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6.中央海嶺系の発見
 米国のコロンビア大の Bruce Heezen (ヒーゼン) は、1950年代、遅く巻き取る音響記録紙を用意し、船尾から数分おきにダイナマイトを投げて、海面近くで爆発させ、海底からの反射音をマイクロフォンでキャッチして、全世界の海底地形を調べ直した。そして、従来の海底地形図を全く描き変えた。こうして中央海嶺系という深海底の一大山脈が世界を取り巻いていることを発見した。図−7に示す。
 また、海嶺系の中軸部に陥没した溝が連続して存在することも見出だした。
 それで、この中軸部付近がマントル物質の湧き出し口であるとし、ここから新生した海洋底地殻が両側に拡大すると解釈した。ただ、その拡大の範囲は、中央海嶺系という範囲にとどまり、固体地球の直径が少しづつ大きくなってきたのであろう、と解釈した。これは誤りであった。しかし、ヒーゼンの中央海嶺系の発見は近代海洋地質学発展の端緒としてたたえられるべきである。
7.大洋底拡大説
 沈み込み帯
 1961−62年、その後の地球像を根本的に変える「大洋底拡大説 (海洋底拡大説)」が生まれた。米国の Robert Dietz (ディーツ) と、ギヨーの発見者であるHarry Hess (ヘス) によって提唱された。発表はディーツの方が1年早かったが、ヘスはそれより早く、原稿の形で仲間に送り、批判を仰いでいたので、提唱者としては二人の名前を並べる。
 図−8は東北日本の東西断面である。和達清夫は、1930年前後に、東北日本の東西断面をとると、日本海溝軸部から沿海州の下、700km付近まで斜めに震源の集中面が存在することを発見していた。
 第二次大戦後、米国のH. Benioff (ベニオフ)はこうした和達面が、世界中の海溝に普遍的に存在する事実を突き止めた。以来、こうした震源の集中面を「和達=ベニオフ面 (帯)」・"Wadati=Benioff Zone"と呼ぶようになった。
 ベニオフはこの摩擦面を大陸が海洋底にのし上がった巨大な逆断層であると解釈した。
 ディーツ=ヘスは、これを、大陸地殻の下へ大洋底地殻が絶えず沈み込むために生じる摩擦面で、大陸地殻の下面と海洋底地殻の上面が、ある幅をもってすれ違う薄い層である、と解釈した。
 中央海嶺系中軸部で生まれて、年間数cmの速さで移動拡大する海洋底地殻は、行きつく先で、多くの場合、大陸地殻に接する。そこで、大陸地殻の抵抗に合い、その下へ斜めに沈み込む、というのである。地球の半径は変わらずとも、こうした地球表層の運動は可能であるメカニズムを見出だした。図−9に示す。
 それまで、深海底は永遠に動かず、静かな場である、という何世紀にも亘る基本概念を根底から覆したのである。
 たまには、海洋底地殻の方が大陸地殻の上にのし上る場合もある。
 「沈み込み帯」の典型は、日本海溝、千島海溝、伊豆・小笠原海溝、マリアナ海溝、南海トラフ、琉球海溝、など環太平洋地域に多い。
 この頃、海洋底地殻を横に動かす原動力は、その下を横に動くマントル対流であろう、と推定された。マントルは固相であるが、時間をかけて圧力をかけると変形する塑性 (プラスチックの性質) を持っていることが判明していた。
 こうして、沈み込みの摩擦面に沿って、絶えず動く海洋底地殻の上面に摩擦によって引き摺り込まれる大陸地殻は、限界に達すると、破壊して急に反発し、元の位置に戻る。この時、大きな地震が発生する。この面の上下でも局地的地震が多く随伴して発生する。
 「沈み込み帯」は「地震帯」となる理由が判明した。巨大地震発生で力強く反撥する大陸地殻の海水に覆われた先端部分は、上に載る海水を広い範囲で動かす。これが「津波」発生の原因であることも納得がいった。
 また、沈み込む海洋底地殻の上面が深さ 90−150kmの範囲で、温度・圧力条件によって、岩石が溶けてマグマが発生し易いことも判明した。マグマは周囲の岩石よりも軽い。弱線や弱面を見出だして上昇し、地表まで噴き出して火山を形成することも多い。こうして「火山帯」が形成される。
