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I. 法制面の枠組み
 オーシャン・ガバナンスの法制面の枠組みの土台となるのは国連海洋法条約という歴史上例を見ない文書である。予言と追憶、寛容と貪欲の結婚、あるいは妥協、の産物としてこの条約は正当にも海の憲法と呼ばれてきた2。妥協としてこれを見ることは、この文書の弱点を晒すことになる。人間の精神に浮かぶことに完璧なものはなく、もし文書というものを世界の政治の舞台で交渉しなければならないとすれば、最良のデザインでさえ妥協が弱めてしまうのは避けられない。他方、結婚としてこれを見ることは、理想主義と現実主義の真の総合という意味で、未来への勇気と希望を生み出す。歴史が正に教えてくれるのは、教えることができるとすれば、システムの破壊が起こり、進歩が成就するのはこれら2つ、すなわち、理想主義と現実主義が、とりわけ経済的利益において、一致する時のみである。その時には人間性そのものの具現と考えられる機構・制度さえ崩壊するであろう。具体例を2つ挙げれば、奴隷制の廃止と植民地主義の廃止である。両ケースにおいて理想主義すなわち理想への犠牲的献身が主要な役割を演じた。これなくして目標の達成は到達不可能であったであろう。しかし両ケースにおいて、古くからの機構・制度はもはや経済的に持続性を欠くようになっていたのである。奴隷制はプランテーション制度の廃退と工業の勃興に追い越されたが、このことは奴隷制を不経済なものした。植民地主義は、帝国主義諸国に未曾有の富をもたらしていたが、2つの世界大戦ののち、逆にこれら諸国の経済的消耗源になった。植民地から逃げ出すことが経済的な現実主義であった。次なる、古くからの機構・制度と認められそうなのは国家間の戦争である。奴隷制と植民地主義ほど人間の本性に根ざしたものではないが、これは、人道主義と経済優先、理想主義者と現実主義者、先見と回顧の利益の一致により、乗り越えられるであろう。
 
 海洋法条約は、実際、平和の強化のための法制面の枠組みを提供している。
 
 1982年12月10日ジャマイカのモンテゴ湾における厳粛な条約調印式における挨拶のなかでUNCLOS IIIのTommy Koh議長は、地球の4分の3を対象とするこの条約を独特のものにする、数多くの重要な新機軸を打ち出した。その第一はつぎのとおりである。
 
  条約は、沿岸国家による多くの紛争を、領海、縁辺部、排他的経済水域、大陸棚についての普遍的に合意された境界に置きかえることにより、国際平和と治安の維持を促進する。
 
 紛争に対する強制力を持った平和的解決のために念入りに仕上げられたシステムは、国際社会がこれまでに計画し承認した最も先進的なもので、平和の強化へもう1つの大きな貢献となっている。Tommy Kohが付け加えていう。
 
  紛争を平和的に解決することの国際社会の利益と国家間の紛争解決における武力使用の防止は、条約のなかの紛争解決の強制システムにより前進した。
 
 しかしおそらく平和の強化への最大の貢献は新たな国際法原理の導入で、それは平和目的の、人類の共同の財産の原理すなわち地球表面の3分の2をおおう国際海底区域を保存すること、さらにhigh-seas、沿岸から12マイルの領海線までの排他的経済水域の原理である。また、国際海底の鉱物資源は人類の共同財産の一部であり、したがって専ら平和目的のために保存されるが、人類共同財産という用語は、まだそこまでは適用されていないが、国境をまたぐ魚類に関する協定3を通じて現在、海洋生物資源にまで拡大しつつある概念である。
 
 先に引用した挨拶でTommy Kohはこの原理の考案者で、新たな国際法の父に言及する。
 
  Arbid Pardoは2つの画期的な着想を我々の作業に提供した。第一に、深海底の資源は人類共同の財産である。第二に、海洋空間の全側面が相互に関連性を持つゆえに不可欠の一体としてこれを取り扱うべきである。
 
 この2つの画期的着想は事実新たな全体システムの座標となっており、あらゆるものがこの座標に適合しなければならない。
 
 同じくTommy Kohが挙げたその他の高度に革新的な概念は次のとおりである。
 
・ 条約第XII部の国際環境法を展開させるための枠組みの確立。これは、過去も現在も、世界を包括する国際環境法で唯一実在するもので、海洋、陸地、大気のいずれを問わず、世界のあらゆる地域におけるすべての発生源からの汚染を、機能的、地理的に統合した1つのシステムのなかでとらえる。LOS(海洋法)条約第XII部なしにはUNCEDプロセスは考えられもしなかったであろうし、四半世紀の間に環境法の意義深い発展を生み出した。
 
・ 海洋科学調査実施の新たな体制の創設により、Tommy Kohが指摘するように、調査国の利益と、調査が行われる経済水域あるいは大陸棚を抱える沿岸国の利益との公正な均衡が得られる。
 
 いうまでもなく、時は1982年で停止しなかった。歴史は刻みを続ける。科学的、政治的、社会経済的展望は変化しつづける。海洋法条約は、製品というよりは製法としてとらえる必要がある。製法なら変化する状況と相互に作用することができる。製法は変化する科学的、政治的、社会経済的傾向と展望に影響を与え、また、それらから影響を受ける。
 
 数千年を遡れば、その起源において海洋法は、欧州史のロードス島の海法で例証されるとおり海運法であった。他の問題が検討の対象になったのは、ずっとのちのことであった。high-seasの主権対自由の問題は17世紀にヒューゴー・グロティウスが問題提起して焦点となり、資源管理、環境保護は20世紀になってやっとその入り口に立ったばかりである。したがって最初に一体であったものが歴史を辿る過程で多部門化したのである。1958年に既存の伝統的、慣習的な法が成文化、集大成されたとき、取り上げ方は部門別で、結果的に4つの条約になった。1970年代になって初めて統一的な取り組みへの運動が始まったが、これはArbid Pardoと同氏の画期的な着想すなわち海洋空間の諸問題は相互に関連性を持つゆえに一体としてこれを取り扱うべきであるという考え方に大きな影響を受けたものであった。海洋法条約はこの統一化努力の頂点を示すものであった。これは、70年代に思い描けるようになったとおり、海洋空間と資源の主な用途のすべてを対象とするものであり、地球規模で、総体として世界の海洋の中で捉えた。歴史上、これは記念碑的成果と考えられるに違いない。
 
 しかし、それから時計の振り子は逆方向へ振れ始めた。依然として厳格に縦割り的な制度上の国内・国際、政府・非政府を問わず、そして国連も含めた構造のなかで、統一的な取り組み方を追求することが不可能とはいわないまでもきわめて難しくなった。政府の別々の部門の、海洋法の知識を持たないことも多い代表者で構成する別々の国際会議で海洋法の新たな部分が作られた。海運法は、国際海事機関(IMO)とUNCTADの庇護のもと、わが航路を進んだ。漁業はFAOが扱った。1992年のリオ地球サミットは多くの条約、協定、プログラム4を生み出したが、それらはいずれも固有の縦割りの権限と固有の事務局を持つものである。したがって現在、二重の努力を強いる重大な重複、海洋と大気の接点あるいは海洋と沿岸区域の接点への重点傾斜など重大な展開があるが、これらを国内的にも国際的にも統一的な方式で取り組める組織がなかった。明らかに機構・制度上のギャップが広がりつつあり、これが最後の四半世紀の実り多き法制面の遺産の効果的な実施を妨げた。








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