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 「海洋底からのメッセージ」
Message from the Ocean Bottom
奈須 紀幸 博士
東京大学名誉教授・理博・Ph. D
(財)シップ・アンド・オーシャン財団 評議員会議長
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Noriyuki NASU
Professor Emeritus,
University of Tokyo, D.Sc., Ph.D.
Chairman of Ship&Ocean Foundation's Board of Trustees
1.宇宙の誕生・ビッグバン
 太陽系の誕生
 原始地球の誕生
 宇宙は100数十億年の昔、1点から大爆発をして膨大なひろがりを持つように成長した。これをビッグバンという。現在もその膨張は続いているし、爆発の残響も残っているが、将来、各所に生じているブラックホールに集中吸収されて収縮に転じ、また1点に戻るものと予想されている。それから再び大爆発をして次世代の宇宙に移行する。過去にもそのような繰り返しがあったらしい。
 現在、宇宙の中には数千億個の銀河が分布する。太陽系が属する銀河系は、星雲を含む30個たらずの銀河と小さなグループよりなる。
 太陽と地球の距離は約1.5億kmである。これを1天文単位 (AU) という。AUはAstronomical Unitの略である。
 光が1年に走る距離を1光年という。1光年は、63,300AU (約1013 km) である。太陽系の属する銀河系は直径約10万光年の中がやや膨らんだ薄い円盤状をなしている。太陽はその中心から約28,000光年のところに位置する。
 ビッグバンの爆発は、粉々になった宇宙塵と幾種類ものガスを直線的に走らせた。と同時に、各所で大小数知れぬ渦巻きを生じたらしい。これは流体の持つ特性である。こうした渦の中で、偶発的に宇宙塵が引きつけ会った小塊ができ、そこへ周辺の宇宙塵がひきよせられて、大小の塊を生じたのであろう。
 太陽系は、大きな太陽という塊を中心とし、その回りをほぼ円軌道を描いて公転する惑星群と、楕円軌道を描いて回る彗星群と、その他、小天体群が形成されたのであろう。
 地球は、太陽から1AUの距離の半径の円軌道に近い軌道を1年かけて公転している。地球自らはほぼ1日に1回自転する。北極の方から見れば反時計回りに自転している。
 太陽は恒星であり、9個の惑星を持つ。内側から、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星である。冥王星は最も小さくて軽いらしい。
 内側の4個の惑星は小さいのでまとめて地球型惑星と呼ばれる。より外側の4個の惑星は大きくて厚い大気に覆われているので木星型惑星と呼ばれる。
 火星と木星の間には多数の小惑星がほぼ円軌道を描いて太陽の周りを公転している。この小惑星群の中から小天体が時々地球にも落下する。
 地球の質量は、太陽の約33万分の1である。
 地球の周りでは地球の衛星である月が、ほぼ1ヶ月に1回の割合で、地球に顔を向けたまま公転している。結果的に1ヶ月に1回自転していることになる。
 太陽系の中で地球などの惑星が形をなしていったが、始めは宇宙塵の冷たい集合体と、それを取り巻くガスであった。
 惑星は凝集のエネルギーと、周囲から衝突する大小の天体の衝突のエネルギーで燃えるような火球となったらしい。
 そうした動きが一旦収まった後、地球の場合を例にとると、表面から冷えていって、固相の岩石で地表は覆われ、ここに原始の固体地球が生まれた。
 その時期は今から約46億年くらい前のことであろうと推定されている。
 固体地球の内部は、放射能を含む鉱物からの放射能熱も加わって、いまだに火球の部分を保存している。
 地球がまだ火球であった頃、その中から揮発したガスは、大部分が、水蒸気 (H2O) と二酸化炭素 (炭酸ガス・CO2) と窒素 (N2) であった。これが原始の大気である。
2.海の誕生
 生命の芽生えと進化
 オゾン層の形成
 地表が固まる程度に冷えて、周囲の大気の気温も下がってきた。水蒸気は水の臨界温度である 274.2℃を超えて下がると液相の水となる。このような状態まで達した時、大気の中から大量の水が雨となって地表に降り注ぎ、原始の海を作った。
 その時期は40数億年以前のことであろう。原始の海は酸性の強い状態であったと推定されている。当時の海水の量と現在の海水の量と大差がないのか、40数億年の間に火山活動などを通じて海水の量が増えたのか、固体地球の中に吸い込まれて減ったのか、この辺は今後の研究課題である。
