旅客安全機能上の限界加速度としては非常に大きな値である。
 横方向水平加速度は運航方法に左右される度合いが大きく、前述の4つのパラメーターの中で最終的運航限界が旅客安全機能から決定されるのは、横方向水平加速度のみである。
 ある海象で速力を上げると、波向にかかわらず横方向水平加速度は減少する。また、速度一定の状態では、波向が向い波から横波になるに従って横方向水平加速度は大きくなる。このことは、横方向水平加速度を小さくしようとして速度を上げると、船体縦強度の応力が大きくなると言う矛盾につながることになる。
 旅客乗り心地機能の運航限界と関連して大切なパラメーターは、船酔いを起こさないための限界である。このパラメーターは一定時間内で船酔いを起こす乗客のパーセント(Motion Sickness Incidence: MSI)で示される。MSIは上下加速度に対しプロットされたものが発表されている。
 機械艤装品作業機能では、機械艤装品が想定される最悪の海象においても確実に作動することを理論的及びフルスケールの実機で実証しなければならない。例えば国際航海従事船の脱出システムは、IMOのLSAコード(Life Saving Appliance Code: LSA)を満足する設備が装備されるが、LSAコードはビューフォート6の海象で脱出装置が安全に作動することを前提としている。
 これは有義波高3.75mに相当し、もしある高速船で想定される有義波高がこれを超える場合は、新しい脱出装置を再承認するかその高速船が運航する海域を変えなければならない。
 環境問題関連機能はウェーキウオッシュ、騒音、排気ガス等の問題である。ウェーキウオッシュは、浅い水域で走る高速船が陸岸或いは海底を侵食する問題で、場合によっては速度制限が必要となる。(4-1節 参照)
 騒音や排気ガスの問題は、設計の初期に防音対策あるいはNOx排出の少ないエンジンを採用する等の配慮により避けることが出来るが、場合によっては排気ガスの陸岸への影響を減らすため、減速あるいは陸岸より離れた航路をとる等の運航上の配慮が必要となる。
3-3 機関メインテナンス
 
 2-1節で述べたように、米国運輸省は一般商業用船舶の海難の16.4%は機械故障が原因で、これ等の機械には甲板機械、操舵機械、推進システム、電気システム、燃料油システム等が含まれるとしているが、個々の機械やシステムの故障寄与度は示していない。
 船舶安全学研究会による「船舶安全学概論」によれば、機械故障が海難事故の原因となっている割合は、1992〜96年で17.5%から14.1%と次第に減る傾向を示している。機械故障の中身は主機整備・取扱い不良65.6%、船体・機関・設備の構造・材質・修理等の不良が14.3%であり、この2原因のみで全体の約80%を占める、としている。いずれにせよ主機のメインテナンス不良が機械故障事故原因の3分の2を占めていることは注目に値する。
 高速船の機械故障については、ニューオリンズ大学のBahadir Inozu教授が、2000年11月ロンドンで行われた「2001推進会議(Propulsion 2001 Conference)」で詳細に報告している。Inozu教授は、米国メキシコ湾沿岸地区海事技術センター(US Gulf Coast Region Maritime Technology Center: GCRMTC)の信頼性・オペレーション・メインテナンス部の責任者でもある。
 Inozu教授は、ある高速船は年間予定していた1,108回の運航のうち150回は機械の故障で休航せざるを得なかったと報告している。また、一般船舶では事故の40%が機械故障に関連しているが、高速船の場合は実に80%が機械故障に関連しているとも述べている。
 Inozu教授の統計では、海難に至らない休航についても、"Incident"として「事故」に含めているのが特徴で、上記米国運輸省の統計とは大幅に異なる。しかし、高速船の機械システムが一般船舶の機械システムに比べて、2倍のトラブルメーカーであることには間違いがないようである。
 高速船用のディーゼル・エンジンは繰り返し述べるように、出力/重量比が大きく、構造内に高い応力を発生するので、回転数の小さい重構造のエンジンと比べれば損傷を起こしやすい条件が揃っている。
 Inozu教授の指摘する高速船のディーゼル・エンジンの主な問題個所は、ターボチャージャーの損傷(ハウジングのクラック、シャフトの破損、オイルシールの損傷)、クランクシャフトの損傷、遠心フィルターの上部ベアリングの損傷、クーラーの漏れ、なげし部ハウジングの過度の摩耗、インタークーラーの損傷、となっている。
 また、エンジン故障に至る3大原因はクランクシャフトのベアリング損傷、ピストン損傷及び潤滑油の汚れであるとしている。しかし、これらの損傷や汚れを起こす根本原因は分かっていない。ただし、高速船のエンジンの使用状態が関係しているであろうことは衆目の一致するところである。