 地球上の火山帯は、独立火山は別として、かならず、沈み込み帯の受け身側に存在する。また、沈み込み帯では大きな圧力がかかるので、大陸地殻が撓んで「造山帯」が形成される。こうして従来は、形成のメカニズムがはっきりしなかった諸現象が次々と明快に判明するようになった。
 沈み込み帯は、造山帯、地震帯、火山帯、海溝 (5000mより浅い場合はトラフ)、津波などを伴うので、「活動縁辺域」と呼ばれる。これに対して、大西洋の両岸のように、海洋底地殻が、沈み込むことなく、大陸地殻をただ横押ししているよな接触域を「非活動縁辺域」と呼ぶ。
 これから述べる「プレートテクトニクス説」提唱後のことになるが、図−10に示すように、1970年、R. Dietz (ディーツ) とJ. Holden (ホールデン) は、ウェゲナーと異なり、パンゲアが、北方の大陸と南方のゴンドワナに分かれ、間に古地中海を生じた頃、インド亜大陸は、ゴンドワナの東の部分であったと考えた。その後、インド亜大陸はゴンドワナから分裂して、北上し、ユーラシア大陸に衝突し、海を潰し、ヒマラヤ造山帯を盛り上げた、と説明した。
 ヒマラヤ山脈の高所に、古地中海の海底堆積物や化石を多産するのは、この動きの結果である、とした。また、数十億年の古い大陸性岩石を含むマダガスカル島は、インド亜大陸が、北上する際、破片を残したものだと解釈した。
 こうした見解は、事実をよく説明するものとして、広く受容された。
 1929年、京都大学の松山基範は、ある玄武岩の中で、逆向きの磁化を発見、後年、地磁気が正転、逆転する事実が繰り返されたことの発見の端緒を作った。
 外核の中の対流は、時に動きが逆になるらしく、それに対応して、地磁気の向きも正逆を繰り返すらしい。周期はおおよそ百万年であるが、短期間の正逆転も間にしばしば挟まる。正逆転の移り変わりの期間には、地磁気が消滅するが、その期間は極めて短い。
 戦後、古地磁気の研究が進み、例えば、過去 450万年間をとった場合、現在から過去に向かって、ブリューン正磁極期、松山逆磁極期、ガウス正磁極期、ギルバート逆磁極期、というように命名されている。「松山」の名が、正式に採択されたのである。
 海底試料から現在では、中生代ジュラ紀半ばまでの地磁気正逆転の時期が特定されている。
 大洋底拡大説が提唱された翌年、1963年に、F. Vine (ヴァイン) とD. Mathews (マシューズ) は、海洋地磁気異常のテープレコーダー説を発表した。すなわち、船尾から全磁力計を流して、平均値からのプラス・マイナスの偏差値を計っていったところ、中央海嶺中軸部を中心とする線対称の異常値の縞模様が存在することを発見した。
 それで、拡大する海洋底地殻が、キューリー点を超えて下がり磁化するとき、地磁気の向きが逆になれば、偏差値もおのずと異なるであろう、と解釈した。
 それで、この縞模様を、地磁気正逆転の化石であると断じ、公表したのである。
 こうした調査の過程で、ヴァインとマシューズは、小規模の拡大軸とその両側の地磁気異常の縞模様を、北米大陸西岸の米国・カナダ国境付近の沖合いに発見した。この発見は、北米大陸西岸沿いに走るサン・アンドレアス断層の本質の解明にとって欠くべからざる事実の発見であった。
 1968年、J. Heirtzler (ハーツラー) らは、地磁気異常の縞模様から、全海洋の年令を測定した。大西洋の拡大速度は遅く、東太平洋の拡大速度は速いことが判明した。その後、こうした研究は進み、全海洋で最も古い地殻が存在するのは、日本列島南方の西太平洋であり、それでも、2億数千万年程度の古さにしかならないのであろう、という見当がついてきた。より古い海洋底は既に、沈み込み帯を経て、地球内部に吸収されたのである。
8.ホットスポット
 単独火山
 1953年、来日したディーツは、水路部に1年間滞在して研究した。そして、日本の古い海図を整理して、中部北太平洋から、北方、カムチャッカ半島とアリューシャン列島の交差点に向けて、平頂海山を含む海山の列が存在することを発見した。1954年に、これを「天皇海山列」と名付けて発表した。