 この原始の海の中で最初の生命が芽生えた。
 長い間、最初の生命は波打ち際の泥の中で芽生えたと考えられてきた。しかし、太陽からの短波長の紫外線で殺された可能性との矛盾が長らく疑問として残った。
 遺伝子・DNA・ゲノムについての近年の研究の進展は目を見張るものがある。
 この分野の研究結果から、最初の生命は、海底よりさらに下の地下で生まれたのではないか、という可能性が、強く現れてきた。今後の重要な研究課題である。
 また、近年、最初の生命体は、地球に落下した他天体の中に含まれていたのではないか、との学説が有力になりつつある。
 目下のところは、深海底下で最初の生命が芽生えた、というのが有力であるが、決着はついていない。
 生命が生まれた場所はどこにせよ、まず、低分子の有機化合物が生まれ、段々と高分子の化合物が生まれるようになっていった。ある時、偶然にも、同じ分子を複製する能力を持つ分子が生まれた。これが最初の生命の芽生えである。40億年以前の前後のことであろう。
 生物は自己増殖の機能と代謝機能を持つ。
 最初、分子の中での進化が進み、やがて分子の集合体が生まれた。これが単細胞生物である。それから多細胞生物が生じた。
 それから次々と新しい生物が生まれていった。個体としての生命には限りがあっても、種や属としての生命は長短さまざまなものが生じた。生物の変化が続行されていった。滅びも含めて、生物のこのような変化を「進化」と呼ぶ。
 数10億年前か10数億年前か、まだその時期は特定されていないが、海中で葉緑素を持つ藍藻など、二酸化炭素を吸収してその中の炭素を栄養として採り、酸素を遊離して放出する「植物」が増えていった。
 酸素はまず、海中を満たし、やがて大気中にも放出され、陸上の上の大気をもみたすようになった。
 一方、海中の生物の中には、植物を食餌とする動物も増えていった。こうした生物は、海水中のCO2 を吸収し、CaCO3という炭酸石灰の殻を作るものが現れた。 大気中のCO2も次々と海中に吸収されていった。
 7億年前より以前は、大気の中のCO2の量は多く、気温、水温ともに相当高温であったのであろう。大気中のCO2の減少とO2の増加は、気温、水温の低下をまねいた。そして、数回に亘る大規模な全球凍結程度の氷河の発達をもたらしたらしい。
 この頃から海中の生物は藍藻のようなものばかりでなく、植物、動物ともに、多種多様となり、個体数も激増した。この頃から海底に堆積した地層の中から炭酸石灰の殻や骨格を残す化石が多産するのは、こうした理由による。
 太陽からの紫外線、とくに短波長の紫外線は、生物の遺伝子破損を起こすので、生物の生存を許さない。海中ではこの短波長の紫外線は10mくらいの水深まで進むうちに吸収されてしまう。それより以深では大丈夫であるが、陸上ではこの紫外線は直接地表に達する。生物は生存できない。こうした状態が、地球の誕生以来長らく続いてきた。
 陸上の少なくとも表面は、生物のいない砂漠の世界であった。6億年前より少し前までは、海中でも生物が存在し得たのは、水深10mより深いところであったのであろう。
 酸素は紫外線を強く吸収する。海中で酸素が海面近くまで充満するようになった。海中の生物は、海面付近まで住めるようになった。
 動植物のプランクトンがともに激増し、それらを食餌とする動物も激増したのであろう。
 一方、大気中に放出された酸素は上昇し、紫外線と反応して地上約20−60kmの範囲にオゾン (O3) 層を形成した。このオゾン層は、紫外線、とくに生物に有害な短波長の紫外線を吸収する。
 陸上でも生物が生息し得る環境が整った。微小生物は早くから上陸したであろう。
 4億数千万年前に、まず植物が陸上に海から上陸した。それから動物の仲間の中で両棲類が上陸し、続いて各種の動物が上陸した。昆虫類も上陸した。
 以後、大陸や島弧は緑に萌え、原始的な生物であるバクテリアなどから始まって、陸上に特徴的な動植物が盛衰を繰り返しながら進化につぐ進化を遂げて今日に至った。
 私ども「ヒト」は、その中でも最近ともいってよいくらいの過去に生まれて進化した。中には、クジラやイルカのように、生活の場を再び海に戻した哺乳動物もいるが、呼吸が必要なので、海面上に顔を出して空気を吸う。
 一方、海中でも生物は多岐多様に亘る進化を遂げて、現在に至った。
 海中の生物は40億年近くの歴史を持つ。
 陸上の生物は4億数千万年の歴史的背景しか持っていない。
 地球環境は、生物にとって、時にやさしく、時に厳しく、場合によっては峻烈を極めることがある。多くの生物が進化しつつ生まれてゆく一方で、多くの生物が滅んでいった。
 1930年、米国で人畜無害の冷媒が発明された。CF2Cl2というクロロフルオロカーボン、いわゆるフロンガスの1種である。第二次大戦後、生活水準の向上に応じて、冷蔵庫やエアコンの冷媒はもとより、スプレー、精密機械の洗浄剤などにも汎用され。大量に生産使用されるようになった。
 1974年、Rowland (ローランド) らは、使用済みになって大気中を上昇するこのようなフロンが、将来、オゾン層を破壊する危険が存在することを警告した。
 南極大陸上空のオゾン量の減少が、日本や英国の観測隊によって、1982年から気付かれ始めた。米国は人工衛星ニンバス7号を使用して、面的調査を実施し、明確なオゾン量の減少を把握した。そしてこれを1985年、「オゾンホール」と名付けた(図−1)。
 早速、この1985年から国際的な協議が重ねられ、特定フロンは、1995年に汎世界的に生産が打ち切られた。幸、陸上の生物を全滅させるであろう短波長の紫外線が地表まで注ぐようにならないうちに緊急対策が取られた。この点、珍しく世界各国の反応は素早やかった。明確な人類滅亡のシナリオが読み取れたからである。
 これに比べると、人為的なCO2 増加による地球温暖化の危険に対応する各国の反応は様々で、鈍い国々も多い。日本は熱心である。緊迫した人類滅亡のシナリオが読み取れないからである。いまひとつの理由があるが後述する。
 南極のオゾンホールが極大に達するのは20世紀末頃で、21世紀半ばには、オゾンホールは消滅するであろう、という予測を発表した研究者もいるほどの好転ぶりである。 以上述べたように、「地球環境」については明らかにされた部分も多いが、模糊としてカーテンの後に事実が隠されている部分も多い。以下、そうした様々な既知・未知の事項について述べる。
3.地球の層圏=気圏、水圏、固体地球
 地球は、太陽系の中でその表面に水を湛えた唯一の惑星である。燃えている太陽からの距離が適当に離れているために蒸発しにくく、地球自体が持つ引力 (それは重力と表現されているが) が、自転する地球の遠心力よりはるかに勝っているために、水は地球に引きつけられていて、振り回されて宇宙空間に飛び散ることもない。
 その水の中から生物が生まれ、進化し、陸上にも上陸し、繁栄して今日に至っている。まことに幸運の星である。
 固体地球はほぼ球形をしている。その周囲の距離はほぼ4万km、半径は約6400kmである。
 地球は固体地球、水圏、気圏の3層圏から構成されている。
 固体地球や海面の上では大気が重力によって地球に引きつけられた状態で存在している。その上限は地上約10,000 kmの高さに及ぶ。なお希薄な空気は地上数万kmの高さにまで存在する。この中空の大気の球形の実質部分を気圏と呼ぶ。
 地表に近い方から順に、対流圏、成層圏、中間圏、熱圏 (温度圏・電離圏)、外圏 (外気圏) で構成されている。外圏の外側は惑星間空間となる。
 気圏内部の状態は、気球、ロケット、人工衛星による観測で急速に明らかにされた。
 地表から十数kmの高さまでを対流圏という。大気の水平、上下方向の運動、混合が激しく、含まれる水蒸気や水滴、氷片の運動も激しい。雨や雲、上昇気流や下降気流などの気象現象も顕著である。
 オゾン層については既に述べた。
 中間圏や熱圏の中には幾つかの電離層が存在する。
 昼間に存在するD層、F1 層、F2 層、夜間、F1 ・F2 層はF層にまとまり、E層は昼夜存在する。電離層は中波や短波の電波を反射するので、遠距離の電波通信に利用される。
 外圏の中には内側と外側のバン・アレン帯が存在する。太陽風の中の陽子と電子の一部が、地球磁場の中に取り込まれて飛び回り、強い放射能帯を形成しているものと解釈されている。バン・アレン帯は、地球に降り注ぐ宇宙線を吸収するので、地表の生物を保護する役目を果たしている。
 赤道上空約3万6千kmで、地球の引力と、地球の自転による遠心力は釣り合う。ここまでロケットを打ち上げて、横方向に衛星を24時間周期で1周するように打ち出すと、静止衛星となる。気象衛星「ひまわり」はそうした1例である。
 しかし、周囲は真空ではなく、希薄ではあるが空気が存在するので、その抵抗で、衛星の速度が落ち、そのため遠心力が落ち、遂には多くの場合、大気圏に落下して燃え尽きる。それで、交替の静止衛星を打ち上げて、観測を継続する。
 次に図−2について説明する。
 産業革命以来、人類は石炭、石油、天然ガスなどの化石燃料を大量に消費するようになった。第二次大戦後の、医療の進歩と、食料の流通の円滑化は、人口の爆発的増加をもたらし、化石燃料の消費も激増した。これは温室効果を持つ二酸化炭素の大気中における人為的な増加を招き、温度上昇を促進している可能性が考えられるようになった。
