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1. 海の所有関係
 海に限らず、あらゆる財物の利用と管理の基礎にある権利は所有権である。わが国において、所有権は、法令の制限内で、所有物の使用、収益、処分を自由に行うことを保障する権利として規定されている(民法206条)。
 私人であるか公的主体であるかを問わず、一般に、あらゆる財物の管理とその使用、収益、処分とは一体化している。しかし、公的主体は公共の利益を実現するために、法律による限りで、自らが所有しない財物の管理に関し、私的所有者の自由を制限することができる。逆に、公的主体は、自らが所有する財物についても、私人と同じような利益を実現するために、当該財物の使用、収益、処分の自由を行使しうるわけではない。公共用財産の所有権は普通財産の所有権とは異なる制約の下にある。
 以下では、海の所有権問題と公共用財産である海の国有から導かれる、自然公物の自由使用原則についてまとめておこう。
1.1 海の国有と私有
1.1.1 海の所有権
 ローマ法以来、ドイツ、フランス等では、海は私的所有の対象とならないものとして扱われた。わが国でも地区名称区別改定1が海を官有地第3種として以来、海面および海面下の土地は一般に私的所有の対象とならないものと解されてきた。
 しかし海を構成する海水及び海底が所有権の対象となるか否かにつき、明文の規定は存在せず、その判断は解釈にゆだねられてきた。陸地が自然の要因で海没することがあるし、人為的に陸地を掘り込んで海域を広げ、そこをマリーナ等に利用することもある。また、自然の状態のままで、干満の差により、時間帯、季節によって海没と陸化を規則的に繰り返す場所も多い。徳川幕府の海面払い下げ等の経緯もあり、海水に覆われた状態にある海底について、私的所有の対象となる土地として扱うことを求めて争う事例が絶えなかった。
 明治以降の判例は、当初、海面の公共用物としての性質を強調し、海は公衆の使用に供されるべきもので、個人の独占は認められないことを根拠に、その経緯の如何を問わず所有権の目的とはならないとしていた2。しかし、私人が海面下に土地所有権を主張するに至った経緯や、当該海面下の土地の具体的な支配可能性(財産的価値)等に関わらず、一律にその所有権対象性を否定するのは、明らかに具体的妥当性を欠く場合があり、行政実務上も、訴訟上も、通説に対抗して所有権の存在を肯定する議論が根強くなされていた。
 昭和32年以降の行政解釈は、この種の土地についても所有権が認められるとし、裁判例においても、海面下の土地に所有権の成立を認めるものが増えた3
 羽田空港二重登記事件最高裁判決4は、地裁及び高裁の判決を支持する形で、結論として海面下にも土地所有権が成立することを認めていた。その後、田原湾土地滅失登記処分取消請求事件で、最高裁は、最高裁として初めて、海面下の土地所有権の成否の判断について、社会通念上の海は公共用物であって、特定人の排他的支配が許されないものであるから、そのままの状態では所有権の客体たる土地とはならないとしながら、次のように述べて海面下の土地の所有権を認める可能性を認めた。
 「現行法は、海について、海水に覆われたままの状態で一定範囲を区画しこれを私人の所有に帰属させるという制度は採用していないことが明らかである。
 しかしながら、過去において、国が海の一定範囲を区画してこれを私人の所有に帰属させたことがあったとしたならば、現行法が海をそのままの状態で私人の所有に帰属させるという制度を採用していないからといって、その所有権客体性が当然に消滅するものではなく、当該区画部分は今日でも所有権の客体たる土地としての性格を保持しているものと解すべきである。
 ちなみに、私有の陸地が自然現象により海没した場合についても、当該海没地の所有権が当然に消滅する旨の立法は現行法上存しないから、当該海没地は、人による支配利用が可能でありかつ他の海面と区別しての認識が可能である限り、所有権の客体たる土地としての性格を失わないものと解するのが相当である。」5