 1963年、ディーツは、サンフランシスコ付近に露出している複合的な謎の岩石である「オフィオライト・ophiolite」を、大洋底物質起源であろう、と予言した。これは、後に事実であることが証明された。
 1963年、カナダのJ. Tuzo Wilson (ウィルソン) は、hotspot (ホットスポット) 説を提唱した。中央海嶺系という「線」としてのマントル物質の湧き出し口があるとすれば、点としての湧き出し口があってもよい、というのである。そして、ハワイがそうであろう、と例示した。現在、ホットスポットの上にあって、火山が噴いているのはハワイ島のみである。ホットスポットの源は地殻の下にあり、上部の地殻は大洋底移動で西へ進んでいるので、オアフ島やカワイ島などは、火山ではあるが、既に死火山で、根無し草のような存在になっているのであろう、というのである。
 これはその後、事実であることが証明された。
 その後の研究結果、間欠的に噴くハワイのホットスポットは、ハワイ列島からミッドウェイ島を経て、天皇海山列の桓武海山 (約4000万年前) から北端の明治海山 (約7000万年前)まで、活動の跡を太平洋底に刻んでいることが判明した。この研究には筆者らも参加した。
9.トランスフォーム断層
 次いで、1965年、J. T. Wilson (ウィルソン)は、トランスフォーム断層 (transform fault) と名付けた考え方を提唱した。中央海嶺系は多くの場所で中軸にほぼ直角の長短の断層で切られ、中軸がずれている。ウィルソンは、断層でずれた後でも、地下からのマグマの噴き出しは継続し、両側への拡大は続いて現在に至っているのが一般的であろう、と解釈した。
 ある時、中軸が断層でほぼ直角にある距離ずれた場合、マントルからのマグマの湧き出しと、その後の横ずれは継続しているので、断層線の両側の地殻の動きの方向は逆になる。こういう特殊な断層に対してトランスフォーム断層という名を与えたのである。
 これに対して、断層の両側で、ブロック全体が互いに素直に逆方向にずれている普通の断層をトランスカレント断層 (transcurrent fault) と名付けた。
 中央海嶺中軸部と、それがほぼ直角方向にずれている断層部分にのみ、浅発地震が多発する現象に気付いた結果、ウィルソンは、こうした動きが続行している、という結論に達した、という。
 太平洋東部の中央海嶺系である東太平洋海膨中軸部の北方延長は、カリフォルニア湾に伸びているように見える。研究者たちは、この付近から北に伸びるサン・アンドレアス断層を、中央海嶺系中軸部が大陸内に上陸している部分であろうと解釈していた。
 トランスフォーム断層の概念が提唱されるに及んで、今度は、サン・アンドレアス断層が、大規模なトランスフォーム断層であることを理解した。
 それで、この断層を挟んで、古い地層ほど、遠く隔たっている理由が判明した。
 日本の沈み込み帯で起こる大規模な地震の初動は、「縦揺れ」であるが、サン・アンドレアス断層に沿って起こる地震の初動は、「横揺れ」である理由も判明した。
10.プレートテクトニクス
 既に述べたように、地球表層の固化した部分は、地殻のみでなく、マントル最上部も含み、厚さが60−200kmであり、平均して約100kmであることが見出だされた。1967−1968年、英国のD. P. Mckenzie (マッケンジー)、米国のR. L. Parker (パーカー)、W. J. Morgan (モルガン)、フランスのXavier Le Picon (ル・ピション) が、相前後して発表した。
 この固体地球表層の固化した部分に対して「プレート (plate)」という名称を与えた。図−11にその動きの断面を示す。図−9の中の地殻を、プレートに置き換えたものである。
 プレートの下のマントル部分に、地震波の伝播速度が遅く、やや柔らかい部分が発見されたので、ここをマントル対流が上昇後、横方向に動いている部分であり、それより上は、固いプレートで、対流に載って動いているのであろう、と解釈したのがプレートの存在に気付いた端緒であった。