 米国の C. D. Keelingは、平均値が期待されるハワイ島の高所に観測点を設けて、1958年以来、大気中の二酸化炭素の含有量を計測してきた。図−2がその結果を示す。
 年間季節変動を伴いながら経年的には漸増傾向が見出だされた。
 キーリングはこれを人為的活動の増加による漸増であろうと発表した。
 これを受けて、1988年に設置されたIPCC (気候変動に関する政府間パネル) は、1990年に中間報告をまとめ、大気中の人為的な二酸化炭素の増加がもたらすであろう地球気候の温暖化と、結果としての海面上昇の危険性などについて警告を発した。
 IPCCは政府間会議であり、権威もあるので、その影響は大きく、その後の政府間会議でもしばしば取り上げられた。京都の環境会議でも重要事項として取り上げられ「京都議定書」として一旦合意された。
 しかし、オゾンホール消滅に向けて、全世界が一致して、有害フロンガスの製造全廃を決めた歯切れよさに比べると、今一つ、真剣さが欠けている印象が拭い得ない。日本は、温暖化防止については極めて熱心である。
 しかし、複数の高緯度諸国では、熱心さが欠ける印象がある。後述するように、次の氷期の来襲の方に関心が深まっている可能性があるが、これは誤りで、地球温暖化を当面は絶対に防止しないと後述するように、文明は大打撃を蒙ること必定である。
 次に水圏について述べる。
 固体地球の表面は、陸地と海洋の二つの部分に大別される。海洋は固体地球表面の70.8%を覆う。陸地の中にも湖沼、河川、地下水、氷河といった形で水が存在する。このような水の世界を水圏という。その体積の98%は海水である。
 大気中にも水蒸気のような形で水分が存在する。しかし、その量は海水の約10万分の1である。しかし、水の循環によって地形などを変える。
 海洋の平均水深は3796mである。約3800m。
 最深点はマリアナ海溝チャレンジャー海淵である。第二次大戦後、英艦 Challenger (チャレンジャー号) が発見した。正確な水深は、日本の水路部の「拓洋」が1989年に測深した値、すなわち、10,920±10m、が国際的に採択されている。
 大きな海としては、3大洋として、太平洋、大西洋、インド洋があげられる。ついで、北極海、南極海、地中海、カリブ海、メキシコ湾などの名をあげることができる。海底地形としては、大陸棚、大陸斜面、深海平坦面、海溝、トラフ (舟状海盆)、コンチネンタル・ライズ、深海平原、中央海嶺系、などがある。
 生物学的には水深 200m以深は深海である。地球科学的には、200m以浅が浅海、4000m深くらいまでが中深海、4000−6000mが深海、6000mを超えると極深海、あるいは超深海という。
 海溝など極深海の面積は全海洋の僅か1.1%にしか過ぎない。4000−6000mの深海底の面積は広く、全海洋の56.3%を占める。
 ところで、物理の本質的な原理の一つになるが、地球の自転の影響で、気体であれ、水であれ、固体地球の表面の上を動く流体は、北半球では、右へそれてゆく。高緯度ほどその程度は強くなる。逆に、南半球では、左にそれる。このように働きかける見掛け上の力を「コリオリの力」と言う。
 赤道の上では、コリオリの力は"0"である。流体は直進する。赤道直下に近いアマゾン川が西から東へほぼ直流しているのは、この理由によるものと筆者は推定している。
 赤道で温められた大気は軽くなって上昇する。両極付近の大気は冷えて重たくなり、下降する。従って、地球が自転していなければ、地表・海上近くでは、両極から赤道へ向かう冷たい大気が流れ、上空では赤道から両極へ向かう温かい大気の流れが生じるはずであるが、地球の自転の影響、すなわちコリオリの力が働くので、実際には、東西方向の6風帯に分帯される。
 北半球では、赤道から北へ向かって、北東貿易風帯、偏西風帯、極東風帯、南半球では、南東貿易風帯、偏西風帯、極東風帯、が分布する。
 その間に、赤道無風帯、両半球の中緯度高圧帯、高緯度低圧帯が分布する。
 日本列島の大部分は、北半球の偏西風帯に入る。
 低気圧、高気圧などの気象は、これまた西から東へとゆっくり移動する。
 これらの風帯の風との摩擦が大きな成因となって、海流系が形成される。
 西インド洋では、冬はヒマラヤ山系からの吹き下ろしで北東風、夏は吹き上げで南西風のモンスーン (季節風) が吹く。従って、ここでは海流の方向も逆になる。
 風と海流では呼び名の方向が逆になる。西風は西から東へ向かって吹く風、西流は東から西へ向かって流れる海流である。
 風にしても海流にしても、流体は渦巻きながら流れるという特徴がある。
 海流は海面近くでは水平方向の還流を形成することが多く、流速も速い。一方、鉛直方向にも、ゆっくりと動く還流を形成することが多い。
 海中の流れで、海流についで重要なものに、湧昇流がある。1例を挙げると、南米西岸に沿って北上するフンボルト海流は、ペルー沖あたりで、コリオリの力の作用で西に向かって離れる。それを埋めるために深層の栄養分に富んだ海水が海面に向かって湧き上がってくる。そのためこの付近の海域ではプランクトンが多く繁殖し、それを食餌とする魚類が多産するので漁獲量も多く、世界有数の漁場となっている。
 表層海流の赤道海流と西風海流 (皮流) が形成する還流は、地球自転の影響でとくに太平洋と大西洋の西岸沿いに圧縮されて強い高速の海流を形成する。これを海流の西岸強化という。日本列島西半の太平洋岸沿いに北上する「黒潮」、北米東岸沿いに北上する「湾流・Gulf Stream」は、世界の2大強勢の海流である。
 黒潮は、関東沖で本州から離れて東流し黒潮続流となる。
 これを埋めるように北方から本州の東岸沿いに「親潮」が南下する。こういう流れを補流という。湧昇流も補流である。
 周囲の海水より海流の水温が高いものを「暖流」、低いものを「寒流」という。
 黒潮は暖流、親潮は寒流である。
 対馬海峡を通過して日本海の南を本州沿いに北上して大部分は、津軽海峡から太平洋に東流し、一部は宗谷海峡からオホーツク海に東流する「対馬暖流」は、日本の気候にとって、後述するように重要な意味を持っている。
 米国の Wallace S. Broecker (ブロッカー)は、1991年頃の前後数年の間に、原爆実験などで生じた特殊な放射性物質の放射能の残存量から、海水の年代を測定し、北大西洋で沈んで冷たい高塩分の深層水となった流れは、喜望峰の南を東流し、南極海の深層を進み、一部はインド洋、大部分は北太平洋で表層に浮き上がり、今度は暖かい低塩分の表層海流として北大西洋に戻る一大還流が存在することを発見した。名付けて「ブロッカーのコンベアー・ベルト」と呼ばれている。学界でもその存在は承認されるようになった。図−3にその流れを示す。
 日本の海洋科学技術センターで海水中の炭素14 (14C) の残存量から経年変化を調べたら、北大西洋から北太平洋まで、還流が流れるのに約2000年かかっていることが判明した。恐らく、この還流は一巡するのに6000年くらいかかるのであろうと推定されるようになった。この還流は世界の長期的な気候変動と深いかかわりを持つことが追々と明らかになってきた。
 ペルー沖では、クリスマスの頃、西向きの貿易風が弱まり、冷たい湧昇流が衰え、海面から漁獲は少々減るが、水蒸気が多発して砂漠である沿岸に恵みの雨をもたらし、果物などが実る。それで、この現象をながらくエル・ニーニョ (神の子・キリストのこと) と呼んで称えたが、時々、暖水の滞留が数ヶ月も長引き、沿岸に洪水などの災害をもたらすことがある。これは「異常エル・ニーニョ (あるいは、エル・ニーニョ・イベント) と呼んでいやがられた。この「異常エル・ニーニョ」という言葉が独り歩きをして、世界的には、単に「エル・ニーニョ」と呼ばれて有名になった。それは、異常エル・ニーニョの発生が、西太平洋やインド洋などの気候変動と連動して、世界的規模の変動の一環であることが判明したので、一躍、注目を浴びるようになったからである。4年ないしは8年ほどの間隔で1年あるいは2年ほど続くエル・ニーニョ (実は異常エル・ニーニョ) が1975−1998年の間に発生した。
 逆に12月頃になっても、西向きの南東貿易風の勢いが衰えず、湧昇流の勢いも強く、沿岸に恵みの雨が降らない時もある。これを、近年、米国の科学者がラニーニャ (女の子の意味) と名付けた。この言葉も最近ではよく使用されている。
 海水は重さにして3%ほどの塩類を溶かし込んでいる。溶解物質としてはNaClが際立って多い。数十億年の間に、地表の岩石の風化物から運び込まれたり、海底噴火の結果、導入されたりしたものである。
 固体地球は図−4に示すように、表層から地心に向かって地殻、マントル、外核、内核の4層圏から構成される。地殻と、マントルの最上層部は一体となって、固い「プレート」を形成している。地殻とマントルは岩石、核は大部分が鉄、それに少量のニッケルなどから構成される重たい層である。
 外核は液相で、溶鉱炉の中の鉄のように高温で溶けた状態にある。かつ、高圧の状態のもとに置かれている。内核は余りにも高圧の条件の下にあるので固相になっている。外核の中では熱対流が流動していて、これが地磁気を地球の内外に形成する原因となっている。時折、短期間ではあるが、この熱対流が動きを止めることがある。この時には、地磁気は消滅する。
