日本財団 図書館


第II部
1.  序
 高速で航走する船舶には、駆逐艦やパトロールボート等の艦艇、スピードボートやウエーブピアシングヨット等のレクリエーション用ボート等、多くの船があるが、本編で取り扱う対象は、最近、海運・造船業界で話題をにぎわせている高速フェリーボートである。高速フェリーボートと中速フェリーボートの境界は基準により異なるが、フルード数0.5以上を高速フェリーボート(以下高速船)と呼んでいる例が多いようである。高速船と高速艦艇或いは高速レクリエーション用ボートの使用形態は全く異なっており、そこから高速船独自の安全・環境問題が派生している。
 艦艇が定格連続出力航走するのは年に20時間程度であるが、高速船は1日に20時間の定格連続出力航走をするため、特にディーゼルエンジンの場合は損傷によるダウンタイムが非常に多く、エンジンのメインテナンスが高速船の安全にとって非常に重要である。
 一方、レクリエーション用ボートは一般にサイズも小さく、軽量で高出力が出るように設計された、使用保証期間の短いエンジンにより駆動され、しばしば定格連続出力を超える領域で使用される。商業用中小型船のエンジンの年間使用時間は、2,000〜5,000時間であり、使用するエンジンの速力が急に上下する事はなく、常時定格連続出力の85%程度の負荷で運転されている。 米国環境庁(Environmental Protection Agency: EPA)は商業用中小型船とレクリエーション用ボートのディーゼルエンジンに、別々の排ガス基準を規定し、レクリエーション用ボートエンジンを商業用船舶に使用する事を禁じている。
 高速船はいろいろな面で航空機に近い側面を持っている。航空機は高速により浮力を得て飛行するため、機材の重量を極力軽くし、出力/重量比が大きく軽いエンジンを搭載する事が要求される。高速船の場合も、速力は船型にほとんど関係なく、主要目、排水量、エンジン性能により決まっており、出力/重量比の大きなエンジンの搭載が要求される。 即ち高速船の設計思想は「重量=速力」という航空機に近い概念といえる。
 高速船の軽荷排水量を少しでも軽くしようとする努力は、船体と推進システムの設計に強く現れている。 船体材料は鋼、アルミニウムを経て繊維強化プラスチック(FRP)が多用化されるようになり、推進エンジンはガスタービンや出力/重量比の大きいディーゼルエンジンが一般化している。しかし、これらは安全・環境の上の問題を提起している。即ち船体の軽量化は衝突時の安全性を低下させ、エンジンの軽量化はエンジン故障によるダウンタイムを多くし、FRP使用により、建造時に揮発性有機化合物(VOC)の大気中への発散が拡大して環境汚染につながっている。
 高速船には、プロペラと舵の組み合わせによる推進旋回システムの代わりにウォータージェットが用いられるが、安全の面から問題がないわけではない。全速で走る高速船の前方を、不注意なプレジャーボートが急に横切ると言う様な場面は日常茶飯事であるが、ウォータージェットではプロペラと舵で得られるような急速旋回は不可能であり、特に高速時の旋回は困難となる。従って、高速船の船長は絶えず前方を監視して、必要な場合は減速と前方回避をしなければならない。
 プレジャーボートの方からすれば、今自分に近づいてくる船が今までの常識では考えられない高速で走る船である事を知る必要があるが、高速船がある種の発光信号を出したとしても、それを理解して衝突を回避する知識レベルは社会的には一般化していない。
 この点は夜間においては更に重大である。高速船にナイトビジョンを設置し、救急車の様な発光信号を義務づけたとしても、安全上のリスクが大幅に軽減される事はなく、海面上に高速船用のハイウェイを設ける問題、衝突が起りそうな海面での速度制限の問題、航行管制システム(VTS)の完備の問題等、いろいろな問題へと発展する。
 高速船の基準については、1990年代に入り国際海事機関(IMO)や各船級協会で作成されているが、それらは高速船に共通な部分を規定しているに過ぎない。一方、高速船の運航時間はせいぜい4〜8時間であり、その安全・環境問題は極めて地域的な色彩の強いものである。
 1998年以来、マンハッタンを中心とするニューヨーク水域では、高速船安全委員会(High Speed Commercial Craft Safety Board: HSCCSB)が組織され、特に高速船の速度制限の問題を審議している。HSCCSBのメンバーはニューヨーク近郊の高速船オペレーターとUSCGを含む3つの官庁である。HSCCSBはマンハッタンのバッテリー地区とヘルゲート地区の航行速度を制限しようとしているが、何ノットにすれば衝突が避けられるか判然としない上、50ktはおろか60kt、70ktが投入される日がそう遠くない現在、この地区での速度制限がなかなか決められない実情である。30ktに制限すればリスクは確実に減るであろうが、高額の資金を投入して60kt、70ktの超高速船を建造する船主がこれを容易に受け入れるとは思われない。
 VTSについても米国は必ずしも進んでいるとは言えない。米国では1972年港湾及び水路安全法が制定されたのを機に、ヒューストン/ガルべストン水路、ピュージェット・サウンド、サンフランシスコ湾等でVTSの運用が開始され、その後ニューヨーク港に追加された。
 1990年の油濁防止法は、進歩したVTSを設置した場合の油濁汚染事故の減少度及び現存のVTSを最新のものと代替し、必要な場所に追加する費用等の研究を規定している。
 これに基づき、USCGはVTS2000と呼ばれるプロジェクトを発足させ、1993年報告書を議会に提出したが、その内容は17の港に総額2億6,000万ドルから3億1,000万ドルの費用を投じて高度VTSを設置し、年間4,200万ドルの費用で運用すべしとするものであった。上記17港のうち最も緊急を要すると判断されたのはニューオリンズ港であるが、2000年11月28日に、やっと新設VTSのテストにこぎつけた状況である。
 第II部ではまず第2章「高速船の安全基準」において、既存の基準を比較概観する事により、高速船の安全問題の基本点を把握することとする。比較する基準はIMOの最新規則である2000年国際高速船安全規則(International Code of Safety for High-Speed Craft 2000: HSC 2000)、米国船級協会(ABS)高速船設計ガイド、USCG規則である連邦法施行細則(46CFRサブチャプターK)である。
 安全に対する考え方はヨーロッパ、日本、米国で若干異なっている。HSC 2000では機器信頼性評価に故障モード影響解析(Failure Mode and Effect Analysis: FMEA)の手法を用いる事を求めており、高速船の安全評価に確率論的手法を用いる事が一般的となっているので、各規則の比較を行った2-2節の前に、高速船の海難の実体、米国国家交通安全委員会(National Transportation Safety Board: NTSB)の海難調査手法、安全評価の確率論的手法等を復習する2-1節「安全に対する考え方」を設けた。2-3節「高速船の安全・環境設計」では高速船に対する理解を深めるため実際に就航している高速船の設計を安全・環境の面から概観する。2-4節は2-2節の基準比較。2-3節の設計概観からHSC 2000の問題点を拾い上げたものである。
 第3章及び第4章はそれぞれ安全及び環境に関し、これから基準に取り入れるべく議論されているトピックスを各4つ選んで解説したものである。第3章ではバリアフリー、運航限界、機関メインテナンス、船位保持とナイトビジョン、第4章では侵食防止、居住区環境、海洋生物の保護、FRP船建造時の環境問題を取り上げたが、各項目とも周辺の法規や基準につき出来る限り触れて、高速船基準の現在における全体像が掴めるようにした。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION