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IX.わが国海洋・環境教育の現状把握と今後のあり方
日本大学理工学部海洋建築工学科 近藤 健雄
1. 海洋・環境教育の意義
1.1海洋教育、環境教育とは
 海洋学には、海の自然現象の研究や海水の物理的・化学的性質の探求をめざす自然化学系の分野と、海洋と人類とのかかわりを調べる人文科学系の分野がある。また、これらの研究や学問を支援する技術や手法の研究を行う工学系の分野もあり、狭義の意味では、海洋自然科学を意味するものである。換言するならば、海洋空間をあらゆる視点から科学的に研究したり、探求したりする学問といえよう。最近では、科学技術の発展と自然環境に対する関心の広がりと新たな思想の発現から、地球や宇宙を包含する地球科学的位置付けに変貌しつつある。
 海洋教育に関して、厳密な定義は存在しないが、古くは商船教育、水産教育を狭義の海洋教育と捉えていた時代もあったが、J. F.ケネディーが大統領に就任以降、1970年代から本格的に始まる海洋開発が契機となって、米国では海洋工学部や学科が新たに創設されるようになった。
 また、NOAA(海洋大気局)のシーグラント補助金政策により、海に関わる優秀な人材の育成と海事普及の振興を目的に、幼稚園から大学までの幅広い教育制度が確立されていった。ここでいう海洋開発とは、海洋に賦存するエネルギー資源、食料資源、鉱物資源、空間資源を探査、発掘、利用するに関わる総合的技術開発と位置付けている。
 わが国では、70年代から始まる海洋開発ブームに対応して、海洋開発に関わる学科や学部が新設され、造船業の不況と構造改革の中で従来の造船工学科が名称変更により海洋○○学科という呼称が生まれてきたが、米国のような幼稚園から大学までの一貫した教育思想は定着しなかった。現在では、海洋・沿岸域利用や保全に係る様々な学問分野を広義の海洋教育として捉えることも多い。
 特に、地球環境問題が顕在化した20世紀中頃から、海洋教育の方向も転換していくことになる。その背景には、ノーベル賞受賞作家のウィリアム・ゴールディングが地球を名づけて呼んだ「ガイア」という概念を用いて、ジェームズ・ラブロックが提唱した「地球生命体=ガイア」説が1960年代後半から注目されるようになったことがあげられる。
 ラブロックは、地球が気候や化学組成をいつも生命にとって快適な状態に保つ自己制御システムではないかという仮説を提案した。これ以降、地球環境の制御システムに、海が大きな役割を果たしていることが科学的に証明されるようになり、同時代に、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」が、人間が創り出した化学物質の危険性を指摘するにいたると、海洋教育は海と生態系、社会生活、工業化社会の問題、地球環境問題へと、広範で複雑になっていく。その結果、大学教育の学科や学部の名称変更が相次ぎ、○○環境学科、環境○○学科などの名称が増加してきている。これらの特徴は、理工学系に近い社会系学科、あるいは社会系学科に近い理工学系の学科と、従来の学問体系を越えたものとなってきている。
 
 他方、わが国における環境教育は、高度成長に伴い1960年代に顕在化した公害問題に端を発しており、その後、1970年代以降に地球規模での環境問題が国際社会の中で取り上げられたことに伴い、その内容も地域的な環境問題から地球規模の環境問題まで含む総合的なものへと変化してきた。
 行政サイドの環境教育への対応状況を見ると、まず、1988年3月に発表された環境庁の環境教育懇談会の報告において、環境教育は「人間と環境との関わりについて理解と認識を深め、責任ある行動が取れるよう国民の学習を促進すること」とされている。
 また、文部省は「環境教育指導資料(小学校編、中学校・高等学校編)」の中で、環境教育とは、「環境や環境問題に関心を持ち、人間活動と環境との関わりについての総合的な理解と認識の上に立って、環境の保全に配慮した望ましい働き掛けのできる技能や思考力、判断力を身に付け、より良い環境の創造活動に主体的に参加し環境への責任ある行動が取れる態度を育成する」ことと述べている。
 いずれも、環境教育は単に関心や知識を与えるものではなく、自分の生活の中に実践的に環境への配慮を組み込んでいくことができる人づくりを目指している。
 ここでは、行政機関や学会等国内の海洋関係機関がとりまとめている報告や提言等において、海洋教育や環境教育への取り組みをどのように捉えているかを整理し、本論での検討の参考とする。
 
(1)海洋開発分科会
 かつて内閣総理大臣の下に設置されていた海洋開発審議会は、先ごろ文部科学大臣下の科学技術・学術審議会の一分科会である海洋開発分科会へと改組された。同分科会では、文部科学大臣からの諮問を受け、平成14年6月までに答申をとりまとめることとなっているが、その内容は一般にも公開され、答申の素案が入手可能である。
 同分科会のもとには、「海洋研究・基盤整備委員会」「海洋利用委員会」「海洋保全委員会」の3委員会が設置され、それぞれが21世紀におけるわが国海洋政策の方向性を議論しているが、その中で海洋教育および環境教育は以下のように取り上げられている。
 
[1]海洋研究・基盤整備委員会
【海洋基盤整備に関する推進方策】
人材育成及び理解増進活動
○海洋に関わる人材の育成
・高等学校や大学、大学院における海洋に関する教育の充実
・海洋に関わる人材の資質向上のための研究・シンポジウムの開催
・研究環境向上のため、研究支援者や技術者の育成及び体制強化の推進
○海洋に関する理解増進活動
・海洋生物や観測データ等を利用した科学学習素材の作成・提供
・小中高等学校における体験的な学習の対象としての海洋の活用
・海とのふれあいの場となる身近な海岸の拡大
・海洋に関する情報・映像等を収集・分析・公開する情報発信拠点(博物館等)の整備及びそれらを活用した海洋の普及啓発活動の推進
 