 固体地球の内部構造は、20世紀初頭から、人工地震や自然地震の伝わり方から次々と明らかにされていった。最近では、高温高圧実験の進歩と、音響トモグラフィーの進歩によって、より詳細に推定されるようになってきた。
 ユーゴスラビアのM. Mohorovicic (モホロビチッチ) は、1909年、バルカン半島の地震記録から地殻とマントルの境を発見した。「モホロビチッチ不連続面」と呼ぶ。 深海底下の地殻の厚さは第二次大戦後、米国の Maurice Ewing (ユーイング) が見出だした。地殻の厚さは、大陸の平原部で約20km程度、高山部で約60kmに及ぶ場合もある。深海底下の地殻の厚さは薄く、4−10km程度である。
 地震波動には伝播速度の速い縦波のP波と、遅い横波のS波がある。
 P波は、固体・液体の中をともに通過するが、S波は、固体の中は通過するが、液体の中では吸収される。この別性質に着目して、マントルと核、外核と内核の境が発見された。1912年、米国の Beno Gutenbeg (グーテンベルグ) と C. Richter (リヒター) は、地下2900km付近に球形に近い密度の不連続面を発見した。これがマントルと固体地球の核の境界であることが理解された。「グーテンベルグ面」、あるいは、「リヒター・グーテンベルグ面」と呼ばれる。
 次いで1935年、デンマークの Inge Lehmann女史は、地表下 5100km付近に、P波の速度が僅かではあるが、急変する不連続面を発見した。これが外核と内核の境であり、外核は液相、内核は固相であることが理解された。「レーマン面」と呼ばれる。
 これで、固体地球内部の層構造がほぼ明らかになった。
 プレートの発見は後述するが、ずっと新しく、1962−63年のことである。固相であるプレートの厚さは、60−200km程度で、平均して約100kmくらい、大陸部ではやや厚く、深海底ではやや薄いものと推定されている。
 プレートは岩石圏、あるいはリソスフェアー (lithosphere) とも呼ばれる。
 岩石は火成岩、堆積岩、変成岩に3大別される。
 岩石が高温で溶けたものをマグマという。
 マグマが冷えて固結したものを火成岩という。
 岩石が地表に露出して風化され、細かい粒子や岩片となって河川などで運搬され、主として海底や湖底にたまったものを堆積物、それが固結したものを堆積岩という。 岩石が地下深くではあるが、溶けてマグマになるところまではゆかず、固相のままで構成分子や原子の結合の在り方が変化して別の種類の岩石に変わったものを変成岩という。
 マグマが地下深所で徐々に冷却固結したものを深成岩、火山などで地表、あるいは地表近くまでマグマが上昇して急冷固結したものを火山岩、あるいは噴出岩と呼ぶ。
 二酸化ケイ素 (SiO2) の含有量の多いものから少ないものにかけて、酸性岩、中性岩、塩基性岩、超塩基性岩という。
 一般的に、大陸や島弧の火山は流紋岩や安山岩が多く、マグマの粘性が強く、爆発的な噴火をし易い。これに比べて海洋底プレートに出る火山は玄武岩を主とし、マグマの粘性が低く、さらさらしているので、爆発的な噴火はしない。
 身近なところでは、富士山や浅間山の火山は、爆発的な噴火を繰り返して形成されたが、伊豆大島の三原山は、静かな噴火を繰り返して形成されたものである。
 伊豆七島は、富士山的な形成ではなく、三原山的な形成過程をとったものと推定される。
 日本列島は大陸プレート的な性質を持ち、東北日本の下へは太平洋プレートが、西南日本の下へはフィリピン海プレートが沈み込んでいる。
 日本海溝や南海トラフの軸の近くでは高圧ではあるが、まだ低温なので、高圧低温型の変成岩が出来易い。結晶片岩を主とする。これに対し、日本列島の主軸の下あたりでは、高温低圧型の変成岩が出来易い。片麻岩を主とする。
4.地質時代
 地質構造
 表−1に地質時代の区分を示す。
 ヨーロッパでは中世、地球の歴史は数千年程度であり、化石は「ノアの洪水」の遺物であると信じていた。が、レオナルド・ダ・ビンチは化石の本質を見破って記録した。従って、化石の本質は16世紀頃から分かりかけていた。
 比較的、短期間に栄えて滅んだ生物の化石は、それを含む地層の属する時代を特定し易いので、示準化石と呼ばれる。
 温暖・寒冷、浅海・深海など、堆積環境を指示する化石を示相化石と呼ぶ。
 こうした化石の比較研究から、19世紀前半には、一応、地質時代の区分が出来上がっていた。こうした化石の新旧などによる区分を「相対年代」という。