 前述のように、高速船では定格連続出力の附近で運転されることが1日20時間にも達する。高速船のエンジンは潤滑油の汚れに対しひどく敏感であり、少々の汚れでも損傷の原因となり得る。あるエンジンモデルを例にとると、損傷の80%が潤滑油の汚れに関係しているといわれている。このエンジンは、近年連続的に出力上昇が行われたため、潤滑油の交換期間は、1,000時間から250時間に短縮され、潤滑油の質も高いものを使うよう変更されたが、80%という高率の潤滑油関連損傷を経験している。
 Inozu教授は、この10年間10隻の高速船の事故を追跡してきたが、その大部分は主機に関するものであった。最も痛ましい事例として、新造高速船の初期運航時点で満載排水量で航行中に、主機の一つが停止した事例を紹介している。この船は残りのエンジンで避難港に戻り、故障エンジンはメーカーの技術者によって徹底的に調べられ、フィルターのなかに混入した幾つかの金属粒子が故障の原因であるとされた。これを取り除いて、エンジンは再起動され、乗客は再乗船して運航が再開されたが、エンジンは再び停止した。再度港に戻ってエンジンを検査したところ、クランクシャフトの破損が発見された。また、シリンダーライナーの上部にピストンによる大きな損傷があることが分かり、船は1ヶ月間運航を中止して入渠し、エンジンを陸揚げして徹底的に原因を究明することとなった。エンジンメーカーは上部ライナーの材質を変更することによって問題を解決しようとしたが失敗に終り、ライナー及びピストンクラウンの一部が取り替えられた。結局ライナーの問題を解決するのに1年かかっている。
 他のクランクシャフトにも損傷が起きるのを心配したオペレーターは、エンジンメーカーの指示に基いて運航時の最大速力を下げた結果、その後エンジンの性能に問題はなく、検査でもピストンクラウンやライナーに損傷は認められなかった。
 メインテナンスの分野は基準を作りにくい分野であり、HSC 2000もABSガイダンスも何等の基準も示していない。Inozu教授は、「メインテナンス指針」をより良いものにするためには、使用済みのエンジンを徹底的に分解・分析して損傷原因を突き止める必要があることを強調している。
 また、損傷の根本原因を、物理的(Physical)要因、人的(Human)要因、潜在(Latent)要因に分ける事を提案している。物理的要因は過度の振動や不適切なギャーメッシュ等で有形な原因である。
 人的要因は「決定のエラー要因」と言われるべきもので、必要な検査を延期した、十分な知識を持たずに機器のアライメントを実施した、等が全てこの分類に入る。
 潜在要因は組織の中に潜在している原因で、それが故障の原因であると特定できるまでに若干時間がかかる原因である。例えば、組織の中に予防メインテナンスについての監査機能がなかった、等が該当する。
 GCRMTCと船舶運航協力プロジェクトがスポンサーとなって進めているRAM/SHIPNETプロジェクトでは、機器損傷の共通原因を次の11項目に分けている。
 [1]環境(圧力、温度、湿度)、[2]製造上の欠陥、[3]オペレーターのエラー、[4]メーカーのメインテナンス方針の不適切、[5]設計上の不備、[6]腐食、[7]詰まりや異物の蓄積、[8]異状摩耗、[9]不適切な潤滑油混入、[10]コンポーネントの緩み、[11]不適切な設置
 Inozu教授は、機器のメインテナンス性を増すには「機器の性能を管理」することが大切であり、まずは機器の性能のゴール又は目標を定めて、現状の機器が効率、コスト、収入、効用等の観点から設定された目標にどれだけ近いか、あるいは離れているかの尺度を設定する作業を実施する必要がある、と述べている。次のステップはメインテナンス性向上の手順の基準を作ることであるが、基準のレベルには会社レベル、競争会社も含めた業界レベル、世界的レベルと3段階のレベルがあり、基準の作成は容易ではない。
 高速船の機械故障による海難事故は、海難の中での比率は大きいが、基準作成のための件数としては多くはない。特に一つの会社のデータだけでは船種、船型やエンジンの種類にも偏よりがあるので、競争会社同志が自社のデータをどこまで公表しあえるか、が良い基準作りの要となる。
 機械の信頼性とメインテナンス性向上のためにメーカー、造船所、オペレーター、港湾等の関係団体からエンジニア、メインテナンス担当者を招集し恒常的に活動する委員会組織のようなものが必要であろう。RAM/SHIPNETプロジェクトでは機器性能基準作りのパラメーターとして、次の8つを使用しているが、この他経済的なインパクトに関するパラメーターを加えることもある。