[2]海洋利用委員会
【海洋利用の推進方策】
○国民の親しめる海洋に向けて
 (中略)
・国民の海洋に対する関心が高まるような社会環境を醸成することが必要
・青少年を含めた国民の海洋に対する関心・経験等に留意した教育もしくは啓蒙活動を
実施すべき
 
[3]海洋保全委員会
【基本的考え方】
 (中略)
2.基本的方針
 (中略)
(5)海洋保全を推進するための基盤整備の充実
 海洋環境問題は国際的な要素をもち、今後、多国間の協力をもとに政策を行うことが必要。その際に障害となる科学的不確実性が、海洋に関してはとりわけ大きく、調査・研究の強化のほか、研究基盤及び体制の整備・充実を図ることが不可欠。また、海洋保全に関する国民的合意の醸成を図るため、海洋環境に係わる情報の集積・提供を進めるとともに、各種の教育及び普及・啓発活動を推進することが重要。
【海洋保全の推進方策】
 (中略)
<研究開発の推進体制>
 海洋環境問題のように多くの要因が複合化することにより生じた問題を解決するためには、これまでにない新たな発想による取り組みや新たな学問分野の創出等も必要とされることから、異分野との連携を推進させる体制や研究の進展に即応した体制の整備・充実を図ることが重要。そのためには、国立試験研究機関、独立行政法人、大学等における研究基盤および体制の整備・充実のほか、研究資金・人的資源を適切に確保することが不可欠。
 (中略)
<海洋保全に関する教育及び普及・啓発活動の推進>
 海洋のしくみ、人間活動が海洋環境に及ぼす影響、海洋保全の重要性等を理解するとともに、自然に対する感性や環境を大切に思う心を育成するため、国、地方自治体、事業者等、様々な主体と連携の下、海洋保全に関する教育及び普及・啓発活動を積極的に推進することが重要。
 
(2)日本学術会議
 日本学術会議海洋科学研究連絡委員会が平成13年5月に出した報告「海洋科学の教育と研究のための船舶不足と水産系大学練習船の活用について」では、来るべき時代に海洋科学を健全に発展させ、社会からの付託に答えるためにはさらに多くの船舶が必要であり、その実現のために以下の具体案を提言している。
[1]教育と研究に利用可能な船舶の充実のため、現在の練習船の減船や小型化を避ける。
[2]現練習船を「教育・研究船」として、現在所属している大学に当面引き続き設置し、全国的な利用を可能にする。
[3]「教育・研究船」は、海洋に関わるすべての学問領域の、学部及び大学院の教育と研究に活用する。
[4]「教育・研究船」群の運航を効率良く行うための組織体制を整備する。
 
(3)日本沿岸域学会2000年アピール
 平成12年12月、日本沿岸域学会は21世紀におけるわが国沿岸域のあり方を、学会の立場から提言すべく「沿岸域の持続的な利用と環境保全のための提言」と題する2000年アピールをとりまとめた。
 この中で、具体的に沿岸域管理を実行する手段として9項目をあげているが、その基盤的な手段の一つに「沿岸域管理に関する環境教育・社会教育」があり、以下のように記述されている。
 
沿岸域環境保全意識の長期的な向上のため、環境教育や啓発を管理主体が推進させる。とくに、ボランティアによる海浜清掃などの、沿岸域環境への働きかけを伴う住民参加を積極的に支援する。また、それにより沿岸域環境への体験機会を増加させる。
 
(4)第5回世界閉鎖性海域環境保全会議(EMECS2001)
 平成13年11月19日〜22日の4日間、神戸において開催された第5回世界閉鎖性海域環境保全会議、通称EMECS2001は、41カ国から延べ2000人の参加者を集めた。「21世紀の人と自然の共生のための沿岸域管理に向けて」というテーマのもと、5つの分科会が設けられたが、そのひとつが「沿岸域の環境保全と環境教育・実践活動」であった。
 同分科会では、8ヶ国のスピーカーがそれぞれ自国の現状を報告したが、わが国からも4編の研究・活動報告がなされた。それぞれ、海をフィールドとした環境教育の実践的な活動の内容を紹介したものであったが、欧米先進国や発展途上国における海洋環境教育の活動が、沿岸域管理の中に明確に位置づけられ産官学連携の下で実施されているのに対して、わが国の活動はそれぞれの地域で、教育機関や研修施設等が独自に運営しているケースがほとんどであった。
 なお、最終日に採択された「神戸・淡路宣言」では、21世紀の「人と自然との共生」の達成に向けた政策ガイドラインとして、6つの基本理念が掲げられたが、そのひとつは環境教育に関するものであった。参考までにその内容を以下に記す。
 
環境教育は、地域の文化的遺産を組み入れながら、新しい倫理を促進するために行われるべきであり、また同時に、現在および新しいカリキュラムに組み入れることによって、地域の学校での学習を改善することができる。(和訳)
1.2 海洋・環境教育の基本的考え方
 前項で整理したとおり、海洋・沿岸域を取り巻く環境問題は深刻化しており、21世紀において持続可能な社会形成を実現するためには、海や沿岸域の果たすべき役割は大きい。そのため、地球環境の保全に海洋が果たす役割を解明する海洋科学研究をより一層推進する必要があるとともに、身近な海(沿岸域)の環境に対する国民の関心を高め、21世紀において持続的な地域社会の発展を図るための、特に沿岸環境を対象とした環境教育の一層の推進が求められる。
 そこで、本稿では上記2項目を目的とした教育を「海洋・環境教育」と定義し、21世紀のわが国社会を支える最重要の事項として捉える。








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