 20世紀初頭、キューリー夫妻は、ラジウムという新元素を発見し、放射能があり、時間経過に従って正確に崩壊し、放射能の残存量が少なくなってゆくことを見出だした。放射性物質を含む鉱物の外形が残っており、形成当初の放射能の量が判明していれば、放射能の残存量から、経過年数が測定できることが判明した。これを「絶対年代」という。
 例えば、ウラン238Uの放射能の半減期は4.47×109年と定まっている。正確な時計として使えるのである。
 示準化石を含む地層の中の放射性物質を含有する鉱物の経過年数を計れば、相対年代と絶対年代を組み合わせることによって、正確な地質年代が特定できるようになった。表−1は、そうした手続きを経て明らかにされた地質時代の年代区分である。この表の中の数値も、絶対年代を測定した試料の数が増えるに従って、数年おきに訂正されてきた。今後も、より細かい変化になるのであろうが、訂正される可能性は大きい。
 例えば、日本のある地層の属する地質時代すら、絶対年代試料の増加によって訂正されることはしばしば起こる。
 化石が多産するようになった5億4千万年ほど前から以前は先カンブリア時代として一括される。それ以後、生物分布などに大きな変化が起こった時を境として、古生代、中生代、新生代、に大別される。
 時代を指す区分を大きい方から細かい方へ、代、紀、世、など、それが属する地層そのものを、それぞれ、界、系、統、など、と区分する。
 古生代の最初の紀が「カンブリア紀」であり、生物が陸地に上陸したのは古生代シルル紀である。
 中生代は、三畳紀、ジュラ紀、白亜紀に大別される。新生代は、古第三紀、新第三紀、第四紀に大別される。中生代と新生代の境は6500万年前である。
 古第三紀は、暁新世、始新世、漸新世に、新第三紀は、中新世、鮮新世に分帯される。第四紀は、更新世、完新世に分帯される。洪積世、沖積世とも呼ぶ。
 第三紀と第四紀の境は165万年前、更新世と完新世の境は1万年前とされる。
 古生代の生物は三葉虫など、中生代は恐竜など、新生代は哺乳動物などで代表される。
 第四紀は大氷河時代の後半の時期であり、また「ヒト」が出現・繁栄した時代としても認識されている。
 次に地質構造について簡単に述べる。
 圧力がかかるか、伸長力がかかって、地塊にひび割れが入ることがある。この場合、断層を生じる。断層面はどちらかに傾いている。断層斜面の上に載る地塊がずり落ちている場合、これを「正断層」という。一般的に伸長力がかかった場合に生じる。
 これに対し、上に載る地塊がずり上がった場合を「逆断層」という。一般的に圧縮力がかかった場合に生じる。二つの地塊にひび割れが入って、互いに横にずれる場合がある。これを「横ずれ断層」と呼ぶ。横ずれ断層を挟むこちら側のブロックの上に立って見て、相手側のブロックが右にずれている場合を、「右横ずれ断層」、左にずれている場合を「左横ずれ断層」、という。
 しばしば、正断層、あるいは逆断層と、横ずれ断層の組合わせとしての断層になる場合も多い。
 地層が地下深所で、高圧の下に、切れて断層を生じることなく、飴のように曲がりくねることがある。これを「褶曲」という。
 実際には褶曲の中に断層が含まれる場合も多い。
5.大陸移動説
 古地磁気
 地球物理学の歴史はI. Newton (ニュートン、1642−1727) まで遡る。が、いちじるしい進歩を遂げたのは、19世紀に入ってからである。
 1883年、オーストリアのEduard Suess (ジュース) は、図−5に示すように、古生代の石炭紀から中生代のジュラ紀にかけて、大陸は北方の大陸群と、彼がGondwana (ゴンドワナ) と名付けた南方の大陸に分かれていたと唱えた。古生物の分布に差があるので、そのように考察したのである。この両者の間には、古地中海であるテチス海 (Tethys) が横たわっていた、とジュースは付け加えた。
 また、ゴンドワナはその後、部分的に沈降して海底となり、現在、南方の大陸群の面積は、ゴンドワナより狭くなっている、と唱えた。
 それから40年ほどを経て、ドイツの Alfred Wegener (ウェゲナー) は、1912年、大陸移動説を唱えた。とくに2年後の1915年、著書として刊行してから有名になった。
 図−6に彼が描いた図そのものを示す。
 彼は、古生代石炭紀から中生代ジュラ紀にかけて、大陸はひとつにまとまっていた、と考えた。この超大陸に対してウェゲナーは、Pangaea (パンゲア) という名を与えた。
 パンゲアはジュラ紀頃から分裂を始め、大陸片はそれぞれ移動して現在の位置まで辿り着いた、というのである。
 ジュースがいうように、ゴンドワナは、部分的に海底になったので小さくなったのではなく、パンゲアがまず北と南に分かれたときの南の部分で、現在の南方の大陸をまとめた程度の大きさであり、その後の分裂移動で位置が動いたものである、というのがウェゲナーの考えであった。