 [1]平均故障時間間隔(Mean Time Between Failure: MTBF)、[2]復修時間の平均値(Mean Time to Repair: MTTR)、[3]補給遅延時間の平均値(Mean Logistic Delay Time: MLDT)、[4]スペアーパーツコストの平均値、[5]アベイラビリテイ(機器が任意時点で機能を維持している確率であり、一般にはMTBF/(MTBF+MTTR)で定義される)、[6]故障率(機器が次の単位時間内に故障を起こす確率)、[7]累積修理工数、[8]使命遅延(Mission Delays)
 要するに信頼性中心のメインテナンス(Reliability Centered Maintenance: RCM)とか全体生産性メインテナンス(Total Productive Maintenance: TPM)といった、近代的メインテナンスの考え方に従って、予防メインテナンスを行なう体制を作れば、他業種の例から考えて企業収入に及ぼす利益は計り知れないものがある、と言うのがInozu教授の考えである。
3-4 船位保持とナイトビジョン
 
 ライドコントロールシステムやナイトビジョンは、未だHSC 2000や船級協会規則の中では高速船の安全に100%の必要性を認知された座を占めていないが、本節ではこれら高速船の安全運航に副次的に必要な諸装置を概観する。
 荒海中での高速走行は乗客の安全と快適感を損ない、特に夜間においては著しい。高速船が大型化し船型が改良されれば、いかなる海象下でも安全に航行し得るであろう、と言う憶測は楽観に過ぎ、40,000tの高速船が40ktで航走する場合でも、上下、水平加速度、ピッチ・ロール角を減少しウォータージェットの取水を常時可能とするためには、ライドコントロールシステムが必要であることが証明されている。
 高速船の乗客が過度のロール・ピッチ角にさらされると、快適感を損なうと言うレベルを超えて船酔い客が多発し、船内のキオスクの利用が減るのみならず、ひどい場合にはその航路から客足が遠のくと言うことになり、BVではこれを運航限界の乗客乗り心地機能と捉えて重要視している。(3-2節参照)。ライドコントロールシステムの大手Maritime Dynamics Inc.(MDI)は、船酔い乗客パーセントインデイケーター(MSII)なる計器を発売している。MSIIは船の各所での垂直加速度や水平加速度を計測し、MSIパーセントを計算して表示するシステムである。
 ライドコントロールシステムとして実用されている方式にはフィン式、トリムタブ式、インターセプター式、T-フォイル式等があり、高速船の一般配置、重量、要求性能に合わせて最適なものが利用されている。
 フィン式は大型船のロールコントロールとして古くから使用されてきた方式であるが、パッシブなものとアクテイブなものがある。前者にはビルジキール、アンチローリングタンク、後者には重量移動やカンチレバーフィン等がある。高速船でも単胴船のロールコントロールには、フィンを船体中央部よりやや後方に配置する方法が一般的であるが、フィンを更に後方に取り付けてロールコントロールと共にウォータージェットを助け、オートパイロットの性能を向上させる機能を持たせ、船体運動の軽減と航路保持の両方に役立たせているものもある。
 フィン式は双胴船にも用いられている。1990年、双胴高速船Condor 9の双胴の前後にフィンが取り付けられ、ロール・ピッチ角は大幅に減少した。フィン式の欠点は、水線のすぐ下に取り付けられるので、海が荒れてくると前方のフィンが水面上に飛び出し、再突入する際に水面に激しくたたきつけられることである。また、フィンの迎角が大きくなるとキャビテーションが発生する。キャビテーションを起こす迎角は船速が増すとともに小さくなり、キャビテーションが起き易くなる。また、後部フィンはそれでなくても機械スペースが集中している船体後部にフィン専用の油圧システム・スペースを必要とするので、配置上に問題がある。
 フラップ式とも呼ばれるトリムタブ式は、フラップをトランサムのウォータージェット下部に取り付けて、船尾の水の流れによりリフト力を発生させるものである。この方式はキャビテーションの制約もなく、作動システムの配置上の制約も少ないので、60kt以上の高速船にも利用されている。さらに、この方式には船体抵抗を減ずる効果もあり、高速船の速力保持に付随的に貢献している。
 インターセプター式は、この2年間で高速船に利用され始めた新しいアクテイブライドコントローラーである。船尾に翼型フィンを取り付け、水流中でリフト力を発生させるものである。機能的にはトリムタブ方式と同じであるが、機構が簡単で軽く、必要なスペースや動力も少なくて済むが、得られるリフト力はトリムタブ方式の60%程度である。