 なお、過去の立法政策による所有権付与の事実の有無について、羽田空港事件では、明治4年8月大蔵省達第126号による海面払い下げの効果が問題となり、同払い下げによる排他的包括的支配権の取得が認められた。これに対して、田原湾事件では、明治5年2月24日大蔵省達第25号、7月4日大蔵省達第83号、明治6年3月25日太政官布告第272号による地券下付の効果が問題とされた。最高裁は地券下付の効果を「土地の所持(排他的総括的支配権)関係を証明する証明文書であって、土地を払い下げるための文書とか、権利を設定する文書ではない」と理解した上で、徳川幕府の新田開発許可の効果を検討し、本件地券は実体関係に符合しないもので、せいぜい開発権の証明をなすにすぎないものと判断した(これについては、大判大正7年5月24日民録24輯15巻1010頁、同昭和12年5月12日民集16巻10号585頁の先例と同旨)。
 なお、田原湾事件最高裁判決の後に海面下の土地所有権が争われた事例として、田原湾事件と同様の事実を前提にした、平成4年3月18日 名古屋地方裁判所判決および平成9年1月30日同事件控訴審判決がある6
 海面下の土地の私所有権に関する昭和40年代以降の学説は、従来の完全否定説よりは、むしろ積極説が増加する傾向にあった。最高裁判決の総論の理論構成は、個別ケースごとに過去の経緯に照らして私所有権の成立の有無を判断すべきことを示したものと理解され、行政解釈、学説の一般的傾向と一致するものといえる。
 
1.1.2 沿岸域の陸地部分の所有権
 わが国沿岸域の陸域の土地は、私人の所有部分、農林水産省、国土交通省の管轄する国有財産部分、さらに地方公共団体の所有財産部分の3つに分かれる。国と地方自治体の財産である土地は、さらに、行政財産とされる土地と普通財産とされる土地とに分かれる。
 これらの土地がなんらかの公物管理法の適用を受ける場合には、当該土地の利用・管理は、私人の所有地であっても、当該公物管理法による制約を受ける。わが国における代表的な公物管理法については、改めて検討する。
 これらの土地が公物管理法の適用を受けない場合には、私人は、権利濫用にならない限り、所有地を自由に使用しうる。他方で、それが公有地である場合には、国民は自由使用が許され、管理主体は、公有財産としての適切な管理を義務付けられる(国有財産につき財政法9条2項、地方自治体につき地方財政法8条)。
1.2 自然公物の自由使用原則
 わが国には、沿岸域の公物を管理するいくつかの法制度がある。しかし海を直接に全体として管理対象としてとらえる実定法は存在しない。このような状況下で、法理論的に、海は、天然の状態ですでに公共の用に供される実体を備えた公物として観念され、河川や湖沼と並んで講学上の「自然公物」の典型例とされる。
 自然公物については、それが直接に一般公共の利用に供せられる公共用物であるとの定義から、それを管理する行政主体が、すべての国民が自由に使用しうるような状態を維持する義務を負うもの、という性格づけがなされる。そのような状態を確保し維持するためには、論理必然的に、他者を排除しうる私的権利の成立を認める余地はないものとされる。
 このような考えを「自然公物の自由使用の原則」と呼ぶ。これは、自然公物とされる事物の自然的・社会的性格から必然的に導かれる、公物法の一般原則だといってよい。
 しかし、このような自由使用原則の理論的性格は、当然のことながら、自然公物に関する実定管理法の制定を妨げるものではなく、自然公物たる河川については河川法が定められている。このような実定公物管理法がある場合には、自由使用原則は、実定法による具体的管理内容を導く抽象的規範原理として働くにとどまり、国民の自由使用の認められる具体的範囲は実定法の定めるところによって規定される。
 これに対して、海のように、管理実定法がない場合の実定法でカバーされていない海の部分の管理については、自然公物の自由使用の確保という要請が前面に出てくることとなる。海の利用に関して、国民の自由使用をなんらかの形で制限するためには、その根拠を定める法規範が必要となることとの関係で、管理実定法がない自然公物の自由使用と管理の問題は、今日、法定外公共用物の管理問題としてさまざまな話題を呼んでいる。








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