 ウェゲナーは、大西洋の両岸の平行性から、大陸移動の着想を得た、と述べている。この大陸移動説は賛否両論を巻き起こした。ただ、両者とも証拠が余りにも乏しく、決着がつかなかった。現在では正しかったことが判明している。
 1928年、J. Joly (ジョリー) は、マントル内では、高熱のため年間、1−2cmの熱対流が生じており、それが大陸移動の原因であろうと指摘した。
 翌1929年、英国の Arthur Holmes (ホームズ) は、ジョリーの考えを支持した。ただ、マントル対流の上昇部に、新しい海洋底地殻が新生し、それが分裂した大陸を両側に押しやるのではないか、と提唱した。これも正論であった。が、ウェゲナーは、海底は動かず、大陸が、ヨットが水をかき分けて進むように、海底の上を滑って移動した、と考えていた。
 真相に今一歩のところまで迫っていたのであるが、翌1930年、グリーンランドで、調査中にウェゲナーは遭難死した。大陸移動説を巡る論争は何となく沙汰止みになった。
 第二次大戦後の10年間ほど、オタンダの著名な3人の学者・キューネン、ウンフローフ、ベーニング・マイネッツが、大陸移動は、固体地球創生の頃、起きたことで、以後、大洋底は永遠に静かな場所で動かなかったという説を提唱し、多くの支持を受けたが、古地磁気の研究結果、この説は消えた。
 磁鉄鉱など磁性を帯びる物質は、高温では溶融状態になるが、冷えて結晶が晶出しても、まだ磁性は帯びない。さらに冷えて、ある温度に達すると、急に磁性を帯びるようになる。この事実は Pierre Curie (キューリー) が発見したので、この温度をその磁性体の「キューリー点」という。
 火山噴火に際して、溶岩が山腹を流れ下るとき、冷えるにつれて晶出した磁鉄鉱は、磁鉄鉱のキューリー点まで冷えた時、急に磁性を帯びる。しかし、まわりの溶岩はまだ高温で、「おかゆ」のような状態にある。
 溶岩の流下が続く中、磁鉄鉱は、長軸をその時の地球磁場の方向に向けるようになる。やがて溶岩はさらに冷えて固化する。含まれる磁鉄鉱は、統計的にその時の、その場所の、地球の磁場の方向を保存する。
 第二次大戦後、先勝国である英国の S. K. Runcorn (ランコーン) らは、世界中に散って、この方法などを使って、古代からの地球磁場の変化を調べるため、古地磁気の試料を多数集めた。
 すでに、磁北極 (北磁極ともいう) が、相当な距離、移動して現在の位置まで達していた事実は分かっていた。今回は、各大陸ごとにまとまって、磁北極の移動経路が異なる事実が発見された。そこで、ランコーンらは、ウェゲナーの大陸移動説を思い出し、逆に大陸片をパンゲアに向かって戻しつつ、磁北極の移動経路をずらしていった。結果は見事で、移動経路は、パンゲアまで戻ったところで一致した。1957年のことである。ここで、オランダ学派の大陸移動説には終止符が打たれた。ウェゲナーの大陸移動説が復活した。
 第二次大戦中、米国・プリンストン大学の Harry Hess (ヘス) は、海軍の輸送艦の艦長として中部太平洋を往来した。そして、音響測深記録の上に、海域によって、数百mから千数百mのオーダーで沈水している頂上が平坦になった独立海底火山の群が存在することを発見した。平頂海山という。彼は Guyot (ギヨー) という人名をとって、ニックネームとした。
 かつて、太平洋上に顔を出していた独立火山群があった。長い間の波食で頂上が平になり、水没した。そこに珊瑚が住み着いた。急に50mほどの急速な広域沈下があり、珊瑚は死滅した。その後、相対的沈下が続き、ギヨーの群ができた。
 一方、静かな沈下が継続した海域では、珊瑚が、上へ上へと成長して、現在の環礁となった。ヘスは 1945年にギヨーの存在事実と形成に対する彼の考えを発表した。 英艦ビーグル号 (1831−1836) で世界を周航した Charles Darwin (ダーウイン) は、進化論の元になった「種の起源」や、「珊瑚礁の成因」など重要な報告を表わしている。
 ヘスの解釈は、ダーウインの「珊瑚礁の成因」の正当性を支持するものとなった。
 1950−52年、米国の Edwin Hamilton (ハミルトン) は、ギヨーの調査を行い、頂上から約1億年前の珊瑚の化石と、大洋性の火山を構成する玄武岩の破片を多数採集した。その結果、ギヨーの沈水の始まりが、約1億年前の白亜紀のことであることが明らかとなった。








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