 トリムタブ式やインターセプター式は、船尾に取り付けるシステムであるが、T-フォイル式は、船首部船体中心のキール下2m位の所に逆T字型のフォイルを取り付けるもので、フィン式のように水面から離れるという欠点は無い。T-フォイル式には固定フォイルと可動ラップ、可動フォイルと固定ラップ、可動フォイルと可動ラップ、の3型式がある。これらのうち最大のリフト力が得られるのは最後の可動フォイル、可動ラップ型であり、可動フォイル、固定ラップ型に比べてリフト力は30%大きいが、機構は複雑である。T-フォイル式の最大の欠点は、穏やかな海でも水中に突出した分だけ船体抵抗が増し、さらに高速航行時にキャビテーションが発生して速力が0.5〜1.5kt低下することである。双胴高速船Incat Tasmaniaでは、引き込み式T-フォイルを採用して、穏やかな海での速力減少を防止している。
 高速船の設計者はその船の航海海象に合わせてライドコントロールシステムを選ぶ。航行時間の95%が波高1m以下であるような海面では、トリムタブ式或いはインターセプター式が用いられるが、波高が2mの海面では、これに加えT-フォイル式を組み合わせて使う等の配慮が必要となってくる。
 MDI社では、オートパイロットにライドコントロールからの情報を組み込んだシステムを売り出している。このシステムは、高速船の航行方向を波の向きに対して調節したり、過度の船首揺れで針路が大幅にずれることを修正したりすることができる。さらに、ロールとピッチの連性運動の軽減、MSIの減少の効果も期待できる。船のコースからの離脱は、舵あるいはウォータージェットで自動的に修正される。オートパイロットからはジャイロ及び磁気コンパスの損傷、進行方向の大幅離脱、波向修正大幅エラー、ウォータージェット能力限界に対して警報が出る仕組みとなっている。
 旅客フェリーの夜間航行の安全のために、ナイトビジョンが使われたのは1980年代の始めに香港で使用されたのが世界初である。香港海事局は、高速船のナイトビジョンの性能基準を世界に先がけて作り、世界中がそれを参考にしているのが現状である。2000年6月にIMOの海上安全委員会が作成した高速船用ナイトビジョン性能標準の一部にも、香港仕様が取り入れられている。
 現在世界中で1,500隻の高速船が稼動しているが、ナイトビジョンを取り付けているのは1割の150隻に過ぎない。ナイトビジョンは自動車のヘッドライトのようなものである。しかし、自動車の場合は一方向に流れる動きの中で前方車輌の急停止、動物の飛び出しその他の障害物を見付けるだけでよいが、高速船の場合は、レーダーで見付けられない小型FRPボートや海中動物が方向に関係なく存在するので、危険度は自動車に比べ遥かに大きい。ナイトビジョンは、これらの障害物を目視により確認して衝突を避ける重要な役割を持っている。
 ナイトビジョンで識別出来る距離は、物体の大きさ、海象その他の環境条件によって異なるが、通常500〜1,000mと言われている。IMOの性能標準では小さな無照明ボート、浮いた木材、ドラムカン、ブイやクジラ等の海中動物を海上危険物としている。
 香港規則では、日没後30分から日の出前30分の間、25kt以上で航走する高速船には必ずナイトビジョンを装備しなければならない、としているが、HSC 2000では第13章10節「ナイトビジョン」で、必要の場合はナイトビジョンを備える、としているのみであり、必ずしも強制ではない。
 香港地区では約100システムのナイトビジョンが稼動しているが、同地区で承認されているシステムはVister社のものとボーイングVASシステムのみである。前述したように世界中の高速船の1割にしかナイトビジョンが装備されていないということは、ナイトビジョンに対する認識の低さを物語っている。
 確かに世界中でナイトビジョンを強制化しようと言う動きはあるが、なかなか実現しない。HSC 2000改正の時も、ドイツが「旗国政府が不必要と認める場合以外はナイトビジョンを備える」と提案したが、強制化はされなかった。ナイトビジョン強制化には、解決すべき問題が沢山ある。装備を強制する速力の限界、ナイトビジョンの視認能力、視認能力テスト時の対象物、ナイトビジョン使用時の乗組員の配置・訓練等である。HSC 2000では高速船の速力は排水量から決められており、2,000tでは25.54kt、5,000tでは29kt、10,000tでは33.39ktとなる。5,000tの船が29ktで航走している場合の緊急停止距離は900m程度で、回頭半径は600m程度であるが、発見の遅れの時間を考えると1,200m以上の視認能力を持ったナイトビジョンの装備が求められる。
 しかしながら、速力は低いが操縦性の劣る巨大船等にはナイトビジョンを要求せず、操縦性が良好といわれる高速船のみにナイトビジョンを要求することに合理性があるか、十分に検討されているとは言えない。








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