 プレートは、lithosphere (リソスフェアー・岩石圏) ともいわれ、その下のマントル対流が横方向に流れているやや軟らかいマントル部分をasthenosphere (アセノスフェアー・岩流圏) と呼ぶ。
 それまでは、地殻=岩石圏であったが、ここで、プレート=岩石圏と変化した。
 プレートの動態を「プレートテクトニクス(plate tectonics)」という。
 プレートの概念の導入で、固体地球表層の動きの力学的説明が、地殻のみが固い、という見地から見た場合に比べて、比較にならぬほど、合理的に説明できるようになった。
 ホット・スポット説も、トランスフォーム説も、そのまま継承された。
 中央海嶺系中軸部で生まれ、両側へ拡大・移動する海洋底プレートは、冷えて重たくなり、大陸プレートと接する頃には、自ずと沈み込む状態になるので、必ずしもその下に横流れのマントル対流は必要としない、という考え方も生まれたが、その辺の真相の解明はこれからの課題として残されている。恐らく海洋底プレートの下を横に流れるマントル対流と、冷えて重たく厚くなり、海洋底プレート自身が、下へさがる動きは併存している、と考える方が素直な気がする。
 固体地球表層のプレートは、大陸プレートと海洋底 (大洋底) プレートに2大別される。沈み込み帯に造山帯が形成される運動を、コルディレラ型の造山運動という。ヒマラヤ山系のように二つの大陸プレートが衝突して形成されるものを衝突型の造山運動という。
 大洋底プレートの沈み込みに対して、大陸プレートの先端に近く、その下に二次的なマントル対流が生じて、小規模の海底拡大が起こり、大陸の先端を分離して「島弧」とし、大陸本体との間に、「縁海」を形成することがある。日本海、オホーツク海、ベーリング海、フィリピン海などがそうである。
 フィリピン海は大規模な縁海である。その形成後、この海底の中に海底拡大軸が生れ、周辺への沈み込み帯を形成している。南海トラフ、琉球海溝、フィリピン海溝などがそうである。
 1977年、米国のD. Seely (シーリー) は、付加体 (帯) (accretionary wedge) の概念を提唱した。これは、沈み込み帯に関係する現象を理解する上で重要な提言であった。沈み込む海洋底プレートの上面は、深海堆積物、その下の大洋底性玄武岩の上部も含めて、摩擦のため、沈みきらずに、上位の大陸プレートの下面に、ある程度まで次々に貼り付いて、付加 (accretion) し、付加体 (帯) (accretinary wedge) を形成する、という考えである。
 そして、大洋中の環礁などが、沈み込み、付加体の中に取り込まれると、それはマントルの中には戻らず、上部の大陸の地層の中に混在して、侵食の結果、地表に露出することもある、というのである。
 これで、遠洋性堆積物・玄武岩起源らしいオフィオライトが、陸上に露出していることがある理由が判明した。また、山口県の秋吉台の石灰岩が、かつての深海底から聳えていた単体火山の上に成長した珊瑚化石を多量に含む石灰岩体であったことも判明した。日本列島は石灰岩に富む。その中には、付加体を経て、混入したかっての深海底からの珊瑚礁と、温暖な時期、沿岸に発達した浅海珊瑚礁起源の2種類があることも判明した。
 海洋底の移動速度などについては実測が始まっている。VLBIという手法を用いて、ハワイと日本の鹿島の距離の変化が測られた。その結果、ハワイは年間4cmほどの速さで日本に近付いていることが判明した。毎年で見ると僅かな距離であるが、1億年も経つと、ハワイは日本に付着することになる。
 この頃は、簡単に複数の人工衛星との送受信で、正確な位置が求められるGPSが多用されている。GPSで位置測定を繰り返して、その間の変化から移動量を読み取る手法が一般化してきた。








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